
#わたしとラジオ
ラジオは、小学生の頃、ダイオードラジオを作ったのがハマったきっかけ。
生来の吝嗇が手伝っての給電不要のラジオがダイオードラジオだ。
往時は、<ラジオ関東 1422KHz>のアンテナが多摩川の河原に立っていて、その至近距離に住んでいた。今も住んでいる。おかげでよく電波を拾った。このラジオはイヤホンで聴く。
さて、亡き叔父からもらった真空管ラジオ。これも小学生時分。
真空管のほんのり光る風情が、音質の悪いラジオの遜色をなくしてしまう。
50年以上経った今も真空管は大好きである。今はenglというギターアンプの中でほんのりと真空管は光ってくれている。
短波ラジオ。これは中学生くらいの時に小遣いを貯め、あらゆる電波を拾うラジオを買った。タモリがモノマネでやっていた、消えそうで消えないラジオの音声に人間味をとても感じる。大変離れた距離からの放送がなんとかこの愛機=ラジオに入ってくるのである。
中学生くらいになるとクラシック音楽に接する。なぜかオーディオマニアになっていた。2トラ38のオープンリールにFM局から流れるワーグナーあたりの楽曲を録音したいと思って思って思っていたが、当然金がなく、実現せずに妄想だけで終わった。
高校生となるとやはり大学受験を目指す心がけができる。
なのに、受験勉強を邪魔するかのようにビートたけしのオールナイトニッポンが始まってしまった。面白くて爆笑に次ぐ、爆笑。その放送で隠された放送禁止用語をそういう方面の本を熟読して、解読して悦に入った。受験勉強どころではない。毎週木曜日の深夜1時から3時まで起きてしまい、カセットテープ400本以上を録音した。
中でも「ラロトンガ島からの実況中継」が、その深夜放送から聞こえてきた。「すごい!」と思った。そこは「戦場のメリークリマス」のロケ地であった。短波放送のように音声が悪く途切れることが、何回もあった。日本からの遠隔地ラロトンガ島だ。日本放送、さすが手を抜かずにこんな放送もちゃんとやってくれるんだと感心していた・・・鶴太郎がコードに足を引っ掛け、録音機材がはずれ、いつものニッポン放送からの放送だとわかった時は、きれいに、感動的に騙されたと思って、これも嬉しかった。
たけしと高田文夫のゴールデンコンピが醸し出す深夜放送は、なんと半年ごとに新書版にまとめられ出版されていた。ラジオで楽しめ、それを写真入りで本でも楽しめる!人生のアクメーは、この時期だったかもしれない。
おかげで第一志望の早稲田大学文一は受かりませんでした。とラジオのせいにしておきます。
今62歳。ラジオなしではここまで育ちませんでした。Merci beaucoup