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マガジン特別編「東京の食文化が乏しい(ように見えてしまう)本当の理由」

     さて本日のお題は、多くの読者からリクエストがあったこちら。

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    ( https://x.com/shikiho_season/status/2074398689536397360 より引用 )

     ……なかなかの火柱が上がっているようで。

     よく「日本人は普段は大人しくとも食いもんの話題ではガチギレする」みたいなことがネットで言われたりします。しかしながら、食べものの話題では迂闊なことを言うとえらいことになるというのは必ずしも日本にかぎった話ではなく世界共通です。どこの国や地域であろうが、人間にとって食べ物(の優劣)の話題はデリケートなのです。

     なぜかというと、私たちは突き詰めていえば「食べたものでできている」からです。

     
     あくまで個人的な味覚や嗜好にもとづく意見論評であったとしても、自分が住んでいる街の食つまり、普段の自分が食べているものを他のだれかによって否定されてしまうのを見ると、それはすなわち、その食べものによって生かされている自分の身体、その食べものによってつくられている自分の感性、ひいては、その食べものによって保たれている自分の存在そのものを貶され否定されたような気分になってしまうわけです。

     「私は〇〇を美味しいとは思わない」
     「**地域の食文化は乏しい」

     ――といった言葉は、言った人としては単なる意見だったとしても、それを聞いた人からは畢竟「お前の身体は不味くて低劣なものでできている」という意味合いに変換されてしまうわけです。

     国や地域によらず人間が普遍的にこの感覚を多かれ少なかれ内面化しているからこそ、たとえば民族差別的蔑称や罵倒には、その集団が好んで食べている食べものに対する侮蔑が含まれるわけです。

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     しかしながら、冒頭の方を擁護するわけではないのですが、近畿出身であり現在は東京に長く住んでいる、どちらの地域もよく知る者の立場から言わせてもらうと、近畿地方から東京にやってきた人がそういう感覚にとらわれてしまうのは理解できます。

     もちろん前提として東京は街としての食文化が劣っているわけではけっしてないのですが、しかし近畿地方と比べて東京の食文化には決定的に違う点がひとつあって、そのせいで近畿の人が東京に来たとき「食文化がショボい!」としばしば感じてしまうわけです。

     ではその相違点とはなにかというと――
     

     
     
    インターネットで文章を書いたり、本を出したり、ラジオで喋ったりして生活している者です。御田寺圭などと名乗っていることもありますが、とくに使い分けを意識してなにかをしているわけではありません。