
カスハラ対策、「ご不快に感じられたことにお詫び」でいいんですか?
「ご不快に感じられたことにお詫び申し上げます」
"限定謝罪"として、よく使われるテクニックです。相手の気持ちを受け止めて、先につなげる方法。
ですが、ほんとうにそれでよいのでしょうか?
「お詫び」でいいんですか?
謝罪にあたって考慮すべきは、客観的な状況です。
たとえば傷んだ食事を出してしまったり、欠品があったりすれば、お客様のメンタル(と、胃袋…)が強くて不快に感じなかったとしても、お詫びする必要があります。
いっぽうで対応に落ち度がない、あるいはまだ落ち度の有無が分かっていない段階で、不快に感じたということそのものにお詫びする必要があるのでしょうか。
「不快」は、客観的に検証できる腐敗や欠品とは異なり、受け手の内側で起きたことの申告にすぎません。
にもかかわらず「ご不快に感じられたことにお詫び申し上げます」という言い回しは、傷んだ食事の話と同じ文法・同じ重みの謝罪を差し出しています。
これは、対応に落ち度があったかどうかという本来の争点が、まだ何も確定していない段階で、その争点そのものを先に手放していることになります。
「限定」できていると、ほんとうに言えるのでしょうか。
英語の場合、sorryは謝罪と同情を兼ねる多義語で、自分に原因のない不幸に対しても自然に使えます。
私が事故に遭った人のお見舞いに行って"I am so sorry"と声をかけたからといって、その人を轢いた自白にはなりません。
逆に、だからこそ、同情として述べたsorryが法廷で過失の証拠として扱われることを防ぐために、共感の表明と過失の認定とを切り分ける"Apology Law"が、訴訟社会とされるアメリカの多くの州で制定されています。
"I am so sorry"――同情します、残念です――は証拠としては排除されるが、"We made mistake"――私たちのミスです――は証拠として採用される、というように、sorryの意味範囲そのものを法律で規定しているわけです。
(なお後者も証拠としないバリエーションもありますが、それはさておき。)
ところが日本語の「お詫び」には、sorryのような多義性はありません。
同情は「お大事に」や「お悔やみ申し上げます」が担い、「お詫び」は謝罪専用の語として流通しています。
「ご不快に感じられたことにお詫び申し上げます」と言っても、Apology lawが担保している、「謝罪と誤解されない共感」を示せているわけではありません。非を認める語を、非がまだ確定していない場面に使ってしまっているだけです。
ですから聞き手は「お詫び」を字義通り、非を認めて謝罪する発言として受け取ります。
罪を認めたのだから賠償せよ、とつながります。
限定謝罪は、そのじつ限定になっていないのです。
「不快に感じられたことに」でいいんですか?
では前半、「不快に感じ」たことについてはどうでしょうか。
個人的には、不快感そのものは知りようがありませんし知ったことでもありません、と思います。
もう少し真面目に答えるとすれば、「検証のしようがありません」ですか。
多くの国では、苦情に対する反応は「お詫び」ではなく「主張し返す」ことです。企業側はまず自社のポリシーや対応の正当性を説明し、場合によっては顧客の解釈の方を訂正しにかかります。
苦情を申し立てる側も、単に不快だったと述べるだけでは足りず、なぜそれが不当な扱いなのかを、彼らなりの正しさの体系――消費者の権利、契約上の合意、業界のサービス水準など――に基づいて主張し、正当化する必要があります。
不快だったというだけでは、ああ、そう、です。
もちろん、同情は示してくれるでしょう。
なぜApology lawが存在するか考えてみれば明らかです。
“I’m so sorry to hear that.”――sorryという、同情の言葉。
ですがこれらの同情語彙は、法律や、そうでなくとも社会通念によって、非の認定から明確に切り離されています。非を認め、謝罪する発言ではありません。
相手の気持ちを受け止めてはいるものの、その先を続ける必要があるのは主張する側です。
罪を認めたのだから賠償せよ、とはつながりません。
「限定謝罪」でいいんですか?
日本の「限定謝罪」の文化は、これとちょうど逆方向に最適化されています。
事実関係を確定させるより先に、関係的な摩擦を減らすことを優先し、そのための道具として、本来は謝罪専用だった語彙を、意味を薄めながら流用してきました。
「限定」したつもりの、しかし「謝罪」という言葉で。
これは一見、お互いにとって穏便でやさしい解決に見えますが、実際には「不快だと言えば謝罪という応答が返ってくる」という期待を、申し立てる側に学習させてしまう作用をもちます。
この不適切な強化学習が積み重なった先にあるのが、カスタマーハラスメントという形で顕在化する、「不快であること自体が要求の正当な根拠になる」という誤った認識ではないでしょうか。
必要なのは、謝罪の言葉を、非が確定した場合のためだけに温存することだと思います。
事実関係が争われている段階では、たとえ関係が緊張をはらむとしても、「現在確認しております」「そのような事実があったかどうかを含めて確認いたします」といった、非を先取りしない言葉にとどめる。
(それで炎上したら? それこそ「カスハラ」です。態様が異常なら独立してカスハラなのですから。)
心苦しさを伝えたいのであれば、「お詫び」ではなく「心苦しく思っております」のような、話者自身の内面を報告するだけの語を選ぶ。
多少堅苦しく非妥協的に思えても、そのほうが、後になって「結局なにに対して謝ったのか」が誰の目にも明らかな、誠実な応答になるはずです。
不快に感じられたことは認識しました。それで?
おまけ:「おかわいそうに」
※東アフリカで話されるスワヒリ語には「ぽーれ」という、今回の整理でいえば「同情」にかなり寄った便利な言葉があります。
「謝罪」は「samahani」です。
私は太ったおばちゃんに足を踏まれてもがきくるしんでいたら、そのおばちゃんに「ぽーれ」と言われました。同情するならなんとやらです……!
でも、今回みたようなケースでは便利なはずです。
Pole sana rafiki, nimekusikia kabisa... basi.