
学び/遊び
日本語で来たら日本語で、ブロークンイングリッシュで来たらブロークンイングリッシュで駄文を綴る。そして、時に翻訳を試みるが、直訳が一番難しい。意訳しても別物になる。仕事じゃないから問題ないけど。
「翻訳は不可能」という共通認識があれば話は別だが、意訳も含め、翻訳は至難の業ではあるが、私の場合、拙文ゆえに「力まず、ただ愉しんでいる」。「勉強」という行為が苦手な方の「学び」、いや…..「遊び」?
英詩を原文で読むことは殆どないけれど、そもそも普通ではない文章だから、和訳を参照すると訳がわからなくなることがある。「それはあなたの読解能力のせいでは?」と問われたら、もちろん、否定しません。
一方、ブロークンイングリッシュ (ブロークンジャパニーズでもある) の面白みもある。わたし達が日本語を間違えるように、ネイティブも間違える。間違いは学びの機会。いや、間違いではないのかもしれない。
…という訳で「詩」と仮称している和英の拙文は、直訳ぽかったり、意訳だったり、日本語版の土台だったり (その逆も然り)、また、そのどれにも当てはまらなかったりもします。そして! 修正したりもします(^^)。