
#069「君子不器」は本当か?という話
今日は、まだ『そろそろ論語』の企画自体が全く存在しなかった頃の話を。ちなみに、以下の内容は本に書き切れなかったことなので、活字としては初公開の内容になる。
何年か前、ある受講者さんから「君子は器ならずって、おかしくないですか?」といった趣旨の質問をされたことがある。「君子不器」という四字熟語として定着している言葉なので、知っている人も多いと思う。その一般的な解釈は、おおむね次の通りだ。
「器」とは「1つの機能に限定する」という意味なので、「君子不器」とは、「君子たるもの、1つのことしかできないようではダメだ」。だから、「君子は、器ならず」。
受講者さんの問題意識はごもっともで、僕自身も以前からこの解釈に違和感を抱いていた。なぜなら、君子、現代的にはリーダーやマネジメント、エグゼクティブ層になるような人について、「あの人は器が大きい」「あいつは上に立つ器の人間だ」といった言い回しが一般的に存在するからだ。すなわち、「君子は器ではない」ではなく、「君子は器だろ」と。
あるいは独立起業してから10年以上、僕は、学びには「スキル」レベルと「ウツワ」レベルの2種類があるという言い方をし続けている。この枠組みのベースとしては、たとえばキーガンの成人発達理論などがあって、「垂直的成長」と「水平的成長」などといった用語について、見聞きしたことがもある読者さんもいるかもしれない。「水平的」がスキルや能力アップのことで、「垂直的」の方が、「ウツワ=器=人間力や人格を磨く」に対応している。
普段からこういった話をしているからこそ、受講者さんが、「君子不器はおかしい」という違和感を僕に表明してくれたのだろう。実際、一般的な解釈で捉えている限り、確かに「君子=器じゃない」と受け取らざるを得ない。いったい、どう解釈すれば良いのだろうか。その答えはvoicyで話した通りだが、こちらにも以下に明記しておく。
僕自身の実訳は、この「不器」は「固定的な器になるな」という意味なのではないかという解釈だ。すなわち、「器」自体を否定しているのではなくて、「固定的、限定的、柔軟性なき器」を否定しているということだ。
こう捉えれば、「君子不器」とは、「君子たるもの、器を拡げ続けよ」と解釈できるのではないだろうか。この意味であれば、「あいつもそろそろ、リーダーの器になってきたな」といった言い回しとの整合性がとれ、現実的にワークする訳となる。
もう1つ、こんな調子で、僕は日々、『論語』をはじめとした古典から実訳をつかみとっているが、「どうすれば、同じようなことが自分でもできるのか?」という質問をもらったこともある。その答えの1つが、ここまで書いてきた文章だ。
すなわち、「常に、現実から出発する」ということだ。現実として「器の大きさが、人間の格やリーダーの資格」の意味で使われている以上、「君子は器ならず」はやはり非現実的だ。どれだけの本で、どれだけの人がそう書いたり話したりしていても、自分が今まさに生きているこの現実とつなげられないなら、そんな学びは、結局すぐに忘れてしまう。僕の仕事は社会人学習の支援なので、これは死活問題だ。
そこで、「どう捉えれば、どう解釈すれば、この現実とつながってくるか?」という問いを立ててみる。これが、実訳への扉を開ける。もちろん、すぐに答えがでるわけではない。それでも、発問自体がなければ、いつまで経っても回答は生まれてこない。検索ワードがなければ、Googleが何も答えてくれないのと同じだ。
以上、今回は昨日voicyで話したことのnote版として執筆した。さらに理解を深めたい人は、ぜひvoicyも聴いてください。
voicyの最後でも話していますが、1月12日に開催するZOOM質問会に参加してもらえれば、今回のような疑問や質問を、僕に直接することができます。全身全霊、一所懸命におこたえしていきますので、ぜひ以下からZOOM質問会受講権を受け取ってください!
それでは、また次回。
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