
高麗1300(埼玉県日高市)

■日高市
■高麗1300
◎曼珠沙華の巾着田
◎九万八千社

https://dl.ndl.go.jp/pid/1051361/1/106
九万八千社
高麗本郷の鎮守たり。
例祭9月29日。
梅原村の里正・三郎兵衛が持なり、此の正三郎兵衛はもと当村の民なりしが、高麗町を移せし時、彼の村に移住すと云。
〇「九万八千」という社名について
「九万八千」という社名は、一説に九万(高麗)と八千(新羅)に由来するものという。即ち「高麗新羅神社」ということであるが、高麗と新羅を一緒(一所)に祀ることは無いと思う。「九万」は高麗としても「八千」は八千矛神(大国主命とは別神で、高麗から越に渡来した人物?)で、「高麗に坐す八千矛神」の意か?
余談ではあるが、日本武尊東征時の本営(本陣)である式内・久佐奈岐神社(静岡県静岡市清水区山切)の別名が「九万八千社」です。社伝では、日本武尊東征後、東征の副将軍であった吉備武彦が当地を治めることになった時に、本宮跡に社殿を築いて日本武尊を祀ったのに始まったとしています。日本武尊軍9万8千人を祀っていたことから「九万八千社」と呼ばれ、祭祀時には9万8千の幣帛を奉納していたという。この由緒もちょっと・・・日本武尊軍は9万8千人もいなかったと思うぞ。
式内・久佐奈岐神社は駿河国にあります。『続日本紀』によれば、駿河国などにいた高麗人1799人を武蔵国に集め、高麗郡を設置したそうです。九万八千社付近に住んでいた高麗人は居住地を奪われ、九万八千社と共に武蔵国高麗郡に移され、旧社地には日本武尊が祀られて久佐奈岐神社となった?
辛卯。以駿河。甲斐。相摸。上総。下総。常陸。下野七国高麗人千七百九十九人。遷于武蔵国。始置高麗郡焉。