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赤い看板の下で──ナダールのアトリエから生まれた“第一回印象派展”

    1874年4月15日、夜8時。
    パリのカピュシーヌ大通りに人だかりができていた。
    赤い文字で「NADAR」と掲げられた看板の下――その建物の3階と4階が、この夜ばかりは写真館ではなく、美術の独立宣言の舞台となっていた。

    出品者は約30名、作品は165点。
    33歳のモネ、32歳のルノワール、35歳のセザンヌ、39歳のドガ、44歳のピサロ、そして32歳のベルト・モリゾ。
    彼らはサロン(官展)の審査に縛られることを拒み、自らの手で展覧会を開いたのだ。
    会場を貸したのは、著名な写真家フェリックス・ナダール。54歳。
    若き芸術家たちの挑戦を支えた、年長の理解者だった。

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    カミーユ・ピサロ 《白い霧》1873年、オルセー美術館

    「ここが君たちの光を映す場所だ」

    数週間前、モネたちは途方に暮れていた。
    「また落選だ。サロンでは“未完成だ”と笑われるばかりだよ」
    ルノワールが肩をすくめると、ピサロが静かに言った。
    「でも、私たちにはもう筆を止める理由なんてない。描くしかないんだ」 

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    ベルト・モリゾ 《ゆりかご》1872年、オルセー美術館

    その会話を聞いたナダールが言った。
    「君たちの絵は、ガラスの天井の下でこそ輝く。
    うちのスタジオを使いなさい。光を描く者たちには、光の部屋が似合う」

    ナダールは肖像写真で成功した写真家だった。
    だが、芸術の自由を信じていた。
    彼のアトリエには、ガラス天井から自然光が降り注ぎ、白い壁にその光が反射していた。
    「ありがとうございます。ここから、僕たちの“光”を始めます」
    モネの声が弾んだ。

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    ポール・セザンヌ《首吊りの家》1872-73年、オルセー美術館

    開幕──ガラス天井の下で

    4月15日夜。展覧会が始まると、階段の上まで人が列を作った。
    入場料は1フラン。好奇心と噂が人々を動かした。

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    エドガー・ドガ《田舎の競馬場にて》1869年、ボストン美術館

    3階には風景画が、4階には人物画や静物が並んでいた。
    壁には赤い布が張られ、まだ乾ききらない絵の具の匂いが漂う。
    モネの《印象・日の出》、ルノワールの《踊り子》、セザンヌの《首吊りの家》、ドガの《田舎の競馬場にて》、そしてモリゾの《ゆりかご》に見られる繊細な筆づかい――。
    それぞれの作品が、光と空気の移ろいを競うように輝いていた。

    人々のざわめきが絶えない。
    「なんだこれは? 空が青すぎる」
    「筆の跡がそのままだ! 絵じゃない、印象(impression)だ」

    笑い声が上がるたび、ナダールは壁にもたれ、静かに微笑んでいた。
    「彼らはまだ、この“光”の速さに目が慣れていないだけさ」

    「印象派」という名の誕生

    翌朝、新聞『ル・シャリヴァリ』に、皮肉な記事が掲載された。
    批評家ルイ・ルロワは、モネの絵を見てこう書いた。

    「これは絵画ではない。単なる印象派(impressionistes)の寄せ集めだ!」

    ナダールのアトリエで記事を読んだモネが苦笑する。
    「印象派か……ずいぶん便利な呼び名をくれたな」
    ルノワールがうなずいた。
    「気に入ったよ。僕らは印象を描いているんだ」

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    クロード・モネ 《印象、日の出》1872年、マルモッタン美術館

    嘲笑が名前に変わった。
    そして、その名前がやがて世界を変える旗印となった。

     
     
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