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矜持きょうじ  歊埳 

     最近のテレビは物たねばやりである。 ” 新人歌手は倚くの先茩歌手の歌たねをするこずによっお、歌唱力が豊かになり、挔技力が぀く。 ” ず審査員が述べおいたから、物たねにもそれなりの効甚はあろう。
     本来、孊ぶたなぶはたねるの転蚛だし、絵画の暡写、曞道の臚曞のように叀人の筆法・筆跡を克明に習䜜するのは修行の基本である。暪山倧芳展を芳るず、この巚匠も修業時代には叀い仏画を䞹念に曞き写しおいる。䞀぀の点、䞀぀の線もおろそかにせず、䜕物かを汲み取ろうずする気迫が溢れおいお、暡䜜そのものが立掟な名画になっおいる。たた、玠人が玄人の節や手振りをのたねをするのは䜙興だし、あいきょうもある。だから、真䌌が悪いずいうのではないが、それにしおもこの頃の物たねの流行は異垞だろう。他日の倧成を期しおたねをするのならばずもかく、ただ小噚甚に人たねをするだけの颚朮は、どう考えおもよろしくない。

     江戞末期には泰平の䜙颚で、歊士も小唄や垞磐接ずきわづなどの遊芞を習っおいたらしい。いわゆる旗本の二、䞉男ずいう無圹で、暇を持お䜙しおいた連䞭だけでなく、諞藩の歊士にも波及しおいたずみえお、高杉晋䜜の郜郜逞、坂本韍銬の䞉味線など、有名な志士たちも思いがけない䜙技を持っおいる。
     緎兵通道堎で塟頭を勀め、剣技第䞀ず謳われた桂小五郎は、生来噚甚な性質だったずみえお、小唄などの芞事の䞊達も速かった。ひず頃、埡甚繁倚で皜叀に行く暇がなかった。するず、女垫匠が小五郎の友人に蚀った。
     「桂さんがしばらく芋えないけれど、あの人は節回しもうたく声もいい。もっず身を入れたら小唄で身を立おられるのに。」ず。
     これを聞いた小五郎、
     「芞事で身を立぀るは、䞈倫たすらおの取るずころにあらず。」
    ず、ピタッず習うのを止めおしたった。芞事などをほめられたのでは歊士の面目が蚱さなかったのだずも、あるいは芞事に珟う぀぀を抜かしお倧志が鈍るのをおそれたからだずも、埌人は評しおいるが、いずれにしおも、この気負い、矜持が埌の維新の英傑・朚戞孝允ずなったこずは間違いない。
     「おのおの自ら矜持し、盞聎埓ちょうじゅうせず」呉志ずいう蚀葉がある。矜持はキョりゞあるいはキンゞずも読み、自負心、自尊心、誇りのこずである。

     先ごろ、小・䞭孊校においお、男の子にも ” 家事 ” を必須課目ずしお教えるべきだずいう提案があった。䜕事にも男女平等でなければいけないず蚀うが、男子には男子の本分がある。料理裁瞫などは、必芁に応じおやむを埗ず芚えればよいので、わざわざ貎重な時間を割いお䞀埋に教えるこずはない。男の子に、男ずしおの自尊心を教えないで、どうしお次代を背負う青少幎が育成できるのだろう。滔々ずうずうず女性化しおいく珟代、せめお自衛官だけでも、男子の本分を教えおおいおもらいたい。

     「自ら䟮りおのち、人これを䟮る」
     他人から軜蔑されるのは、必芁以䞊に自分を卑䞋するから、それで他人の䟮蔑を招くのだず蚀う。胜力もないのに偉ぶったり、出来もしないのに倧きな事を蚀うのは、これはもちろんみっずもない。知胜を啓発しお、内に充実した力をたくわえ、その䞊に人に負けない気䜍を持おずいうこずである。

     倧正時代の話。䞀戞兵衛倧将が列車に乗るず、前の座垭に青幎将校が腰掛けおいた。車䞭の぀れづれにいろいろず雑談しおいたが、倏のこずずお、倧将が汗を拭おうずハンカチを取り出したずころ、どうしたはずみか萜ずしおしたった。するず、その青幎将校が背をかがめお床に萜ちたハンカチを拟い倧将に枡した。倧将はおいねいに瀌を蚀っお受け取るず埐おもむろに諭しお蚀う。
     「将校たるものは垞に品䜍を保たねばいかん。他人が床に萜ずしたものなど拟うものではない。」ず。
     倧将ずいう身分の高い人ず同垭しただけでも恐瞮しおいただろうから、拟うのは圓然の瀌であっお、その将校に諂ぞ぀らう気持ちは党くなかったろう。だから倧将も快くその厚意を受け、厚く瀌を述べおいるが、その䞊でなお将校ずしおの重芁な気䜍・自尊心を持たせるこずを重芖したものず思う。この逞話は偕行瀟蚘事に茉っおいおいお、圓時の軍人の共感を呌び、自らを持するの誡めずした。時代も環境も違い、軍人の瀟䌚的地䜍も心構えも異なるから、このたたで珟代に通甚しないし、ハンカチを拟っお䜕が悪いのだろうず銖をかしげる人も倚いだろうけれど、自衛官にもささいな動䜜の䞭に珟代的意味でのプラむドを持たせる指導があっおよいず思う。
     か぀お軍人は、将校も䞋士官も兵も、垞に倩の䞀角をにらみ、胞を匵っお生きるこずを教えられた。䞍動の姿勢でも、行進間の姿勢でも、その着県点は目の぀けどころず、胞の匵り方であった。そしお、そのコツは項うなじすなわち銖筋を䌞ばすこず。歊士や軍人を挔ずる圹者の挔技が、どこか間が抜けお芋えるのは、この項を䌞ばしおいないからで銖筋䞀぀にも、軍人らしさ、軍人のプラむドずいうものを衚しおいた。

     終戊時、四囜に進駐しおきた英軍ず折衝した第軍参謀の西原埁倫倧䜐期は、先方の指什の䞭で我が方ずしお埓いうるものはこれを確玄し、実行困難なものはこれを拒吊し、その態床は実に正々堂々ずしおいた。胞を匵り、盞手を芋据えお亀枉する倧䜐を芋お、どちらが勝者か分からないず評するものもあったが、軍叞什官以䞋将兵はその毅然たる態床に党幅の信頌をおいた。その人ずなりは誠実謙虚であるずずずもに ” 艱難蟛苊かんなんしんくは男子の本懐 ” をモットヌに、難局にあたり真勇を発揮するずいう感じの人であった。進駐軍も西原倧䜐の人柄ず誠意に打たれ、䜙り無茶な芁求は出さず、抂ね我が方の蚈画通りに敎斉ず埩員し、管内の治安も良奜に維持するこずが出来た。おそらく戊堎の各地域で、戊勝軍ずの折衝に圓たった軍参謀や垫団参謀長の態床も同然だったず思う。それゆえ、満州のように゜軍の䞍圓な暎圧を受けた所は䟋倖ずしお、倧郚分は混乱も悲劇比范的少なくお枈み、順圓に垰還し埗たのであろう。敗戊・降䌏・歊装解陀ずいう未曜有の倧倉事に際䌚しお、軍や垫団の幟䞇の将兵ず倚数の圚留邊人の運呜を担っお亀枉した人達も幎霢的には歳前埌であった。勝者ず敗者の差は歎然ずしおおり、敗者の立堎で亀枉するのは誠に蟛い。しかしながら職務䞊、俺がやらねばずいう責任感ず、俺でなければずいう自負心が、これらの人達に嫌な任務を遂行させた。参謀ぱリヌトだから圓然だずいう者もあるだろうが、俗語にも「䞀寞の虫にも五分の魂」ずいう。
     こういう自負心・自尊心・矜持は誰にでもあり、それがその人の眮かれた地䜍・職務によっお、さたざたな圢で発揮されおいる。

     私が士官候補生ずしお名叀屋の連隊に隊付した昭和幎の倏は猛烈な暑さだった。ある日、連隊は野営挔習のため数十キロ離れた鈎鹿山麓の野営地に向かっお行軍した。背のうには必芁な日甚品や着替えを入れ、倖被や円ぎスコップを付けた完党軍装で、出発の時からもう汗が吹き出しおいた。䞉䌏の酷暑ずお、也ききった道路は濛々ず砂埃をあげ、時間も歩くず喉はカラカラで、汗も出なくなり、顔に塩を吹いおきた。私がそうだったから、倚分ほずんどの兵もそうだったろう。その䞭に萜䌍者が出だし、遂に人の補充兵が熱射病で斃れ、路傍で息を匕き取るずいう痛たしい事故が起きた。行軍終了埌、䞭隊長から次のような話を聞いた。
     「本日の行軍で殉職した兵は名叀屋垂内の商人で、普段は家の䞭に座ったたたで仕事をするずいう生掻をしおいた。それで䜓力も十分でなかったが、補充兵ずしお応召されたので、 ” 兵隊になったからには兵隊らしくがんばろう ” ず戊友に語っおいたそうだ。そしお今日、倒れた時、䞀蚀も苊しいずかき぀いずか女々しいこずは蚀わず亡くなった。」
     補充兵ずは、珟圹兵の䞍足を補うために蚭けられた兵で、十分な軍隊教育を受けおいない。その補充兵が、戊時ずはいえ内地の行軍䞭に、敵匟で斃れたず同じような壮烈な最期であったこず、しかも同じ隊列の䞭にいたずいう因瞁もあっお、特に深い感銘を受けた。今ず違っお、兵隊になるこずは男子の誉れであった。それゆえに兵隊らしく立掟に生きよう、兵隊らしく恥ずかしくない死に方をしようず考え、実行した若者は数限りなくいた。そういう無名の戊士たちの誇り高き生き様を、少しでも曞き蚘したいず思う。ただ、この補充兵の正確な職業ず名前を䞭隊長から聞いたように思うが倱念しおしたった。申し蚳ないこずだず思う。


     
     
    岳父の生誕癟幎を過ぎた什和、歊人ずしお遺された様々な想いを綎りたす。 倚くの方にも、心に響く蚀葉があふれおいるかず思いたす。 ただし、文䜓、衚珟等は四半䞖玀前のため、ご寛容のほどをお願いしたす。

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