
偉人たちの挑戦:50代から”日本を描く旅”へ踏み出した伊能忠敬
歴史を振り返ると、人生の折り返しを過ぎてから新たな挑戦を始めた人たちがいます。
前回の記事では、晩年に挑戦を始めた人物としてカーネル・サンダースを紹介しましたが、江戸時代に実測によって日本初の地図を作成した伊能忠敬(いのう ただたか)も、まさにその一人です。
彼は50代に入ってから学び直しの道へ歩み出し、やがて「日本全国を測る」という壮大な事業へと踏み出しました。
現代のSNSでは、よく歩く人を指して「伊能忠敬界隈」と呼ぶこともあるほど、200年以上たった今でも、彼の名は“歩くこと”の象徴として息づいています。
今回は、そんな彼の歩みをたどってみます。
隠居から踏み出した新たな一歩
商人として家業を営んでいた忠敬は、50歳を前に家督を息子へ譲り、隠居します。忠敬が生きた江戸時代では、現代よりも早い時期に隠居することは珍しいことではなかったようです。
とはいえ、忠敬が選んだのは、悠々自適の隠居生活ではありませんでした。
50歳のとき、かねてより関心を抱いていた天文学を本格的に学ぶため江戸へ向かい、幕府天文方の高橋至時(よしとき)に弟子入りすることを決意します。
自分より二十歳ほど若い天文学者を師と仰ぎ、一から学問を学び直すというその姿からは、年齢にとらわれず、自分の心に素直に向き合う忠敬の情熱がうかがえます。そしてこの一歩が、のちに彼の最大の仕事となる全国測量へとつながっていきました。
学びから「全国測量」へ
忠敬の師・高橋至時は、暦をより正確にする「改暦」に携わる第一線の学者でした。忠敬はそのもとで天文学を学び、天体観測や測量の知識を深めていきます。
やがて二人は、正確な暦を作るためにも欠かせない「地球の大きさ」に強い関心を抱くようになります。
「緯度1度分の距離を求め、それを360倍すれば、地球の大きさがわかる」――そう考えた忠敬は、まず江戸周辺で測量を試みますが、至時から「距離が短すぎて、正確な値は得られない」と指摘を受けます。
そこで今度は、江戸と蝦夷地(現在の北海道)の間を測量し、より長い距離から緯度1度分の長さを求める計画を立てるのでした。
一方、幕府にとっても、北方の蝦夷地の地理を正確に把握することは重要な課題でした。「忠敬の学術的な目的」と「幕府の政治的なニーズ」が重なったのです。
こうして計画は幕府の許可を得て実施され、個人の学術的な試みは、やがて国家事業へと発展していきました。
1800年、55歳になった忠敬は、第一次測量として蝦夷地へ向けて出発。ここから、のちの「日本全図」の完成へとつながる壮大な旅が始まります。
日本の姿を描き出した、一歩ずつの積み重ね
忠敬らの測量は、各地を歩いて距離を計測するだけでなく、夜には天体観測を行い、集めたデータを計算・検証しながら地図へ落とし込むという、気の遠くなる作業の繰り返しでした。
旅の途中で体調不良やさまざまなトラブルに見舞われながらも、彼らはこうした作業を地道に積み重ねていきます。
1800年に始まった測量は、1816年の第10次測量まで17年にわたって続き、北海道から九州まで歩き続けた総距離は約4万kmにも及びました。これは地球1周分にも匹敵する、まさに途方もない距離です。
このような過酷な旅を長年続けた末、測量を終えた忠敬に残念なことが起こります。1818年、忠敬は病に倒れ、73歳でこの世を去ってしまうのです。完成した地図を、自らの目で見ることはかないませんでした。
それでも、彼の残した膨大なデータと情熱は、弟子たちや幕府天文方に受け継がれ、地図づくりは続けられました。
そして1821年、「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」が完成します。
忠敬がその完成を見届けることはできませんでしたが、こうして形になった地図は、後に「伊能図」と呼ばれ、当時としては驚くほど精密なものでした。
それは、忠敬らが日々の測量で、地道な歩みを一歩一歩積み重ねた結晶だったのです。
忠敬が最期まで慕った師
忠敬の人生を語るうえで欠かせないのが、天文学の師であり、測量事業を陰で支えた高橋至時の存在でした。
全国測量が始まって間もない1804年、至時は39歳の若さで病没します。それでも忠敬は、若き師への恩を生涯忘れることはありませんでした。「死後は先生の隣で眠りたい」と遺言を残し、その願いどおり、現在も上野の至時の墓の隣に眠っています。
忠敬にとって、至時との出会いは人生を大きく動かすものでした。その出会いは、忠敬が新たな挑戦へ踏み出したからこそ生まれたものでもあります。
伊能忠敬に学ぶ――人生の「地図」を広げるには?
新しいことに挑戦しようとするとき、「もう遅い」「今さら始めても」と、つい自分でブレーキをかけてしまうことがあります。
けれど、50歳から学び直し、55歳から日本を歩き尽くした伊能忠敬の人生は、「挑戦に遅すぎることはない」と静かに語りかけてくれます。
年齢を理由にしてあきらめたり、自分の限界を決めつけたりする前に、「やってみたい」という好奇心にしたがって小さな一歩を踏み出してみると、その一歩が、人生の「地図」を思いがけない方向へと広げてくれることがあるのかもしれません。
参考
・国土交通省 国土地理院「測量・地図ミニ人物伝:伊能忠敬」
・古地図コレクション 伊能図