
「北野大茶湯」(1587)
菅原道真公を祀る「天満宮」といえば、梅!!!
全国の天満宮の中には、「梅花祭」や「梅酒祭」を開催する神社もあります。今年の京都の北野天満宮の「梅酒まつり」は11/21~24の4日間です。

🔳北野大茶湯


https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/46048
天正15年(1587)10月1日、豊臣秀吉が京都・北野天満宮にて大茶会「北野大茶湯」を催し、身分にこだわらず広く参加を呼び掛け、建てられた茶屋は800あるいは1500とも言われる。本作は復古やまと絵の画家・浮田一蕙が、北野大茶湯から約250年後の天保14年(1843)前後に描いた想像図。北野松原の至るところで茶席を設ける人々を描く。同じく一蕙による複数の類似作例が確認でき、人気の画題であったことがうかがえる。
本作には書きこみがないが、天保14年の年紀をもつ北野天満宮本には高札文、三飾席茶道具、天正名物記(天正年間の京の茶人の所持道具についての記録)、人名・地名などが書き込まれており、『太閤記』など複数の史料を基に描かれたことが推測される。
なお、北野大茶湯では三つの飾席と四つの茶席が設けられたとされる。三飾席は拝殿に設けられたことが概ね定説となっているものの、四茶席は拝殿の四隅に置かれた説と、拝殿の外に四畳半の茶席として設けられた説の2説に分かれている。一蕙は拝殿の外に設けた説をとったようで、本作に書き込みはないが、北野天満宮本には「利休」「関白様」「宗久」「宗及」と書き込みをもち、四つの茶席が画面右上、右近馬場付近に描かれている。



https://dl.ndl.go.jp/pid/1207483/1/52
北野天満宮の場合は、「海」「梅酒祭り」よりも「北野大茶湯」が有名?
一、於京都、茶湯、方々所々へ被仰付在之。今日、なら中より各上云々。先分の造作云々。先年、信長、御馬揃程の事也。来月朔日より十日迄云々。
一、銀屋与太郎来。此の茶湯の様、語了。茶屋千五、六百と云々。
『多聞院日記』によれば、豊臣秀吉は、聚楽第の完成の祝賀として、織田信長の「馬揃え」に匹敵する興行を企画したという。聚楽第の近くにある北野松原に1500~1600軒の茶屋を建て、多くの人を集めたが、皆、豊臣秀吉や千利休の茶屋に集まり、ほとんどの茶屋には人がいないという大失敗だったという。
この歴史的興行の開催地として、北野天満宮では、梅花祭(ばいかさい)の時に「野点大茶湯(のだておおちゃのゆ)」が開催されます。舞妓さんを見られるので、カメラ片手に外国人がたくさん来ます。
今年の「梅花祭野点大茶湯」は終了し、次回は来年の2月25日になります。

🔳「きょうとまるごとお茶の博覧会」2025

2025年4月から京都府内各地で行われた「きょうとまるごとお茶の博覧会」のグランドフィナーレとして豊臣秀吉が「北野大茶湯」を開いた北野天満宮にて、京都のお茶の豊かさを体験できる様々な催しが開催された。
【参考文献】
・「北野神社文書」
・『兼見卿記』
・『多門院日記』
・「観音寺文書」
・「聚光院文書」
・『北野大茶湯之記』
・『利休自筆覚書』
・『宗湛日記』
・『山上宗二記』
・『太閤記』
・『豊鑑』
・『雍州府志』
・『山城志』
・『山州名跡志』
・『茶道古典全集』(第六巻)
・『北野大茶湯考』1936
・『秀吉の知略 北野大茶湯大検証』2009
🔳高札(御触書)
(高札が)八月二日、洛の上下、奈良、堺にも立て置かれしかば、侘(わび)ずきの面々、「是は目出度御代に逢ひて、価貴き道具をも拝見し、又、侘ずきの名誉をも達せん」と悦ぶも有り。洛中の数寄者は、「名をも取り、秀吉公の御感にも預かり、堺の数寄者共を一当て当て、常々の名人顔を汚さん」と巧み侍るもあり。

来る十月朔日、於北野枩原可令興行茶湯候。不寄于貴賤。不拘于貧富。望之面々令来会。可催一興。禁美麗好儉約。營可申候。秀吉數十年來求置し諸道具、かざり立をくべきの条、望次第可見物者也。
天正十五年八月