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メモ 冷戦時代にソ連と共に情報戦に加わったチェコスロバキアの情報機関の働き

    冷戦時代にソ連が遂行した情報活動に比べて、中東欧諸国の情報活動に注目が集まることは、それほど多くはないかもしれません。しかし、ソ連の情報機関はワルシャワ条約の加盟国がそれぞれ持っている情報機関との国際的な協力関係を確立していました。時には、中東欧諸国が西側の政界に深く浸透し、エージェントを確保することもあったのです。

    チェコスロバキアは1956年に西ドイツ連邦下院のNATO防衛委員会の一員をエージェントとして確保したことがあり、この人物が1960年に逮捕されるまで4年にわたってNATOの情報を入手していました(リチェルソン『剣と盾』241頁)。また、1956年には西ドイツの右翼組織の名前を騙り、その反対派に向けて運動支持への感謝状を贈りつけました。このため、かえって右翼組織への非難が殺到することになり、評判を落とすことになりました(同上、248頁)。

    チェコスロバキアの情報機関は、その後も大きな工作に従事していたことが分かっています。1964年5月末のネプチューン作戦では、まずチェコスロバキアの情報機関が4個の大きな箱をボヘミアの湖に沈めるところから始まりました。数週間後に、この箱はドキュメンタリー映画を撮影していたテレビ局員によって「発見」され、中に入っていたナチの文書が報道されました(同上、249頁)。その文書にはフランス国内でドイツが実施していた情報活動や捕虜の取り扱いに関する資料が含まれており、1965年5月に期限切れとなる西ドイツ戦争犯罪期限法の廃止反対キャンペーンを国際的に盛り上げるために利用されました(同上)。

    チェコスロバキアの情報機関はアメリカに対する情報活動も遂行しましたが、活動の母体として使ったのは大使館、国連代表部、航空会社のチェコ航空の支部、新聞支局、旅行者視点、その他、商業機関であり、主な目標として国防総省、ホワイトハウス、国務省など安全保障関連の組織であり、また議会、正当、労働組織、政治団体なども対象としていました(243頁)。政治情報だけでなく、並行して軍事情報、経済情報の収集も行っていました(同上、243-4頁)。

    アメリカで外国の情報活動を警戒監視している連邦捜査局の報告によれば、チェコスロバキアはソ連のエージェントがアメリカの中央情報局に浸透することを支援したこともありました。1963年から1965年にかけて情報将校としてチェコスロバキアで訓練を受けたカール・カーチャーは1965年にアメリカに合法的に入国して市民権を取得し、中央情報局に就職しています(256頁)。それからカーチャーは長期にわたって勤務を続け、秘密情報の取り扱いも認められており、1977年まで勤務していました(同上、246-7頁)。

    ほとんど知られていないことですが、冷戦時代のチェコスロバキアが行っていた情報活動の標的には日本も含まれていました。チェコスロバキアの情報活動は古典的なヒューミントに依拠していましたが、その技術は決して西側にとって侮れるものではありませんでした。

    参考文献

    • ジェフリー・リチェルソン『剣と盾 ソ連の情報戦略』乾一宇訳時事通信社、1989年

    • Kaňák, P., & Koura, J. (2024). In the Shadow of the KGB: Legacy of Czechoslovak Intelligence (1948–1989). International Journal of Intelligence and CounterIntelligence, 37(2), 450-481.

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    一般向けに政治学、地政学、軍事学の知識をお届けしています。大学で政治学も教えていますが、この筆名で『現代軍事学入門』を出しています。普段の文献の紹介ではAmazonアソシエイトの紹介料を受けています。

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