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美#256「冨田渓仙が仙厓に私淑していたので、仙厓や白隠の絵を見始めてしまい、禅の世界の振り返りも、ちょっとするようになりました。もう禅の悟りなどは、もちろん目指してませんが、禅は深くて、広い沼なので、のめり込まないように、自制心を働かせて、禅の文化にアクセスする必要があります」

                「アートノート256」

     明治以降、つまり近現代の南画家は、鉄斎のone topだと、個人的には思っているが、強いて二番手を挙げるとすると、富田渓仙だと想像している。去年の春、渓仙の「嵐山の春」を、山種美術館で見た。学生時代、京都・奈良は相当、歩いたので、嵐山にも、渡月橋にも、瞬時に感情移入できる。今やインバウンドの外国人観光客だらけの京都に、わざわざ出向きたいとは、考えてない。絵を見ているだけでも、充分、満足できる。
     南画というのは、本来は、中国の文人画のことだが、江戸時代に、大雅や蕪村、玉堂らによって、日本でアレンジされて、南画として、成立したと判断できる。が、明治以降、南画は、急速に流行遅れになった。花の都、大東京は、南画とは到底相容れない土地柄だと言える。東京には南画的なエートスのかけらもない。私は、武蔵野台地に通算すると、46年間暮らしているが、武蔵野の自然は、南画のそれとは異質なものだと理解している。南画家が生まれるとしたら、京都。が、途方もなく、わさわさした観光地が、真のアートを生み出すとも、考えにくい。
     富田渓仙の画集を取り出してみた。渓仙は博多で生まれている。江戸時代の南画家の田能村竹田は、大分の竹田市出身。九州と京都とを行き来して、南画を描いた。富田渓仙は、活動の拠点を京都に置いて、各地に出向き、時々、博多にも帰省した。
     富田渓仙は鉄斎に私淑していたと推定できる。鉄斎は89歳まで長寿を保ったが、渓仙は57歳で急逝した。死因は脳溢血。日本美術院の大先輩の今村紫紅も、やはり脳溢血が原因で、35歳で逝去している。
     脳溢血や心筋梗塞で死亡するのは、明らかに運動不足。渓仙は、煙草が好きだった。煙草好きの人が、日常的に運動しているということは、考えにくい。
     私自身、二十歳の時、10ヶ月間、喫煙をしていた。煙草は、間違いなく、気分転換になる嗜好品だと、理解できた。アルコールは酔ってしまうが、煙草は、吸い始めの頃、少しだけ酔うが、一週間も吸っていれば、ニコンチ・タールに慣れる。私は、アメリカ煙草(クィーンケント)を、毎日、ひと箱(20本)吸っていた。大学1年の夏合宿は、仲間に分けてあげる必要もあったので、二カートン(24箱)合宿所に持ち込んだ記憶がある。
     合宿所は、長野の山奥だったので、川で泳ぐことは可能だったが、煙草を吸っていると、泳いだり、走ったり、山登りをしたりと言った、有酸素運動は、なるべく避けたいと思ってしまう。もっとも、これは二十歳の頃の思い出。50代で煙草を吸っていたら、普通に歩いたり、階段を上り下りすることすら、多分、億劫に感じてしまう。
     煙草を吸う人間は、普通にアルコールも飲む。私の故郷の土佐では、大酒を飲むことが、徳であり、高い価値を持っていた。そういう生活スタイルだから、50代で脳溢血、心筋梗塞で死亡することは、少しも珍しいことではなかった。大酒を飲んでいるヘビースモーカーが、長生きをしたという話を、聞いたことがない。
     富田渓仙は、南画の本質を見極めるために、台湾及び中国に出かける。台湾には三ヶ月間滞在した。その後、中国に行ったが、伝染病に罹患し(コレラ?)、予定を繰り上げて、帰国した。
     ところで、台湾は南画の舞台だったとは、言えない。画集に掲載されていた「台清風物図貼交屏風」を、一枚ずつ丁寧に全部見たが、台湾の景色だと思える絵は、一ミリも南画的ではなかった。が、台湾を舞台とした、新南画が生まれるとしたら、それはそれで構わないと納得できる。
     富田渓仙は、台湾、中国旅行の後、「台清漫画紀行」を自費出版し、それを親しい仲間(俳人が多い)に頒布した。その「台清漫画紀行」を、河東碧梧桐が、連載中のコラムで賞賛した。
     去年の秋、お茶の水で開催された、教え子のお母さんのJさんの書の個展に出向いた。会場には、河東碧梧桐の全集が並んでいた。Jさんの亡くなった御主人は、短詩を書く詩人だった。その短詩は、どうやら河東碧梧桐の自由律俳句の影響を受けているらしい。
     しかし、そもそも、私は河東碧梧桐のことを、良く知らない。同窓の虚子に関しても不案内。知っているのは、この二人と子規とが、愛媛県松山出身だと言うことくらい。松山出身のこの三人の俳人には不案内だが、松山については、ある程度知っている。通算すると、百回近く、松山には出向いたことがある。四国の中で、最も暮らし易い街は、愛媛県の松山だと、確信している。が、四国に住んでいて、南画を描くことは、ラクダが針の穴を通るより、難しい。九州北部とか、本州の京都以西なら、南画を描くのに、差し支えはないような気がする。
     目を痛めないように、日頃、結構、気配りしている。スマホを絶対に見ないのは、目をガードするためにというのが、正直、大きな理由。パソコンのモニターは、やむえず見るが、必ず窓を開けて、20分に一度、20秒くらい窓の外を眺めている。いわゆる、20-20-20のルール(20分に一度20秒くらい20フィート離れた外を見る)を遵守している。市販の目薬などは、絶対に使用しない。職場の同僚が、机に突っ伏して昼寝をしたりしている姿を時々、見かけるが、その姿勢だと、眼圧が上がり、目に過度な負担をかけてしまう。
     どれだけ気配りしていても、老化とともに、視力は下がる。そこで、やむなくルーペを使って、画集の絵の細部を確認するようになった。富田渓仙の「樊籠帳」という台清旅行のスケッチ集を、見てみた。たとえば、荷車の後ろにいる青い服の兄ちゃんをルーペで眺めてみると、手に力が入っていて、荷車を押していることが確認できた。鵜飼い船に乗っている鵜の表情を子細checkすると、こんな仕事は本当はやりたくないと、しれっとした目をしていることも理解できた。機を織っている様子を、ルーペで拡大すると、縦糸、横の糸目の色もはっきり認識できた。文明の利器は、嫌いだが、江戸時代から存在しているルーペくらいは、あっても構わないと、自分を納得させた。 

     
     
    高校教員の定年を機にエッセイを掲載することを決意。教育エッセイ「たかやんnote」、大学受験エッセイ「受験ノート」を掲載します。他にもジャンルを絞らずエッセイ書きます。多くの人に読んでいただければ幸いです。[発言は個人のもので所属する組織の意見ではありません]

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