
第347話:「高市内閣」と言う高市総理
トップの画像はかつての教え子の娘さんが採り上げられた静岡新聞の記事です。今日の記事と直接関係ありませんが、掲載させていただきました。
この間、図書館のカウンターで貸出をしている時に、子どもを連れたお母さんがやって来た。
お母さんはできるだけ子どもが自分でできるようにという配慮からだろう、子どもに本を持たせてカウンターの前に来て僕に渡すように促したのだが、その時「はい、土屋さんに渡して」と言ったのであった。
初対面のお母さんである。
確かに僕は土屋であるし、名札を付けているから誰にも僕が土屋であることは明白なのだが、今まで名前で呼ばれたことはなかったので、何か落ち度でもあったかと一瞬たじろいだ。
多分皆さんもコンビニの店員が名札を付けていても、レジでその名前を使って呼ぶことはないだろう。「店員さん」とか呼ぶに違いない。
よくよく考えてみたのだが、多分お母さんは「お兄さんに渡して」とか言いたかったのだろう。ところがどう見ても僕はお兄さんではない。でも「オジイサンに渡して」では失礼だろうと考えた挙句に「土屋さんに渡して」というセリフを紡ぎ出したに違いない。
大阪のおばちゃんなら何の迷いもなく「お兄さん」と言ったに違いないが。
名称や呼称は考えてみれば不思議なものである。
例えば、お尻を洗ってくれるトイレ。微妙で奇妙な表現になってしまうのだが、皆さんはこれを何とお呼びになっているだろう?
僕はウォシュレットと呼んでいるが、シャワートイレと呼んでいる方もいるかもしれない。ただ、これらはTOTOとLIXILの商標登録名であって、どちらも正しい名称ではない。
ちなみに正式名称は温水洗浄便座。
今でこそウォシュレットとかシャワートイレでネットを検索すればこの温水洗浄便座という用語に出会えるが、20年くらい前、図書館でこのトイレの普及率を調べて欲しいという依頼を受けた時には政府統計を調べてもこの名称を知らないとそこに辿り着けなかった記憶がある。
似たようなものに「ガーゼのついた絆創膏」がある。
サビオ
カットバン
バンドエイド
リバテープ
キズバン
皆さんはどれ?
これらも企業の商標登録名であって、その地域の企業の商品登録名が、その地域での呼び名として親しまれているらしい。
ちなみに正式名称は救急絆創膏。
サランラップとかクレラップも食品包装用ラップフィルム。
東京タワーは日本電波塔。
そうした名前は、業界の用語なのか役所が統計用語として編み出したものか知らないが、用途や機能を中心にそれらに与えられた公的な名前なのだろう。故に正式名称なのだろう。
そこで、僕ははたと、僕の正式名称は何だろうと要らぬことを考えてみる羽目に陥った。
言語論ではコトバ(名前)が混沌とした世界を切り取ることで初めてモノが認識されるというが、僕は土屋◯◯(今更名前を伏せる必要もないが)というコトバでも、オジイサンというコトバでも世界から分節される。あるいはツッチーとかという愛称でも。
土屋◯◯は固有名詞であって僕の本名だが、僕を知らない人は僕をオジイサンという一般名詞で呼ぶ。
すると、これを例えば「お尻を洗ってくれるトイレ」に当てはめると、土屋◯◯はウォシュレットに相当し、オジイサンは温水洗浄便座に相当することになる。温水洗浄便座がこのトイレの正式名称であるから、さすれば、僕の正式名称は土屋◯◯という本名ではなく、オジイサンということになる。
無論、くだらぬこじつけである。
書類にオジイサンと署名できないことも知っているが、一般社会において共有される僕への呼称はオジイサンなのであって、土屋◯◯という本名は僕を知る共同体の中で共有される私的な呼称なのだということを、見ず知らずのお母さんに唐突に「土屋さん」と呼ばれて僕は考えてみたのである。
唐突に話が飛ぶが、最近「高市内閣」という言葉が気になる。国会中継を聞いていると、首相の答弁の中で首相自身が「高市内閣では」と言う。それが気になる。
「◯◯内閣」という内閣の前に首相の名前を置く呼び方は昔からあった。一般社会でも、例えば森保ジャパンのように名前を頭に置いて呼ぶことは普通にあるに違いない。
ただ、今までの首相は「◯◯内閣」と自分の名前を付けて言ってたかなあ?と首をひねる。
どうだろうと思ってネットを検索してみると、同じ違和感を書いている方がいたのでリンクを貼らせていただいた。
この方は調べた結果、歴代の首相はそう言わなかったとしている。
森保ジャパンと人は呼ぶが、森保監督は自分で「森保ジャパン」とは言わないだろう。会社でも課長は自分の部署を「土屋課では」などと言ったりしないに違いない。
この呼称への違和感は、その耳慣れない自称の氾濫にある。
幼な子は自分のことを誰にでも「マーちゃんは・・」などと自分の名前で呼んだりする。あるいは自己顕示欲の強い人は自分の名前をどこかに付けたがる。ともに自分の属する私的領域と公的な一般社会の区別がなされていないからである。
あるいは高市人気にあやかろうとする周囲の戦略なのかもしれないが、自分の考えの表明であれば「私が」と言うべきであろうし、内閣の合議の表明ならば「内閣としては」と言えばいいのだと思う。
たかが呼び方であるが、微妙なこの違和感が今の政治の歪みとして感じられてしまうのは考え過ぎだろうか。
さて話を冒頭に戻すと、
先日、子どもが書架で本を探していたので手伝ってあげた。そこにお母さんがやってきたのだが、その子はお母さんに向かって「オジイチャンが見つけてくれた」と報告していた。
・・・子どもは正直である。
◾️土竜のひとりごと:第347話