メインコンテンツへスキップ
見出し画像

第6碗 お茶とお軸とAIと

    茶道は総合芸術だといいます。

    茶碗、茶入、茶杓、釜、花入、そして茶室そのもの。陶芸、漆芸、金工、建築、華道……。日本の伝統文化が、この小さな空間に凝縮されています。

    そして、床の間には掛け軸(お軸)。

    茶室の主役ともいえる存在です。

    ふむふむ。なるほど。

    で、何と書いてあるの?

    ……読めない。

    いや、意味が分からないのではありません。

    そもそも文字が読めないのです。

    先生に教えていただけば、「なるほど、そういう言葉なのか」と分かります。でも、説明されなければ、何が書いてあるのかさえ分からない。

    茶人を目指す以上、掛け軸に何が書いてあるのかくらい、自分で読めるようになりたいものです。

    そこで、くずし字の勉強を始めました。

    画像
    あの【千宗旦】書「春入千林處々鶯」
    まあ言われて見ればそうは見えるけど、、言われないととても読めない

    くずし字、自由すぎませんか?

    まずは入門書を買いました。

    ところが、これがさっぱり分からない。

    ひらがなには、昔、同じ音を表す文字がいくつもあり、それをさらに崩して書く。しかも、書く人によって形が違う。つなげたり、伸ばしたり、省略したり。

    ちょっと待ってください。

    そんなに自由でいいんですか?

    同じ文字なら、せめてもう少し似せて書いてくれませんか?

    しかし、文句を言っても始まりません。

    だったら、自分で書いて覚えるしかない。

    そう考えて、百人一首を全部書写してみました。

    画像
    書写した【百人一首】
    左頁の歌など左から右に書いている。どれだけ「自由」なんだ、、

    一首、二首、三首……。

    百首。

    我ながら、なかなか根気のいる作業です。

    その甲斐あって、少しずつ読めるようになってきました。

    やった!

    これで掛け軸も読めるぞ!

    ……と思ったのですが、別の人の字を見てみると、

    読めない。

    全然読めない。

    結局、お手本を書いた人の字が、何となく読めるようになっただけでした。

    ほかの人が書くと、もう別の文字です。

    どう見ても「そ」にしか見えない字が、実は「み」だったりする。

    いやいやいや。

    それ、どう見ても「そ」ですから!

    皆さん、自由に崩しすぎです!

    画像
    右32番は伝藤原行成の「に」(字母は耳)
    左27番は後鳥羽天皇の「そ」(字母は曽)!

    そんな折、講談社の『茶掛を読む』という本に出会いました。

    第1巻は「かな」。まさに私のためにあるような本です。

    そこに、くずし字を読むための手順として、こんなことが書いてありました。

    「読める字から読む」

    えっ? それでいいの?

    読める字を拾い、前後のつながりから分からない字を推測する。筆の運びを追いながら、一文字ずつ読み解いていく。

    何だ、そういうことだったのか!

    専門的に学ぶ人だって、最初から全部の文字をすらすら読もうとするわけではないのです。

    これには救われました。

    そうか。

    くずし字は、最初から全部読めなくていいんだ。

    だったら、読める文字を一つずつ増やしていけばいい。

    そんなふうに少し気が楽になったところで、一人の人物に出会いました。

    藤原定家という一条の光

    藤原定家。

    鎌倉時代初期の歌人で、『小倉百人一首』の選者としても知られる人物です。

    この人の書を見たとき、驚きました。

    何だ、この分かりやすさは!

    ほかの人の文字に比べて、ずっと読みやすいのです。何より文字が比較的独立している。一文字一文字が、ちゃんと自分の居場所を持っているではありませんか。

    定家さん、ありがとう!

    そこで、もっと定家の字を読んでみようと探していると、『奥入(おくいり)』という本に出会いました。

    何と、藤原定家が『源氏物語』について書いた注釈書です。

    あの定家が、あの紫式部の『源氏物語』を読んで、あれこれ注釈を加えている。

    いわば、定家による『源氏物語』へのツッコミ集です。

    もちろん、そんな軽いものではありませんが、面白そうではありませんか。

    しかも、定家の自筆本を再現した復刻版があるという。

    さっそくメルカリで探してみると、ありました。

    しかも、安い!

    えー?

    こんな本が、こんな値段で買えるの?

    あの藤原定家ですよ!

    画像
    【桐箱入り! 藤原定家 奥入】が 2,400円。メルカリありがとう!

    800年も前の大歌人が書いた文字を、今こうして自分の机の上で眺められる。復刻版とはいえ、十分に興奮します。

    本を開いてみました。

    おお!

    すごい!

    上手い!

    さすが定家!

    これは読めそうです。

    さあ、読んでみよう。

    ……。

    ……あれ?

    読めそうなのに、読めない

    確かに、ほかのくずし字よりは分かりやすい。

    でも、分かりやすいことと、読めることは別でした。

    何となく分かる字はあります。しかし、一文字分からなくなると、そこから先が怪しくなってきます。

    ああ、惜しい!

    これ、すぐ横に活字の翻刻があれば、絶対に勉強になるのに!

    ところが、そんな親切なものは付いていません。

    せっかく定家という一条の光が差し込んだと思ったのに、またもや暗闇です。

    仕方なく、今度は『奥入』を活字に翻刻した本を探しました。

    ありました!

    これも、安い!

    えー?

    みんな、そんなに興味ないの?

    画像
    「奥入」の翻刻(現代文字に置き換えたもの)1,350円!ありがとう「日本の古本屋」!

    ともかく、これで原文と翻刻を照らし合わせることができます。

    ようやく勉強する準備が整いました。

    ところが、ここで新たな問題が。

    翻刻というのは、昔の文字を今の私たちにも読める文字に直したものです。

    つまり、文字が分かるようになっただけ。

    何が書いてあるのか、意味まで分かるとは限りません。

    相手は800年前の人間です。しかも、『源氏物語』という千年以上前の作品について論じている。

    くずし字を読むという山を越えたら、その向こうに古文を理解するという、さらに高い山が現れました。

    では、現代語訳を買えばいいじゃないか。

    ……ない。

    少なくとも、私が探した限りでは見つからないのです。

    翻刻までは何とかたどり着ける。

    でも、その先がない。

    どんだけ無視されてるんですか、『奥入』!

    こうなったら、自分で訳すしかない!

    ここまで来ると、少し意地になってきます。

    現代語訳がないのなら、自分で訳してみようじゃありませんか。

    まずは定家の文字を一つずつ覚える。

    そして『奥入』を読み解き、古文の意味を調べ、現代語に訳していく。

    いつの日か『奥入』現代語訳を出版!

    もちろん、AIと一緒に。

    ……。

    結局、AI頼みかい!

    実は、すでに定家の文字をAIと一緒に読み解く作業を始めています。

    そこで、ふと思いました。

    画像
    連綿体でない分、ギリギリ読めそうな気がしないでもない
    伝藤原定家の【奥入】「桐壺」より、、

    ひょっとして、すごいAIができるのでは?

    定家の文字を一文字ずつ読み解き、原文の画像と翻刻を対応させて記録していく。

    「は」はこう書く。

    「り」はこう崩す。

    「に」はこんな形にもなる。

    そうしたデータを蓄積していけば、定家の筆跡を読み解くAIを作るための教材になるのではないでしょうか。

    つまり、

    藤原定家の文字が読めるAI。

    もちろん、AIと会話するだけで勝手に学習してくれるわけではありません。だからこそ、文字の画像と正しい読み方を一つずつ保存しているのです。

    定家の字が読めるようになったら、次は別の書き手に挑戦する。

    もっと自由に崩された字も覚えさせる。

    そうすれば、いつの日か、さまざまなくずし字を読み解くAIができるかもしれません。

    今は読める人が限られている古文書も、誰でも読めるようになる。

    何百年も前の人が書き残した言葉が、現代によみがえる。

    失われつつある日本文化を、AIの力で未来につなぐ。

    おお!

    何だか、ものすごく立派なことを始めようとしている気がしてきました。

    もしかしたら、残りの人生をかける価値がある仕事なのではないか。

    壮大な妄想が膨らみます。

    ……いや、待てよ。

    ところで、何の話でしたっけ?

    そもそも、私は何をしようとしていたのでしょう。

    古文書の研究者になりたかったわけではありません。

    藤原定家の専門家を目指していたわけでもありません。

    ましてや、AIの研究者になろうなんて、夢にも思っていませんでした。

    そうです。

    茶道です。

    私は茶人になろうとしていたのでした。

    床の間に掛けられた一幅の書。そこに何が書いてあるのか、自分で読めるようになりたかった。

    ただ、それだけのことだったのです。

    それがいつの間にか、百人一首を書写し、藤原定家を研究し、『源氏物語』の注釈書を現代語訳し、果ては古文書解読AIの開発にまで話が膨らんでしまいました。

    ずいぶん遠くまで来てしまったものです。

    でも、考えてみれば、茶道が総合芸術だというのは、こういうことなのかもしれません。

    一つのことを理解しようとすると、その向こうに別の世界が広がっている。

    掛け軸を知ろうとすれば書へ。

    書を知ろうとすれば、くずし字へ。

    くずし字を読もうとすれば、古文へ。

    そして、気がつけばAIへ。

    ちょっと行き過ぎた気もしますが、まあ、いいでしょう。

    何せ、茶人への道はまだまだ遠いのです。

    一つ一つ自力で極めていたら、10年なんてあっという間に過ぎてしまいます。

    だから、少しくらいAIに頼ってもいいのではないでしょうか。

    いや、少しくらいではありません。

    かなり頼っています。

    でも、最後に考えるのは私です。

    ……たぶん。

    何せ茶人への道は、まだ遠い。

    そのくらい、ズルさせてもらってもいいすか?

     
     
    アジア(タイ・ベトナム・中国)放浪を経て、20年以上研究する仏教とAIの接点を探究中。著書に『一瞬で心が晴れる明るい仏教の話』『一生つかえる明るいAIの話』筑波大学で心理学を専攻。CM・Web・OOHなど幅広いメディアでCD担当、IT会社経営の後アジアへ。

    あなたへのおすすめ