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十日間の関係 第6話 4日目 海の上に立つ(非定型恋愛 前半17話)前半連載中

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    第6話 4日目

     休日で、予定は特にない。だから別に、構わない。むしろあの海岸から当座狩るなら上等だ。
     左手のバックミラーにうつる長く不吉な海岸線を気にしないよう湾岸道路を南下すれば、明治時代のレンガ倉庫を改造したショッピングモールがあり、人混みでごった返していた。普段は人混みは好きになれないのに、さきほどの無人の海岸よりは随分落ち着く。所々に大道芸や屋台が出ている休日感に、樺島は目を瞬かせている。
    「すごく混んでるんだね」
    「まあデートスポットですから」
    「そっか」
     樺島は無造作に袖をまくり、腕時計を眺めた。その様子が耳目を集める。何をしても絵になる人だ。
    「ランチ、には少し早い気がする」
    「朝食べたの遅かったし。そういえば美術展やってますよ」
    「行ってみようか」
     倉庫を改造したギャラリーで、今は棚沢たなざわ画伯が個展をやっていると同僚の誰かが言っていた。棚沢画伯も人物を描く。樺島と違ってあんまりふわふわせずにエッヂの強い印象の抽象画だ。カンディンスキーとか、キュビズムの時代のピカソの印象に近いかもしれない。その画廊は倉庫街の外れにあるためか、他の場所に比べて空いている。

     樺島は並べられた絵を興味深そうに見入っている。
    「棚沢先生の絵、好きなんですか?」
    「好き? よくわかんないな」
     俺も抽象画はよくわからない。なんとなく好き、なんとなく好みじゃない、そんなものだと思う。抽象画自体は嫌いじゃない。
    「僕がさ、何で描けなかったのかよくわかんなくて」
    「え?」
    「ここしばらく描けなかっただろ? それが何でかよくわからなくてさ」
     スランプの、理由。聞くのが躊躇われていたこと。けれど、聞いていいんだろうか。ざわざわと小さな波の音が耳の奥に響く。
    「それは先生にしかわかりませんよ」
    「そういうもの?」
    「多分。描けるようになったのなら良かったのでは」
     なんで描けないかわからない、ってことはきっと、今は描けるということだろう。そのことに少しだけホッとした。画家が描けるようになるためにはどうしたらいいかだなんて、俺にはわからない。もちろんなんで描けなくなったのかも。
     樺島が苦しむ姿を見て、助けられるものなら助けたいとは思った。けれど俺にはどうしようもなかった。そっとしておいて欲しそうだったから、そうした。踏み込まれたくないだろうとも思った。そんな雰囲気だった。俺はきっと、何の助けにもならない。
    「この人は描けなくて困ったりするのかな」
    「どうでしょうか」
     棚沢画伯はコンスタントに新作を発表している。モデルを使って描いていると聞く。何も見ずに頭の中に浮かぶものを描く樺島とは勝手が違うのかもしれない。けれど、どっちみち画家の頭の中なんてやっぱりわからない。

     ぐるりと回ってみたけれど、さほど大きくない画廊だ。何枚か気に入ったポストカードだけ買って外に出れば、空が少しだけ明るくなっていた。きっと雲が薄くなった。カモメの鳴き声が耳に、風に乗った潮が鼻に届く。海というものが空気の中にずっと薄く広がっているような気がする。
     海、だな。
     そう思っていると、そっと左手が繋がれた。思わず見上げれば、わずかに戸惑うような視線が絡まる。
    「これも、違ってた?」
    「そうですね。手を繋いだことはありません」
    「そっか。……駄目?」
     駄目? 手が大きいなと感じた。丁度冷たい海風に冷えた手が温まる。嫌な気分にはならなかった。
    「まあ、いいですよ」
    「ありがとう。また暇になったな」
     樺島が覗く腕時計は12時半過ぎを表示していた。きっとまだ飯屋は混んでいるだろう。
     樺島の家からレンガ倉庫あたりまでは1時間弱はかかる。出かけるのには少し遠く、俺もあまり詳しくはない。第一俺と樺島は一緒にでかけるような仲じゃない。もちろん、デートなんて。
     他に何があったかなと目の前の海をぼんやり眺めれば遠くに船の影が見え、大桟橋からクルーズ船が出ていたことを思い出す。
    「じゃあそこで」
     桟橋辺りには遮るものがなく海風が吹き渡り、樺島の手がより暖かく感じた。まるで海の真ん中に突っ立っているみたいだ。けれどきっと、もう大丈夫だ。樺島はこちら側に帰って来た。その暖かさに、そう感じた。遠く煉瓦倉庫街から耳に届く楽団の音に、連中は寒くないのかなと思う。楽器を掴むむき出しの手を思い出す。
     クルーズ船は休日だから多少は混むと思っていたけれど、昼時だからか空いていた。見上げると灰色で、天気があまりよくないからかもしれない。樺島は甲板の上でずっと海を眺めていてる。何かを探すように遠くを見つめる瞳は、やっぱりなんだか絵になるなと思う。まるで絵の中にいるみたいだ。
     その後割と有名なイタリアンに行って、その結果、何故だか夕食もパスタになった。

    「昼のお店のほうが美味いな」
    「純粋な美味さとしてはそうかもしれませんが、あっちは高すぎます」
     なにせサラダとドリンクをセットにすれば、どれも2500円を超える。場所代だ。
    「値段か……」
    「俺は先生の作ったパスタのほうが合理的で好きです」
    「合理的?」
     イタリアンの後に倉庫街をひとまわりして帰りにスーパーよ入り、色々食材と、思いの外様々なスパイスやソースを買った。次々にカートに放り込まれる品々に、樺島の料理が結構手が込んでいることを知った。
     夕食は樺島が作る。以前食費を払うと伝えたけれど、趣味だし味見してほしいからいらないと言われたことを思い出す。
    「あのイタリアンのパスタは先生のより少し美味いけど、値段が不満です。先生のは美味くて何も悪いところがないので、とても満足感があります」
     樺島はまた薄く微笑んだ。
    「喜んでもらえて嬉しいよ。いつも気にしてたからな」
    「何を?」
    「いつも美味しいって言ってくれてたけど、他の店と比べてどうかはわからなかったし」
    「あの、本当にすごく美味いですよ」
     それは本心だ。人間関係を維持するために無理に嘘を付くような関係でもない。それに他と比べる意味もない。純粋に、賀張真の料理は美味かった。いつも。
    「嬉しいよ」
     そうして樺山は不意に顔を上げ、キャンバスを見つめた。今日は一緒に出かけていたから、当然ながら昨日のままだ。淡いオレンジ色に塗られたキャンパスの中に淡いピンク色の輪郭。

    「どうして描けなかったんだろう」
    「そんな時もありますよ」
    「描けたはずなんだよ。今描けるんだから」
    「まあ、そうなんでしょうね」
     画家がどうやって絵をかいているかなんて俺にはわからない。けれども描けないからスランプになり、今はそれを脱したのだろう。その切欠は……やはりあの海か。海が樺島に何をもたらしたのかはわからないけれど、最悪な結末を逃れて良い方向に傾いた。それなら心配した甲斐はあっただろうか。
    「きっと描けますよ」
    「そうだろうね。描き方はわかる。けれど、描いちゃだめな気がするんだ」
     その言葉に、皿の上の手が止まる。
    「描いちゃ、駄目?」
    「ああ。この絵を僕が描いてはいけない、と感じた」
     不思議なことを言う。
     描けるけど、描いてはいけない。何故?
    「よくはわからないですが、それなら違う絵を描いてはどうですか?」
    「……そうだな。そうしようか」
     それからカモミールティーを淹れて、隣りに座ってダラダラと一緒にテレビを見た。そして一緒に寝た。ただ、寝るだけだ。こんなふうにただ誰かと一緒に寝るなんて、随分久しぶりな気がする。何時ぐらいぶりかな。多分子どものころ以来だ。
    「何で急に一緒に寝たいなんて言い始めたんです?」
    「そうしたかったんだ。駄目なら断ってくれていいんだよ」
     樺島の瞳は相変わらず、妙に澄んでいた。きっと本当に断ってもいいんだろう。そのことにほっとした。
    「そう、ですか。別に嫌じゃないですよ」
    「よかった」
     樺島は体温が高いなと思った。
     なんとなく、ドラマならこんなイケメンに抱きしめられたら恋に落ちるものなのかなと思う。俺には整った彫刻くらいにしか思えないのだけど。

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