
「どうする家康」第44回「徳川幕府誕生」 家康の円熟が生む新しき政
はじめに
今回は関ヶ原の戦いからの10年間、かりそめの平和を徳川家が、豊臣家がそれぞれどう過ごしたかが、描かれました。オープニングアニメーションにもなった秀頼の背丈を刻む柱が、時間の経過を示すと同時に両家の緊張関係の高まりを示す道具立てになっているのが興味深いですね。
老境を迎えた家康の10年は、親しき者たちとの別れの歳月となりました。単純に言えば、人は必ず老います。身体は言うことをきかなくなり、頭も鈍くなり、そして朽ちていく。どんな強い願いも、思いも「老い」には勝てません(ということを私も現在、実感しています)。
避けられないその番が家康たちに巡ってきました。結果、1話から登場した家臣は遂にいなくなり、家康は若い頃を懐かしむ仲間を失いました。
対する豊臣家では秀頼という新たな希望が育つ10年です。家康を苦々しく思い、腹を立てることはあろうとも「秀頼さえ成長すれば」というその若々しさへの期待があればこそ、明るく、楽観的にもなれます。
このように一見すれば、今回は人生の下り坂の哀愁が漂う家康と成長著しい秀頼との対比になっています。しかし、家康たちの老境にあったのは寂寥感だけではありません。変わらぬ信頼、友情、忠義、愛情も健在でした。ユーモアを交えたそれらの表現からすれば、家康と家臣団の人生は、円熟期の充実も伴っていることに気づくでしょう。
一方、秀頼の成長に沸く豊臣方は意気揚々に見えますが大阪城内に籠り、内向きであるかのような表現です。自分しか見ず、現実が見えず浮き足立つ…若さ特有の愚かさが窺えます。
老いの円熟…それは今回限りと言われているオープニングにも表れています。ピアノによる主旋律を基調とし、それを引き立てる今回のメインテーマのアレンジは静かですが骨太です。
またタイトルバックの映像は、水墨画のようです。いくつもの山や谷が次々と現れてきますが、これは家康のこれまでの苦難でしょう。山間に見える数々の旗らしきものからすると、この苦難は戦も象徴しているのかもしれません。
そして、中盤に現れる太い墨絵による円はどんどん塗り重ねられ、綺麗な黒の円となっていきます。これはおそらく家康が築いた人の和そのものなのでしょう。つまり、家康はこれまで築いた人の和によって、多くの苦難を乗り越え、桜吹雪く蒼い富士という「戦無き世」に辿り着こうとしているのではないでしょうか。
各場面で、つがいと思われる二羽の兎がずっと跳ねているのも良いですね。あれが家康と瀬名なのか、それとも弱き領民たちの象徴なのかはわかりませんが、とても意味深ですね。
こうして見てみると、本作では、老いとはマイナスばかりではなく、人生の完成、円熟という意味もあるように思われます。要は家康が、「老い」の現実を引き受け、秀吉の最期のような二の轍を踏むことなく、どう次代へつないでいくのかということなのでしょう。
そこで今回は家康と親しき人たちとの別れ、秀忠の教育から、関ヶ原合戦後の家康の10年を総括し、晩年の彼がしようとしていることについて考えてみましょう。