
2580回目: 『システム開発と「具体と抽象」』続き
昨日に引き続き、細谷功さんの本について書きます。
私は”Why”を考えることが好きなのですが、そのWhyについて、次のように書かれた箇所がありました。
(以下引用)
Whyには以下のような2つの用途があり、これらはある意味で全く逆方向のものといえるのです。
(中略)
手段と目的では目的は手段より後、つまり、目的というのは未来に向かってのWhyということになり、原因と結果では原因の方が前、原因というのは過去に向かってのWhyということになります。
ここで重要なことは、この2つのWhyが時間軸の異なる問いであるという点です。
過去のWhyは「なぜそれが起きたのか」という原因を問うものであり、経験や事実に基づいて説明することが可能です。(製造業等でよく使われる「なぜなぜ分析」は基本的にこちらに属します)。一方で 未来のWhyは「なぜそれをやるのか」という目的や意図を問うものであり、まだ存在していないものを扱います。言い換えれば、未来の現場は誰も経験していません。
(ここまで)
Whyを推している者として、この2つを明確に認識できていなかったことは、大変悔やまれます。
質問力や傾聴に関する本には、よく、「『なぜ』と聞くな」と書かれています。理由は、相手が責められていると感じるから。確かにそうだけれど、なんだか腑に落ちないところがあると思い続けていました。それは、避けるべきは原因のWhyだ、という特定がされていなかったからだとわかりました。
過去の出来事について問う「なぜそうしたのか」と、ミラについて問う「なぜそうしたいのか」。どちらも意図だと言えるけれど、過去の出来事に対する意図は、その出来事の原因とも言えるでしょう。
ネガティブな出来事に対して「なぜそうしたのか」と問うことは、たとえそれが再発防止のための原因究明だとしても、相手は責められていると感じがち。
さらに「なぜ寝坊したの?」といった、起こった出来事(寝坊)に対して明確な意図があるとは思えない場面での「なぜ」は、意識的か無意識かを問わず、相手を責める意図がありそうです。
この本のおかげで、避けるべきWhyの輪郭がくっきりしました。
そして、まだこの本からの学びについて書きたいことがあるので、明日も続けたいと思います。
【今日のまとめ】
責められていると感じさせる原因追及の「なぜ」と、未来へ向かう目的の「なぜ」を区別し、上手に活用する。