
ことばあそび
QUORA(クォーラ)と呼ばれる、私にとって知識の泉とも呼ぶべき場所があります。
夜な夜な読み耽っては、眠りに落ちる。
そんなルーティンを過ごす夜。
このQUORA、聞きたいことを尋ねると、どこかからともなく高尚かつ知識豊富な方々が集まり始めます。
そんな専門知識を持った方々から、興味深い回答やリプライが寄せられる。
時に面白おかしく、時にマジメに。
皮肉めいていたり、それはそれはバリエーション豊かな回答であったり、大喜利のような回答であったり、読む者を飽きさせない力を秘めています。
私は、未だに受動的、つまり読み手。
どうしたら能動的、つまるところ質問者や回答者になれるだろうと頭を悩ませております。
以前、聞きたいことがあって聞こうとしたのですが、使い方がわからず断念。
それは何かというと、
助詞、「が」 と 「は」の使い方。
その効能について。
例えば、こんな言葉を発する側と、受け止める側がいたとします。
「わたしは、すき」
「わたしが、すき」
この言葉を発した側は、どのような気持ちだったのか。
または、
この言葉を受けた側は、どのような気持ちになるのか。
使い方やシチュエーションによっては、危険極まりないこの助詞😆
言葉の選択というのは、難しい。
けれども面白いと感じられる今日このごろ。
主語が人になると、複雑になりそうな例文だけど、これはこれで面白そう。
わたしは、あなたが、すき。
わたしが、あなたを、すき。
こう書くと、同列の意味にも思えてくる。
以前は、
「は」は、柔らかいイメージ
「が」は、強制感のあるイメージ
そんな意味合いがあると考えてました。
ただ、その記憶も少しずつ薄れてきている。
これはどうだろう?
「海は、青い」
「海が、青い」
この場合、
「海は、青い」は、強制感のような、そうあって当然のような感じを受ける。
「海が、青い」は、青い時もあれば、そうでない時もあるという気になる。
もしかして日本語というのは、複雑で高度な言語なのかもしれない。
映画「メッセージ(邦題)」に出てくるような未来を見据えた感覚を持った言葉なのかもしれない。
改めて書くと面白いなと思う。
巷に溢れ返る美しい恋や愛の言葉。
その行き着くところは泥臭くていいと思う。
こんな言葉あそびをどこかでみた。
すきよ どうか
忘れないで
つきよ どうか
消えないで