
どうする家康」最終回「神の君へ」 「祝言の鯉」の話に秘められた家康の理想郷とは
はじめに
ようやく家康は、役割から解き放たれ、長い長い人生を全うしました。「とうとうその日が…」ではなく「ようやく」という言葉のが似合うように思われるのは、最晩年の家康の人生が、その思いに反して苦悩と孤独に満ちたものとして描かれたからでしょう。
「どうする家康」における家康像は、所謂、これまでの神君、狡猾な狸親父という両極端なイメージの双方を裏切る斬新さが見所でした。しかし、斬新な描かれ方をされた家康が、たどり着いた先は「人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくが如し」という『東照公御遺訓』のとおりとなりました。何故、こうなってしまったのか?
ナレーション…あらため、お福は、御遺訓を引きながらも「遠き道の果てはまた命を賭した戦場にございました」とその人生が最後まで過酷なものであったことを強調しています。福の言葉は、困難の末に泰平の世を実現させた家康の偉業を顕彰する以上の意味を持ちませんが、物語は彼女の言葉を利用して、その裏にある、戦嫌いの彼の誰とも分かち得ない孤独と人知れぬ葛藤…そして、その先の絶望へ焦点を当てていきます。
つまり、後世の作り物とされる『東照公御遺訓』が描く苦労人像…そう語り継がれるようになった由縁を紐解くことが、「どうする家康」という作品であったのでしょう。
また「神の君へ」というサブタイトルも気になりますね。「神の君」ではなく「へ」とそこへ向かう方向が示されています。そこには、「神の君へ」向かう家康が、果たして幸せであるのかということを暗示しているようにも思われます。
そこで、最終回は、乱世を終わらせ安寧な世を成したことに家康は満足したのか、家康は幸せだったのか、「一人の人間」としての家康の人生を総括してみましょう。