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「完成させるのは、その後に生きる人です」


    親は子どもの人生を完成させることはできません。

    どれほど愛情を注ぎ、教育し、心配し、道を整えたとしても、
    その子がどんな人生を歩くのかは、
    その子自身が決めていくものです。

    親にできることは、
    人生の入り口まで寄り添うこと。

    その先の道を歩くのは、子ども自身です。

    だから親は、
    「完成」を目指すのではなく、
    「託す」ことを覚えなければならないのでしょう。

    会社も同じです。

    創業者は会社を大きくすることはできます。

    理念をつくり、商品を生み、社員を育て、
    社会に必要とされる会社へ育てることもできます。

    しかし、
    その会社の未来まで完成させることはできません。

    どれほど偉大な経営者でも、
    百年後の会社を自分の手で経営することはできないからです。

    会社は、
    次の経営者が育て、
    そのまた次の世代が変えていきます。

    本当に会社を完成させるのは、創業者ではありません。

    未来を引き継いだ人たちです。

    建築もまた同じです。

    建築家は建物を設計します。

    図面を描き、材料を選び、工事を見守り、完成の日を迎えます。

    けれど、
    その瞬間は、本当の意味での完成ではありません。

    人が住み始め、

    笑い、

    泣き、

    子どもが育ち、

    誰かを送り、

    また新しい誰かが暮らし始める。

    そうして建物には時間が積み重なります。

    建築家がつくるのは「器」であって、
    その建物の人生ではありません。

    建物の人生を完成させるのは、
    そこで暮らした人たちなのです。

    私は、
    このことを歳を重ねるほどに感じるようになりました。

    若い頃は、「完成させたい」と思っていました。

    仕事も人生も作品も、
    自分の力で最後まで仕上げたいと思っていました。

    けれど、
    人は途中までしか生きられません。

    どれほど努力しても、
    自分の人生で見届けられる未来には限りがあります。

    だからこそ、
    「完成」に執着する必要はないのだと思うようになりました。

    大切なのは、
    次の人が続きを描けるようにしておくことです。

    小説も同じです。

    作者は物語を書き終えることはできます。

    しかし、
    その作品を完成させるのは読者です。

    読んだ人が涙を流したり、

    誰かを思い出したり、

    人生を少しだけ違う角度から見つめたりする。

    その瞬間に、物語は作者の手を離れます。

    そして、
    それぞれの人生の中で、新しい意味を持ち始めます。

    人生とは、
    完成させるためにあるのではなく、
    受け渡していくためにあるのかもしれません。

    親から子へ。

    創業者から次の経営者へ。

    建築家から住む人へ。

    作者から読者へ。

    私たちは、
    すべてを完成させることはできません。

    でも、
    次の誰かが続きを歩けるような
    「始まり」を残すことはできます。

    それだけで、
    人は十分に役目を果たしているのではないでしょうか。

    完成させるのは、その後に生きる人です。

    だから今日も、
    自分にできるところまでを、
    丁寧に生きていけばいいのだと思います。



     
     
    私は、人間を書いています。 善人と悪人では語れない弱さ。 正しさだけでは救えない悲しみ。 それでも誰かを想い、生きようとする姿。 その一つひとつが、 文学になると信じています。 エッセイ、私小説、長編小説を通して、 「人間とは何か」を静かに問い続けています。 さいき静

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