メインコンテンツへスキップ
見出し画像

朝から問題提起の映画『PLAN75』

    ひょんなことから、日曜日の朝も6時から終始胸の奥がムカムカとする、問題提起の映画『PLAN75』
    を観ました。

    もう、モヤモヤが止まらないので、記事にしてこのモヤモヤを解消します(笑)

    見るきっかけとなったのはchiyoさんの記事から

    画像

    やっぱり、ご縁です。
    何気なく目がいった、chiyo さんのこちらの記事。


    ちょっと重たそう

    でも、観てみよう。
    そう思ったから観てみたら・・・。


    ありそうだから余計に怖い

    画像


    自分の命の終わらせ方について自分で選択する

    超高齢化社会における世論の反応を耳障りの良い法案で抑え込み、経済効果も見込む『PLAN75法案』が国会で可決。

    もう、この設定がいかにも、ありそうで怖い。

    まるで保険のセールスのように街の至る所で
    『PLAN75』の申し込みブースが設けられている。

    人生を綺麗に幕引きし、社会にも貢献できる?

    言葉巧みに、高齢者を洗脳していく。(ポイントもらえる!とやたらとキャンペーンをやっている、マイナンバーにも私は胡散臭さを感じいます)

    架空の話だけれども、耳障りの良いことを鵜呑みにしてしまうことってリアルな社会でないだろうか?

    こんな自問が湧くたびに、胸がムカムカとするのです。


    生かされている命

    画像

    「生まれてくることは選択できないけど、命の終わりは選択できるのです」
    みたいなセリフが映画の中にできます。

    これには、猛烈に魂が反応。

    「違う違う、選んで生まれてきている!天命なんだよ命は!エゴの考えで勝手に命を終わらせるな!」

    心の奥底がざわつく感じです。

    この時、『奇跡のりんご』の著者木村さんのお話を思い出したんです。

    周囲の反対を押し切って取り組んだ『りんごの自然栽培』。
    やるべきことを全てやっても上手くいかず、多額の借金を抱え、家族にも不憫な思いをさせていると考えた木村さんは、最後には山の中で首を吊って死のうとした。

    でも、失敗するんです。
    その時に、野生のりんごの自然栽培の道を発見したのは有名な話ですよね。

    この時、木村さんは悟ったんです。

    命は自分のものではない。
    大いなるものに生かされていると。

    『PLAN75』の中では、そんな命への尊厳は微塵もありません。

    遺骨は産業廃棄物として処理される。

    叔父が『PLAN75』に加入したことを知った役所職員磯村勇人は苦悩するのです。

    果たして、自分が進めているこの仕事は正しいことなのだろうかと。

    肉親の人生の最後をこんな形で終わらせることはあまりにも切ない。

    私の心のザワザワを一向に収まらる気配がありません。

    この映画は我々の感情をどこに着地させようとしているのか。

    行先の不透明感にもモヤモヤは晴れません。

    死について考えたら、生きるに行きついた

    画像

    普段はなかなか『死』について考えたり議論することはありません。

    あえて、見ないように、触れないようにしているのかもしれません。

    しかし、今回のchiyoさんの記事からAmazonプライムでみた映画『PLAN75』は明らかに、何かしらの見えざる手によって見せられたように感じています。

    何せ、75歳なんて、あと15年。

    すぐきます(笑)

    あと3年で退職します。
    今は「退職」後の人生のセカンドステージへ移行期間と捉えています。

    その前提として90歳ぐらいまでは生きている。
    そんな暗黙の前提です(笑)
    しかも、バリバリ元気な設定で、「ピンピンコロリ」だと勝手に思い込んでいます。

    でも、わからないわけですよ。
    先のことなんて。
    自分のことも家族のことも。

    もしかしたら、病気や事故で、意識不明で寝たきりとなることもあるかもしれません。

    正直、機械的な延命措置は、自分は嫌だな。
    そう感じています。

    しかし、エゴの考えることなんて、たかが知れています。

    機械によって生かされるような延命措置に果たして意味があるのか?

    これはとても難しい問題だと改めて感じまた。

    ただ、自分が生きているのは、自分の意識を超えたものに生かされている。

    私はそう確信しています。

    なぜなら、何度も死にかけているけど、奇跡的に助かっているからです。(同じような事故で命を落とされた方知るたびに、自分は生かされている。まだまだ天命は尽きていないと感じています)

    何かができるから役に立つとか、そんな効率の話ではなく、人生は絶妙な配分で互いが完璧な役割を演じながら生かされているのです。

    だからこそ、不思議なご縁が互いを取り持っているのだと思うのです。

    ただ、もし、機械に繋がれて命が生きながらえている状態でも生かして欲しいと自分は望むだろうか?

    自分なら嫌だなと今は感じています。
    でも、家族の心情は?
    いろんな要素があって簡単には決められない問題だな改めて思います。

    終わりに

    画像

    この映画は最後まで、モヤモヤザワザワが収まらない、なんとも言えない気持ちのまま、エンドロールを迎えました。

    あえて、命を軽んじてしまう愚かさを描くことで、命の尊厳を浮き彫りにしていると感じました。

    決して気持ちよく観れられる映画ではないと思います。

    しかし、もし、この記事を読んで「見てみようかな」と思えたら、それはご縁なのでぜひ見てください。

    そして、モヤっとしてください(笑)

    ちなみに、もやっとしない人生の妙を描いた『タペストリー』は私の渾身の一作です。
    「読んでみようかな」と思ったらこれもご縁なので、ぜひダウンロードください(ちゃっかり宣伝です笑)

    この映画に向かわせてくれてchiyoさんには、改めて感謝申し上げます!

    画像

    ☘️最後まで読んでいただきありがとうございました。
    ☘️素敵なご縁に感謝です。
    ☘️「スキ」「コメント」「フォロー」も頂けたらとっても励みになります。これからも「読んでよかった!」と思える記事を皆さんに届けられるよう努力していきます。今後もよろしくお願いします。


    画像





    この記事が参加している募集

    あなたへのおすすめ