
【アンサー】妻が見ていた子どもの勉強を父親である私が見るようになった理由
先日、妻の記事にこうあった。
「それまで夫は、子どもの勉強には全くノータッチ。口を出すことも関心を示すこともなかった。でも、ある日を境にまるで無言の圧力のように『勉強は俺が見る』という空気を感じた。」
こうなったのには、私なりの理由や考えがあった。それを妻へのアンサーとして書こうと思う。
幼少期の経験
私は物心がついたときから、母親に積まれたテキストを解いていた。
自分の意志とは無関係に。目的も意味も知らされないまま。
大判の封筒に入っていた、表紙が緑のテキスト。
強烈すぎて今でも覚えている。
一体どこで買っていたのやら。
書店ではないだろう。
泣きながらやってたこともあったように思う。
これが小学校高学年まで続いた。
小学校5年になると平日、近所の塾へ行き、小学校6年になると平日はそのまま、土日で全国区の有名塾へ行くようになった。
そんなことをやっていた、やらされていたので、小学校の小テスト、定期テストレベルでは困ったことはなかった。
間違えるはずもない。無双である。
ただ私はそれを「異常」とも思っていたので、我が子にはそうすまいと考えていた。
また、私が自分の子どもに教えると、自分の経験からどうせ厳しくなってしまう。
だから中学校入学前までは妻に任せて、後は地元の塾へ入ればいいか、高校受験でも全力出してほしくないし、そこまでは省エネで、その代わり口も出さない、と決めていた。
小さいうちから死ぬ気で頑張ったところで、私みたいに些細なきっかけで燃え尽きて終わることだってあるからだ。
転機
いつだったか忘れたが、子どもの小学校の算数テストを何気なく見た時、「ん?」と思ったことがあった。