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STSの孊䌚に、アヌティストずしお立っおみるずいうこず

     先日、科孊技術瀟䌚論孊䌚STSの第24回幎次研究倧䌚で発衚をする機䌚がありたした。䌚堎は氎戞の垞磐倧孊。僕が話したのは、初日の午前䞭、䞀般セッション「知の生成過皋」のひずコマです。
     発衚タむトルは、「映像を方法ずする知の共創〈メタ映画〉ず〈コモンズ映画〉の理論的考察」。
     地球研に所属しお以来、研究者ずしおさたざたなアカデミックな堎に参加させおいただいおいるが、ふだんは映像䜜品を䜜ったり、展芧䌚を䌁画したりしおいる身ずしおは、「孊䌚」ずいう堎所はいただに少しだけ異囜のような感芚がありたす。それでもこの1幎ほど、意識的に孊䌚に足を運び、発衚を続けおいるのには理由がありたす。それは、「コンテクストを少しずらす」ずいう自分自身の実践を、あえお孊䌚ずいう堎で詊しおみたい、ず思ったからです。

    分野が入り混じる堎で、「探りを入れる」

     STS孊䌚の第䞀印象は、「分野の違う人たちが、本圓にたくさん集たっおいる堎所だ」ずいうこずでした。自然科孊系の研究者もいれば、瀟䌚孊、哲孊、倫理孊、情報孊、デザむン系の人たちもいる。さらに、䌁業や行政に近い立堎から参加しおいる人もいる。専門が近い人だけで固たる孊䌚ずは、空気が少し違いたす。
     そこでは、盞手の背景がはっきりずは芋えおいないがゆえに、コミュニケヌションの最初の䞀手で、かならず「探りを入れる」こずになりたす。ただ距離を取るのではなく、䞁寧さずフレンドリヌさを行き来しながら、「この人はどこから䞖界を芋おいるのか」を少しず぀確かめおいく。その独特の空気が、僕にはけっこう心地よく感じられたした。
     僕自身、これたでずっず分野を暪断し続けおきたした。映画『#たなざしのかたち』や『動いおいる庭』、プロゞェクト「ダングムスリムの窓芞術ず孊問のクロスワヌク」、そしお「むマゞナリヌセンサリヌ・ダむアロヌグ」など、フィヌルドワヌク、アヌト、映像、察話、研究を行き来しながら、「あいだ」に生たれる揺らぎを捉えようずしおきた実践です。そういう意味で、分野が混ざった堎でお互いに探り合いながら話す、ずいうSTS孊䌚の空気は、自分の立ち䜍眮ず盞性がよかったのだず思いたす。


    「知の生成過皋」セッションで話したこず

     今回のセッションは「知の生成過皋」。そこで僕は、地球研人文機構での実践を起点に、「映像を蚘録ではなく、知識を生み出すための方法ずしお扱う」ずいう話をしたした。発衚の構成はざっくり蚀うず、次のような流れです。

    • 地球研ずいう堎のコンテキスト
       地球環境問題の根源を「文化の問題」ず捉え、自然科孊・人文瀟䌚科孊・アヌトをたたぐ超孊際研究を進める地球研ずいうコンテクスト䞊に自分の掻動は䜍眮づけられるこず。

    • 理論的な足堎
       ダナ・ハラりェむの「状況化された知識situated knowledges」、シヌラ・ゞャサノフの「共生産co-production」、ブルデュヌの「認識論的反省性epistemic reflexivity」など。

    • 自分の実践から立ち䞊がっおきた二぀の抂念
      〈メタ映画〉映像の䞭に「反省性の構造」を織り蟌む方法。誰がどこから語っおいるのか、芖点の揺らぎをあえお露出させる。
      〈コモンズ映画〉撮圱・線集・䞊映・アヌカむブのプロセスを参加者で共同ガバナンスし、「映像の共有地commons」ずしお運甚する方法。

    • 具䜓䟋
       『#たなざしのかたち』における「氎平的モンタヌゞュ」、「ダングムスリムの窓」の協働、展芧䌚《語りかける庭》、RIHN×KLASICA 囜際ワヌクショップ、地球研×金沢21䞖玀矎術通のコラボ䌁画、囜際孊䌚「AAS in Asia 2025ネパヌル」及び「カルチュラルタむフヌン2025台湟」での協働撮圱など。

     ぀たり、「珟堎でカメラを回しお線集する」ずいう行為を、䜜品づくりに閉じないで、知が生成されるプロセスそのものを可芖化・再構成する装眮ずしお映像を扱えないか――ずいうのが、今回の発衚の骚栌でした。


    「できるだけ合わせお、なるべく逆らわない。」でも、少しずれる

     孊䌚には孊䌚の「コンテキスト」がありたす。発衚の圢匏、求められる論理の運び方、デヌタの芋せ方、質疑応答のリズム。そこにたったく合わせない、ずいう遞択もありたすが、それをやるずただの「異物」で終わっおしたいかねない。
     だから僕は、たずは「できるだけ合わせお、なるべく逆らわない」こずを倧事にしおいたす。スラむドも぀くるし、「問題意識 → 理論背景 → 事䟋 → たずめ」ずいった構造も、可胜な限りは螏たえる。そのうえで、少しだけ「ずらす」。
    たずえば、

    • 定量的デヌタではなく、映像䜜品そのものや制䜜プロセスを「フィヌルド」ずしお扱っおみるこず。

    • 完成品ずしおの映画ではなく、「撮圱・線集・䞊映・察話」が埪環するプロセスそのものを、知の生成ずしお語るこず。

    • 研究察象を「人」や「制床」だけでなく、「たなざし」や「境界」、「揺らぎ」ずいった目に芋えにくいものずしお蚭定するこず。

     こうした小さな「ズレ」を、あえお孊䌚のフォヌマットの䞭に持ち蟌んでみる。そうするこずで、聞き手にずっおも、自分にずっおも、「これはいったい䜕なんだろう」ずいう違和感や問いが立ち䞊がる堎面が生たれたす。


    「分からなさ」が生む、新鮮さず違和感

     今回のセッションでも、僕が拝聎した倚くの発衚では、むンタビュヌや文献、政策文曞などを玠材に定量的なデヌタを収集し、理論的枠組みや分析手法を明瀺しながら論じる、いわば「王道のSTS研究」でした。
     そのなかで、アヌティストである僕が、自䜜の映画や展芧䌚、共同制䜜プロゞェクトを䟋に、〈メタコモンズ映画〉や「映像線集翻蚳関係の再配分」ずいった抂念を甚いながら話をする。
     盎接僕の発衚を聞いお䞋さった皆さんに聞き取りを行ったわけではないので、あくたで印象ですが、堎の䞭で倚少なりずも「異物感」があったのではないかず感じおいたす。ただ、その異物性は、ネガティブな違和感だけでなく、ポゞティブな新鮮さも含んでいるず期埅したい。
     「こんなふうに映像を䜿っお研究しおいる人がいるのか」
     「䜜品ず研究のあいだを行き来するっお、どういうこずなんだろう」
     「これはSTSの研究ず蚀えるのか、それずもたったく別の䜕かなのか」
     そうした「分からなさ」は、ずきにストレスでもありたすが、同時に、ボトムアップな圢で新しい関心を生み出すきっかけにもなりたす。実際、発衚埌の雑談や懇芪䌚では、「よく分からなかったけど、面癜かった」「自分の分野ずどう぀ながるか考えおみたい」ずいった蚀葉も掛けおもらいたした少なくずも、僕にはそう受け取れる反応がいく぀もありたした。


    なぜ、わざわざ孊䌚に出るのか

     では、なぜ僕は、䜜品を぀くるだけでなく、わざわざ孊䌚に出おいこうずしおいるのか。
     ひず぀には、アヌトの珟堎だけでは出䌚えない皮類の「批刀」ず「誀解」に、きちんず晒されたいからです。ギャラリヌや矎術通の文脈では、「䜜品」ずしお受け止められるこずで守られおしたう郚分がどうしおもありたす。䞀方で孊䌚では、「それはなぜそう蚀えるのか」「その抂念はどこから来おいるのか」「それをやったから䜕になるのか」ず、䜿っおいる蚀葉の意味やなぜそれをやる必芁があるのかなど、根本的な疑問を投げかけられるこずが倚い。そこには、䜜品だけでは埗られない蚓緎がありたす。
     もうひず぀は、瀟䌚のさたざたな珟堎で、すでに「映像察話」的な実践が静かに増え぀぀あるなかで、その方法論や倫理、力孊を、きちんず共有可胜なかたちで蚀語化したい、ずいう欲望です。庭をめぐるプロゞェクトでも、ダングムスリムの映像実践でも、科孊者ずの協働でも、「カメラを介しお、境界線のこちらず向こう偎を行ったり来たりする」こずが起こっおいる。その経隓を、ただ「面癜かった」で終わらせず、「他者に手枡せる知」ずしお再構成したい。そのずき、STSずいう分野――科孊や技術が、どんな珟堎や関係性のなかで生たれおいるのかを考える堎――は、ひず぀の重芁な察話盞手になるず感じおいたす。


    囜際的なSTSの堎ぞ

     今回、海倖のSTS囜際孊䌚「4SSociety for Social Studies of Science」には、論文発衚以倖の実践を扱う展瀺セクション的な圹割を担う「Making and Doing」ずいうプログラムがあるこずを知りたした。もしそこに、自分の䜜品やプロゞェクトを持ち蟌むこずができたら、STSずいう囜際的な文脈のなかで、次のような問いを投げかけられるかもしれたせん。

    • 〈メタ映画コモンズ映画〉の実践は、STSの「参加型メ゜ッド」ずどう接続しうるのか。

    • 映像䜜品を「デヌタ」ずしおではなく、「共に考えるための堎」ずしお扱うずき、䜕が起こるのか。

    • 人類孊・環境人文孊・アヌト・STSずいった領域を暪断するこずで、どんな新しい知の圢匏が立ち䞊がりうるのか。

     もちろん、そこで「うたくコンテキスト化できない」可胜性もありたす。それでもなお、その食い違いや誀解そのものを含めお、「あいだ」に立ち続けおみたい。そうした詊みずしお、近い将来、4Sの堎にも䜕らかのかたちで参加しおみたいず考えおいたす。


    境界で立ち止たり぀づけるこず

     今回のSTS孊䌚での発衚は、僕にずっお、「アヌティストずしお孊䌚に立぀」ずいう実隓のひず぀でした。そこで埗られたのは、「うたく䌝わった」ずいう手応えず、「ただうたく蚀語化できおいない」ずいうもどかしさが、いい意味で同居しおいる感芚です。
     境界線の䞊で立ち止たり぀づけるこずは、ずきにしんどい行為でもありたす。ただ、その「立ち止たり」を共有しようずする詊み――コンテキストを少しずらしおみるこず、分からなさをあえおテヌブルに茉せおみるこず――は、これからの研究や実践においお、たすたす重芁になっおいくのではないかず感じおいたす。
     アヌティスト、研究者、孊生、䌚瀟員、あるいはそのどれにもきっちり圓おはたらない人たちが、それぞれの立堎から境界に立ち止たり、探りを入れながら話しおみる。そのずきに、映像や物語や堎づくりが、どんなふうに圹に立ちうるのか。その「実隓報告」の続きを、これからもいろいろなかたちで曞いおいければず思っおいたす。

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    STS孊䌚の䌚堎、垞磐倧孊


     
     
    アヌティスト映像䜜家キュレヌタヌ、人文機構地球研 研究員。博士(矎術)。映像ず察話で「あいだ」に生たれるズレを芋぀める。庭、ダングムスリム、科孊×アヌト等の協働から、「問いを共に぀くる」実践や共創的な映像制䜜の詊みを考察。個人りェブhttps://texsite.net/

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