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秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・4/34第四番 荒木 高谷山金昌寺、御堂三間四面西向、本尊十一面観音、立像御長三尺一寸、行基菩薩御作

    秩父三十四所観音霊験圓通傳 秩父沙門圓宗編・・4/34

    第四番 荒木 高谷山金昌寺、御堂三間四面西向、本尊十一面観音、立像御長三尺一寸、行基菩薩御作。

    當寺十一面観音は、𦾔は同郡高篠と云處に坐ける。其頃此あたりに荒木丹下とかや云し男住ける。性得僻たる心根に、邪師の勧を聞て、倍慳貪になりて、佛法を破し因果を撥無して、僧法師を罵辱め、鰥寡孤獨の窮をも済はず、況や巡禮の旅僧なんどには半銭の施だにもせざれば、行脚の僧徒さへ聞傳へて此門に彳む事なかりしに、一日巡禮来て食を乞ふ、丹下あな姦かましと、杖を以追出せり。其順禮すこしも驚かずして云へりけるは、與まじきならば言を以てすべし。はしたなき振舞哉と気色ばうて止ず。丹下彌怒て曰、何を言ぞ、我國は神國にして一粒の米だも皆神の御寶也。我神を敬ひ、天子を貴、國公をあがむるときは、一家の道爰に足れり。殊に汝はいまいましき佛法の徒也。何の故には半銭だもあたふべきぞ、疾々出来るべしと言つのって訇(ののし)り合へり。順禮ときに曰、さて云給なぞ、神既に曰、天の下の民に皆天の性也と。然らば我も性の一數也。汝なんぞや、我に向て神の御寶を惜しむと云、天子を貴むゆへに先我に施すべし。天子は民の父母たり。吾餓死は天子の憂たるべし。聞ずや此斂せざる穧有り(刈って田に残した稲)後、遺秉(へい・稲たば)あり、此に滞穂有り、伊寡婦之利と。(詩経 小雅 「大田」『彼(かしこ)に遺秉有り,此(ここ)に斂めざる 穧(かりいね)有り,伊れ寡婦の利。』と)。我今世の施無んば賊とならん。賊とならば國さはがん。故に國公をあがめば先我に施すべし。神は皇親の心の教へ、佛は自他平等と説けり。且一切衆生皆是吾子ともはべり。我今汝が心僻み三界に流転せん事を見んば、誠に我生る迷子の如し。汝なんぞ神の國人を貴むと云ながら、乞食に施行すまじと云や。とくとく邪気を除くべしとねんごろに教戒せるに、丹下発機し涙をながし佛説誠に廣し、今日より入道して志を改むべし、我生ていまだ佛を禮せず。衆生に化縁まします事は観世音に過ぎずときく、さらば供養して奉らんと云て、此本尊を守り遷し奉り、かの順禮を以て堂司とす。斯て一月余り經て、順禮は何處ともなく失てけり。此討論を聞傳へて古老の誌し置けるを閲して、今編に帰して邪見の神道者、偏屈の儒者の排佛の口を閉ん事を欲す。本尊高篠より當地に移らせ給ふ事、中頃の住侶靈佛の告に依て也。當寺の詠歌、註するに及ばず。此故に之を畧す。詠歌に曰

    「あらたかに 参りて拝む観世音 二世安楽と誰も祈らん」

    按ずるに順禮の男は凡人にあらざるべし。必定佛の化現なるべし。皆是吾子の文の如く、我汝をあはれむ事我迷子の如し、となん云へるは、法華経に長者子を憐れむの佛心に叶へりと覚ゆ。疑らくは世人等閑の看をなして信ぜざらん事を思ひて、くりごとながら順禮の應現なる事を説事如是。これ予が老婆心なり。

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