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One Day その時僕はラジオの現場にいた 第一章 AD時代 第2話 扉の前 

    「午前中の生番組のADを探しているので、やらないか?」とは、どういうことなのだろう。

    FM横浜に直接雇われるわけではない。

    その番組を制作している制作プロダクションとの契約になる、という話だった。

    その違い自体は理解していた。

    学生時代、映画や音楽、イベントの現場に関わる中で、表に出る人たちの背後には制作会社やスタッフの存在があることくらいは知っていたのだ。

    けれど、自分が実際にその側へ入っていくという感覚は、まだどこか現実味を持っていなかった。

    今から思えば、不便な時代だった。

    けれど、機材に触れることそのものに特別な意味があった時代でもあった。

    映像を作ること。
    音楽を作ること。
    何かを表現すること。

    そして時には、何を作るか以上に、その機材を扱っていること自体に憧れていた気もする。

    そこには、今よりずっと強い憧れのようなものがあった。

    誇りと不安が、いつも同じ場所にあった。

    高校に入ってからも、映画制作と音楽活動を並行して続けていた。

    そして大学に入り、そこで知り合ったのがN.I先輩だった。

    自主映画を撮り、映像作家としても活動し、ときにはイベントプロデューサーのようなことまでやっていた。

    まだ肩書きが今ほど細かく分かれていない時代だったのだと思う。

    人を集め、企画を動かし、こちらが想像もしない場所から突然仕事を持ってくる人だった。

    ある時は、NHKの成人式スペシャルで「六大学の学生を集めたい」という話がN.I先輩のところに入った。

    すると先輩は、ごく普通のことのように僕へ言った。

    「六大学から十人ずつ集めて、NHKへ派遣して」

    今思えば、かなり無茶な話である。

    けれど当時の僕は、「そういうものなのか」と思いながら走り回っていた。

    N.I先輩は、そういう人だった。

    だから、その先輩から「FM横浜のADをやらないか」と言われた時、断るという発想はなかった。

    制作会社のH.Hさんと顔合わせをしたのは、FM横浜が入っていた産業貿易センタービル二階のレストランだったと記憶している。
    どんな話をしたのかは、ほとんど覚えていない。

    多分、舞い上がっていたのだろう。

    ずっと好きだったラジオ。

    その世界の近くへ行けるかもしれない。
    それだけで十分だった。

    番組は、朝のワイド番組「ポートサイドプラザ」。
    横浜の港町を思わせる空気感があった。
    洋楽が流れ、情報と音楽が自然につながっていく。

    “More Music, Less Talk”
    というFMらしい軽やかさがありながら、どこか従来の番組の空気も残していた。

    「一度、現場に来てください」
    H.Hさんは、そう言った。

    嬉しかった。

    同時に、不安でもあった。

    生放送のスタジオとは、どんな場所なのだろう。

    FM横浜が入っていた産業貿易センタービルは、山下公園のすぐ前にあった。

    神奈川県民にとっては、パスポートセンターのあるビルとして馴染みの場所だったと思う。
    観光協会や飲食店も入っていて、建物全体には、いわゆる放送局らしい閉ざされた雰囲気はなかった。

    その3階にFM横浜はあった。

    まだスマートフォンどころか、携帯電話もない時代だった。
    多分、産業貿易センタービルのどこかでH.Hさんと待ち合わせをしていたのだと思う。

    ビル自体は誰でも入れる場所だったが、放送局の中はやはり別世界だった。

    どうやって局へ入り、どうやってスタジオまで辿り着いたのか、今ではほとんど覚えていない。

    ただ、スタジオへ続く防音扉の重さだけは妙に記憶に残っている。

    扉を開ければ、本番前の緊張感が張り詰めているのだと思っていた。

    けれど実際のスタジオは、意外なほど和やかだった。

    それはチーフディレクターであり、制作会社社長でもあったT.Hさんの人柄によるところも大きかったのだと思う。

    その時の僕には分からなかった。

    ただ、スタジオの空気が妙に心地よかったことだけは覚えている。

    その理由を知るのは、もっと後のことになる。

    番組が始まった。

    緊張していたのは、多分、僕だけだった。
    スタジオの中では、みんなが当たり前のように動いている。

    キューが飛ぶ。

    その合図ひとつで、番組テーマが流れ、パーソナリティーがしゃべり始める。

    CMへ入るタイミングも、音楽を止める瞬間も変わる。
    生放送は、ディレクターの判断によって動いていた。

    音楽が流れる。
    声が重なる。
    そして秒単位で時間が過ぎていく。

    僕は、その流れをただ見ていた。

    そして思った。

    自分は、ここで何をすればいいのだろう。

    ADとは、アシスタントディレクターのこと。

    けれど、その時の僕は、そもそもディレクターが何をする仕事なのかすら分かっていなかった。

    ただ圧倒されていた。

    そして同時に、どうしようもなく興奮していた。



    One Day あの時、確かに僕はそこにいた。


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