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あけぬ夜はなし 第4話 身請け金(明治ファ全19話50000字)連載中

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    4.身請け金

     陽二郎の生活は一変した。
     これまでそれぞれ顧客それぞれに似合う帽子なり洋装なりを見繕う仕事をしていたが、誰にでも似合う汎用的な洋装という仕事は初めてのものだった。宇吉にとっても同様だ。
     手探りで様々に色味を組み合わせ、日毎にいくつかの試しサンプルを持ち寄り、検討を重ねる。見知った異人に様々な国の警察の制服や制帽を尋ねて歩く。珈琲店はそのような知己を得るにも、道行く人々を観察するにもちょうどよい場所だった。
    「白河さん、ケピ帽というのは不思議な帽子ですね」
     宇吉は今も往来を眺めながら、紅茶を傾ける。宇吉には珈琲の味はなじまないらしい。陽二郎は帳面をめくり、いくつかの帽子の荒書きを示す。
    「仏国の軍隊で使用されているそうです。このように円筒形で短いツバがある」
    「まるで風光堂ふうこうどうの焼き菓子の缶のようです」
     宇吉はともすれば、子供のような笑い方をする。その目的に向けた、曇りのない目が陽二郎にはひどく眩しく映った。
     風光堂は同じ新興区にある洋菓子屋で、昨今贈答に人気がある。確かに中の菓子を除いて缶を逆さにかぶれば、似たような姿にはなるかもしれない。
     もともとの神津警察の制帽もケピ帽であったが、この珈琲店で眺めてはツバの始まりの位置が内に寄って不格好だと思っていたところだ。おそらくもともとの様式は西洋人の頭の形に合わせたもので、頭が横に広い日本人であればよりツバの両端を広く取るべきだろう。試作したものはより日本人に合って見えた。
    「なるほど。さすがは白河さんです」
    「いえ、山辺さんこそ素晴らしい。威厳の出し方など、服にも目的に応じた型というものがあるのですね」
     そう率直に述べれば、宇吉はやはりひどく嬉しそうにはにかんだ。

     陽二郎と宇吉は時にはその生活をほとんど同じくし、意見を取り交わしながら縫製や裁断をする。そうした工夫は互いに得難いものとなり、日を重ねるごとに信頼感は増した。同じような境遇から、いつしか仕事以外のことも話題に上がるようになるのは自然な流れだった。
     だから、陽二郎は思い切って宇吉に尋ねることにした。
    「山辺さん。身請けを喜ばぬ遊女はいるのでしょうか」
    「身請けを? ……どうなのでしょうね。普通は喜ぶと思いますが。喜ばれないのですか?」
    「それがどうもわからぬのです。自分はこの楼を離れられないとのみ述べるのです」
     宇吉は心配そうに、僅かに首を傾げる。
    「見請金が莫大であるのを遠慮されているとか」
    「金額の問題でもないようで」
     陽二郎は幽凪に身請けを申し出たときのことを思い出していた。
     遊女の身請けにはまず楼主に伺いを立てねばならない。あれも薄暗い夕暮れのことだった。ギャアギャアとうるさくなくムクドリの声を後ろに幽凪屋の暖簾を潜り、番頭に楼主に繋いでもらう。丁度青山と出会い、帽子店を始めることが決まった頃合いのことだ。つまり強い意志とともに身請けを実行するための行為。

    「楼主様、夕霧を身請けするにはいくら入用でしょうか」
    「おや。お客人、本気で仰っしゃられているのです?」
     緊張する陽二郎を伺うように、幽凪は表情を変えぬまま目を細める。
    「まだ金子の目処は立ちませんが、新しく仕事を始めましたのでいずれは、と考えております」
    「そうですね。夕霧の借金はいくらで御座いましたかな、おい」
     番頭が運んできた帳簿を幽凪は煙管を燻らせながらペラペラとめくる。陽二郎はその時間をただひたすらにじっと待つ。やがて示された金額は、青山の予想した金額とそう変わらなかった。いずれ自分にとっては途方もない金額だ。聞いた話ではこれに加えて祝儀金やらなにやらもかかるらしい。
    「うちはこれだけお支払い頂ければよう御座います。相場外れの額では御座いません。後は夕霧とご相談ください」
    「え、夕霧と?」
     嗄れた幽凪の声に陽二郎は困惑した。なぜなら身請けの話は通常楼主とのみ行うものだからだ。
    「ええ。うちは家族のようなものですから。本人の意思が肝要です。夕霧に出ていくつもりがないのでしたら、私としても身請けに応じることは致しかねます。これはあの子の借金でございますからね」
     身請金とは遊女の借入額と将来の収入を前提に定められる。だからその言には不審はないのだが、陽二郎は一抹の不安を覚えた。通常、遊女が身請けを喜ばないはずがない。だから遊女の意思など聞くまでもない。

    「それは確かにそうなのでしょうが。その、他に何か支障があるのでしょうか」
    「さて。それは直接夕霧に聞いてごらんなさい」
     幽凪はそう述べて再び煙管を口に含む。
     陽二郎は思い直す。身請けは遊女の借金を肩代わりするものだ。それであれば遊女が拒めば為せぬのも道理なのかもしれない。
     けれど夕霧の置かれた環境は劣悪だ。格子の前に見せ物の如く並べられて春をひさぐ暮らしはろくなものに思えなかった。しかもここは化物楼。まさに嘲笑され見世物になるために並んでいるのだ。
     だから陽二郎は断られるはずがない。そう思っていた。まだ遠いといえども将来の夕霧との暮らしを思い浮かべながら大階段を上った。
     けれども待っていたのは予想外の声だった。

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