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健康より幸福を、幸福より満足を

    私は特別養護老人ホームで介護職員として働いています。
    そこには寝たきりで自分の意志表示もできないお年寄りが沢山います。その中でも死が近いと予測される方については、状態が急変したら救急搬送するか、それともそのまま看取るかを家族に相談します。看取りを希望する場合が多いと思います。

    「最後まで生きることを諦めないで!」というのは若い人には当てはまる考え方かもしれませんが、寝たきりのお年寄りには必ずしも当てはまらないと思います。

    私の勤めている特養には寝たきりではない車いすなどで過ごすお年寄りも多くいます。そんな人たちに、新年になると私は「今年はどんな一年にしたいですか?」とレクリエーションの時間に訊くことにしています。するとほぼすべての人が、「健康で穏やかに過ごしたい」と言います。

    これを元気な小学生が言ったらおかしいと思いませんか?十代二十代の若者の多くはこんなことは言わないと思います。若者ならば、「今年は受験をして志望校に合格するぞ」「部活動で全国大会に行くぞ」「今年こそ彼女(彼氏)を作るぞ」など多様だと思います。しかし、これらの願いはすべて健康が前提にあると思います。それなのになぜ、若者は「健康でいたい」と願うことが少ないのでしょうか?それは多くの若者にとって健康は当たり前だからです。

    私は十六歳で統合失調症を発症しました。高校二年生です。常に頭の中がグチャグチャで夢の中さえ戦場みたいに戦車が蹂躙していて、意識のあるときはずっと地獄にいるみたいな苦しみの只中にいました。そのときに思いました。「精神が安定していればそれでいい」「心の健康が欲しい」。この「精神が安定していること」というのは、自信がなかったり、悩みがあったりが多い思春期ですが、とりあえず安定していればそれでいいじゃないか、という意味です。完璧でなくてもいいのです。そのうえで、できれば心が健康でありたいと望むのです。

    そう言う病気の私は現在、健康を願っているかと言いますと、そうではないように思います。私は小説家になりたいという強い願いがあります。毎年、小説の新人賞に応募して、「今年こそ」と思っています。そして、毎年落選してしまいます。小説を書き始めたのは二十代半ばからです。それまではマンガを描いていました。以前は芥川賞を狙って純文学的なものを書いていましたが、四十歳を過ぎると、「自分が本当に書きたいものを書いて、それが世の中に認められればいいじゃないか」と思うようになりました。本当に自分が書きたいものを書き上げたとき、私は燃え尽きたような陶酔感に浸り、「ああ、満足だ。この満ち足りた気持ちのまま死にたい」と思います。「死にたい」と喜びに満ちた気持ちで思うのです。「もうなにもいらない、死にたい」。発病した頃に苦しみを終わらせるために死にたいと考えたのとは全く異質なのです。絶望だから死にたいのではなく、希望を達成したから、生きている意味を実感したから死にたいと思うのです。しかし、私は高校生の頃に自殺を禁じていました。命ある限り生きるべきだ、と考えています。だから、この幸福感に浸っているときに自分に問いかけます。「今、俺は死にたいと思っているが、それは幸福だからじゃなくて、人生に絶望しているからじゃないのか?」。たしかに私には彼女がいないし、友達も少ないことに思い至ります。それにまだ、私の書いた小説は世の中に認められていません。自分の小説が世の中に認められることを見届けたいと思います。それから、書き上げたときの幸福感は生きていれば何度でも味わうことができる、と考えて、これからも生きよう、と思います。

    私は健康で長生きすることが幸せだと考えていません。死そのものが不幸だとも思いません。ただ、道半ばで死ぬことは不幸のような気がします。

    科学が発達し、宗教の存在が後退したことで、人々の幸福の定義が、「健康」にすり替わってしまったような気がします。科学は幸福を定義しません。健康、長生き、子孫繁栄、金持ちになること、出世すること、など宗教不在の人生には幸福の定義が見えやすくわかりやすいものに置き換わってしまっています。「神の愛」とか「悟りの境地」とか古来宗教が大切にしてきたことが見失われています。

    先に小説を書き上げたときの幸福感と書きましたが、正確には幸福感ではなく満足感です。私が被った不幸も含めて満足できるのです。もっとも、「それが幸福というものだ」と言われればそうかもしれませんが。

    私は幸福ではなく満足を追求します。その結果として幸福になるかもしれません。私は統合失調症を患っていますが、「治したい」と最近では思いません。ただ、人生に満足したいと思っています。小説だけでなく、福祉の仕事でも満足できるよう努めていきたいと考えています。精神保健福祉分野において当事者である強みを活かせたら病気という不幸を満足に変えられると思っています。私の仕事により誰かが幸福になってくれたら、どれだけ私は嬉しいでしょう?

    統合失調症は精神の病です。それが治ることは健康な精神になることです。しかし、健康イコール幸福ではありません。私は健康になりたいのではありません。ただ幸福になりたいと思っているわけでもありません。先にも述べたように、不幸も含めて人生に満足したいと思っています。

     
     
    1979年生まれ/男/静岡県在住/SW/ストーリーライター(小説家)/ソーシャルワーカー(社会福祉士)/統合失調症者にアウトドアを勧める会会長/

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