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成長曲線の高原



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    趣味である「カメラ」「写真」において、僕は完全に停滞している。


    いや楽しいよ?別に写真を撮っていて超楽しいんだけど、楽しいから良いんだけど、「もっと上手く撮りたいのに撮れない」ことに対するモヤモヤ。怒りとも焦りとも違くて、落ち込むわけでもなければ悲しいわけでもなくて、「なんかこうもっと…やりようあると思うのになぁ」という不如意な感じだ。納得いってないっていうか。モヤモヤモヤ。


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    MOYA


    で、「上手く撮れないのはカメラ(レンズ)が悪い!」ということにして、もっと画素数が高いカメラとか、バリアングルは悪だから3軸チルトじゃなきゃダメだとか、裏面照射はダメなんだとか、やっぱりマイクロフォーサーズなんだとか、色々調べたりカメラを買い漁ったりしたくなる。

    いや〜でもまぁ…。
    いい加減それも疲れたっていうか、虚しくなった感がある。だって結局上手くなってねーんだもんな。当たり前だけど。シューズを買ってレビューばっかりしてて走るのが上手くならないのと同じ。それが機材を介在する趣味(カメラとかロードバイクとか)だとそこが見えづらくなるから罠なんだけど、上手くなってないんだよなあ。


    カメラとかレンズをあれこれ買って「これは性能がこうで〜」と語るのも、あらかたやり尽くして満足した感じがする。

    僕は"あがって"しまったのかもしれない。





    学習曲線というグラフがある。
    人は成長するときに真っ直ぐ段階を踏んで、どんどん成長していくと思い込んでいる。でも現実はそうではなく、人は階段上に成長していく。階段状である以上、そこには停滞がある。これが学習の高原(プラトー)と呼ばれる領域だ。

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    僕がChatGPT4.0に生成してもらったグラフ


    高原は次の上達に行くためのステップなのだけれど、ここにいる時がつまらない。ギターのFコードみたいなもので、退屈で、挫折しがちだ。僕はダラダラと10年くらいカメラを趣味にしているけれど、成長している実感は一切ないため、10年くらいこの高原にいるのかもしれない。


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    一方で僕はこの高原にいることに甘んじていたのかもしれない。
    高原の居心地の良さに甘えて、寝転んでいたのかもしれない。成長を目指さなければ自分の下手さに傷つくこともないし、自分の力量に失望することもないからだ。


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    結局のところ、結論は出ていて、RAW現像するしかないのだ。
    それは単純に写真を丹念に編集することが大事であり、また現像しながら自分の写真をしっかり眺める時間(復習・フィードバック)を確保するということだ。それをやる。やります。ふんぬ。



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    でも書き溜めがしばらく続くので、RAW現像した写真が登場するのは多分あと6話くらい先かも。



    今日はここまで。

     
     
    月間15万PV達成!神奈川県出身の空間デザイナー。 「哲学×写真」をテーマに投稿中です。 FUJIFILM X-H1 登山が好きです。 ※記事内では一部アフィリエイトを使用してます

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