
龍角寺岩屋古墳(千葉県栄町)と御経塚古墳(静岡県湖西市)
「龍角寺古墳群」とは、印旛郡栄町龍角寺の龍角寺古墳群で、現在確認されている古墳の総数は115基である。
なかでも注目されるのは、前方後円墳「浅間山古墳」と方墳「龍角寺岩屋古墳」(105号墳)である。
「龍角寺岩屋古墳」の石室は古くから開口されており、石室内は空で、人骨や副葬品が残されていないため、築造時期や被葬者については謎であるが、龍角寺が蘇我氏の氏寺と似ているので、「古墳時代後期の築造で、被葬者は蘇我氏の関係者」と考えられてきた。(蘇我氏滅亡時に石舞台古墳のような目に遭ったのか?)現在では「古墳時代後期の築造で、被葬者はこの地域の豪族(印波国造家の人物)」と考えられているが、私は白鳳時代に龍角寺を建てた高麗人の墓だと思っている。
印旛沼の北東岸、印旛郡栄町酒直・龍角寺から成田市大竹にかけて所在する、古墳時代後期(6世紀)から終末期(7世紀)の古墳群である。
現在確認されている古墳の総数は115基あり、県内でも有数の大規模な古墳群のひとつである。印旛沼に面する台地の縁辺部には6世紀の円墳や前方後円墳が並んでいるが、その中央部の、現在千葉県立房総のむら風土記の丘資料館の周辺には、やや大規模な円墳や前方後円墳がみられる。7世紀の古墳は台地のやや奥に偏っており、とくに北東寄りの一角は7世紀代の方墳が集中している。
7割以上が千葉県立房総のむらの敷地内にあることもあって、多くの古墳が良好に保存されている。発掘調査の成果に基づいて埴輪が樹立されたようすが復元された円墳である101号墳、千葉県で最後に築造された前方後円墳「浅間山(せんげんやま)古墳」、7世紀のものとして全国最大規模の古墳である方墳「岩屋古墳」など、指定範囲内には93基の古墳が含まれる。またこの古墳群は、近傍に所在する白鳳期創建の龍角寺や律令制下の埴生郡衙跡との密接な関連が想定されている。
この古墳群と周辺遺跡の背景には、印旛沼北岸から香取海南岸に本拠を置いた一豪族が、大和王権の東国支配が確立されていく過程で王権の代行者としての地位を獲得し、律令国家成立後も国家機構の一翼を担う在地勢力となったことが考えられる。
岩屋古墳に登れる&石室内に入ることが出来る日は、「春まつりの開催日(今年は3月23日)と11月3日の「文化の日」のみ」と決まっているが、観光客は無知なのか、知っていてのルール違反なのか、(石室には鍵がかかった扉があって入れませんが)お構いなしに登っているという(伝聞情報)。


岩屋古墳には「龍角寺七不思議」の「貸椀伝説」がある。
冠婚葬祭等で多くの食器が必要になった時、岩屋(隠れ里)の隠れ座頭にお願いすると用意してくれるのだという。使用後は返却するのであるが、返さなかった食器が龍角寺に保管されている。
「隠れ里」というと、人里離れた山奥の村で、平家の落人が住んでいそうであるが、ここでいう「隠れ里(かくれざと)」は「幽界(洞窟、地下世界)」であり、語呂合わせなのか「隠れ座頭(かくれざとう)」という妖怪が棲んでいるという。