
35年かけてあなたに帰る。【第三章】第一話 | すれ違いは静かに始まる
【第二章】第六話|夢より大切なもの
すれ違いは、ある日突然始まるものではなかった。
気づかないくらい、小さなことの積み重ねだった。
正人は仕事が忙しくなり、毎日疲れた顔で帰ってくる。
私は三人の子どもを育てることに精一杯だった。
朝から晩まで、家事と育児に追われ、自分の時間なんてほとんどない。
きっと、お互いに余裕がなかったのだと思う。
正人は家に帰ると、仕事であった出来事や愚痴を話すことが増えた。
私は黙って聞いていた。
「大変だったね」
そう言って、少しでも正人の気持ちを軽くしてあげたかった。
でも、ある日、私も思わず口にしてしまった。
「今日は本当に大変だった」
すると正人は、少し強い口調で言った。
「お前は家にいるだろ。
俺は外で働いてるんだ」
その言葉が、胸に深く刺さった。

家にいる。
その言葉だけで、私の毎日が片づけられてしまったような気がした。
子どもたちを守るために必死だったこと。
慣れない土地で、不安を抱えながらも笑顔でいたこと。
誰にも頼れず、一人で頑張っていたこと。
私が過ごしてきた毎日は、いったい何だったのだろう。
そんな思いが、胸の奥に広がっていった。
私は何も言い返せなかった。
ただ、心の中だけが、少しずつ崩れていく音がした。
あの頃の私は、まだ信じていた。
このすれ違いは、きっと時間が解決してくれる。
そう思いたかった。
バスで出会う人々 | TALES
バスに乗れば、いろいろな人に出会う。
主人公・加奈がバスの中で出会う人々の、小さな物語を綴っています。
毎週土曜日・日曜日の夜に、一話ずつ更新します。
公開したお話はマガジンにまとめていきますので、いつでも最初から読み返していただけます。
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