
【はじめてのnote】コンビニで使う1000円からインドへ!
昔は思ってることを書くなんてすごく簡単だったけど、年々むずかしくなっている上に格好つけも入ってか、なかなか書き表せない。でも、今回のインドの旅が素晴らしすぎて、とにかく一秒もその時の経験を無駄にしたくないという気持ち。
ところが、いざ書き出そうとすると、ペンの書き心地が気になって他のペンに変えたくなったり、急に口内炎が気になりだしたりするから(さっきネット見てた時は気にならなかったのに)心の抵抗がすごい。んだと思う。
…くだらないけど、気になりすぎてペン変えた。いつか自分で読み返した時、くだらなすぎてがっくりきそう。
ひとことでまとめると、今回の旅で強く思ったことは、「すべてが何かの準備だったんだな」ということ。
漠然としてるけど、一つ一つの全てが結果でもあり、準備でもあった。でもそれが何かの準備になってるってことにその時は気が付かないから、結果が分かっていれば一生懸命こころを込めてやることも、結果が分からないという理由でやらなかったり、何か得るものがないと思ってやらなかったりしてきた。本当はやりたいんだけど、合理的・実用的な効果がない場合なんかは、特に。
今回、ちょっとどうなるか分からないけど、むしろお金や時間の工面もできるかあやしい状態で、子どもを連れて家族全員でインドに行こう、と決めたことは、今までの生活の枠からあきらかに外れていた。とても慎重で計算高い生活が基本だったから。
決めた後にも不安ばかり。小学生の子どもたちは付いてこれるのか?犯罪は?渡航危険度は?病気になったりしたら?
だけど、実際に行ってみてこの選択は心の底から大正解だった。むしろ今まで、自分はこういうふうに人生の扉を開けていってたんだったと、それでよかったんだと分かった。というより、やっとその感覚を思い出した。
自分でもなぜか分からないけど、それをやる。気になったり、チャンスが巡ってきたりするのは、たいていの場合突然で、なんかいいな!と思ってしまう。気になる理由は、人に納得してもらえるまでの説得力もなく、うまく説明もできないので、いつもツッコミどころ満載の理由をこじつけて押し通してた。大目に見てもらってきた。だから、それを引け目にも感じていた。あまりに子供っぽい気がして。
けど、なーんだ、という感じ。なーんだ!それが一番よかったんじゃん。だって、理由なんて特にないけど、気になるしやってみたいんだもん。
迷いに迷って決めた家族でインド。頭では不安や危険な状況ばかり思い浮かぶ。でも心がわくわくするんだもん。あー。この感覚。無視しないでよかった。行ってみてやっと思い出した、かれこれ15年ぶりくらいに。
やりたいことを「やろう!」と決めて、それに必要な知識を学ぶ。この、自分が学ぶときにお金をかけられなかった。なぜ?
子育て中、田舎暮らし、お金もないし、これから増える予定もなかった。自分のやりたいことをすべて削る生活とまでは行かないけど、それなりに制限したり、自分のちょっとした興味や欲求を無視したりすることに慣れきっていた。子どもたちが乳児のころはトイレ行きたいのさえ無視してたしなぁ。子どもが寝たあとでトイレ行きたいこと思い出し、駆け込む…そんなお母さんわたし以外にも多いはず。
数年前、子どもが成長して少し自分自身にも時間の余裕ができた。そうしたら、ちょっとしたわくわくするアンテナが戻ってきた。そして、いま何か始めないとすごく勿体無い気がしてきた。外国語やりたいなーとか、健康について知りたいことある~とか、この人の話聞きたいなとか。時間はあったから、なるべく無料で得られる情報で自分を満足させようとしていた。
あるとき「コンビニでお菓子やアイスを買って1000円使えるのに、自分の知りたいことを知るための2000円の本を買うのに躊躇するなんて終わってる」という夫の一言を聞いて、あぁ、そうか、と思った。同時に、今まで大学までの学びの余力で生きてきたのか、とも思った。親が用意してくれた環境やお金で。
そうか、学ぶってお金も時間もかかるんだった。というより、お金も時間もかける価値があることなんだった。わたしは今まで、自分の学びにどれだけの対価を支払った?なんで自分の学びにお金や時間をかけるのがもったいないと思ってしまってたんだろう?
そう思って、ハッとしたのが確か3年前。ちなみに夫の一言は、夫もまた、学ぶなかで出会った言葉だったらしく、それをわたしに共有してくれたという経緯。そこから私たちは本やネットで得られる知識に対価を払い、それぞれが学びたい情報や経験する機会を得るようになった。
日常生活はそれなりに回っている、でも、なんだか自分たちの力や時間を持て余しているんだよなぁ〜と感じていた私たちにとって、「あぁ、そうか」とその言葉を受け取ったことはひとつの大きな転機だった。
(つづく)
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