メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bysubaruphoto2002

【戦国武将】佐々成政

     成政は、尾張国(愛知県西部)に生まれ、14歳のときに織田信長の小姓となった。長篠の戦いでは、鉄砲隊を率いて武田勝頼軍を打ち破り、「佐々鉄砲隊」の名を世に示す。二段撃ちの戦法を確立したとされ、信長の信頼を得て、富山53万石の大名に出世する。
     そのため、成政は、本能寺の変で信長亡き後、天下取りの野望を抱く羽柴秀吉に反旗を翻す。徳川家康に再起を促すため、成政は真冬の立山連峰を越え(=さらさら越え)て浜松に向かった。ところが、家康は秀吉と和睦し、成政の誘いには乗らなかった。
     やむなく引き返すも、すでに富山城は秀吉軍に包囲され、天正13(1585)年8月、ついに成政は秀吉の軍門に下る。このとき、「いつか必ず再起を果たす」との決意から、鍬崎山に莫大な軍資金を隠したとされる。
     その後、成政は、秀吉の九州征伐に従い、天正15(1587)年、肥後国(熊本県)に国替えとなる。同年、肥後国で一揆が発生し、秀吉から責任を問われ、翌年、切腹する。

    https://ameblo.jp/narimasasassa/entry-12247200186.html
    画像
    佐々成政肖像(富山市郷土博物館蔵)
    画像
    2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』

    🔳歌川国芳『太平記英雄伝』

    画像
    歌川国芳『太平記英雄伝』40「佐田陸奥守有正」

     佐田有正は無双の勇者。其の性(さが)短慮大膽にして、大多春永に仕へて千塲田辰家の籏に属し、北国所々に戦功多く早良々(さらら)越の雪中を渡りては諸人の耳に轟かせ、辰家北庄に滅亡の頃より猿吉郎に随従して越中領し、彼国神通川の辺にて怒りに任せて愛妾・小百合といへる者を提げ切りとなし、其の怨恨、彼地に怪異と残して、神通川の夫羅利火(ぶらりび)とて、今も世人の怪談となる。且て猿吉郎、有正が勇烈を愛し、肥後国熊木の城主たらしめ、数十万貫を与へしが、領地に生ひし黒百合と奉し叓、或国中不政にて一揆の動乱、屡々なりしに依て、忽ちに死を賜り、家名永く断絶なしぬ。是併ながら小百合が怨鬼の報う所なりとかや。

     
     
    ようこそ「レコの館(やかた)」へ! 極貧車椅子ライターのRecoが、生活費を稼ぐために頑張って書いてます。 応援、支援(サポート)してね☆

    あなたへのおすすめ