
待ち時間、買い取ります/#シロクマ文芸部
待つ時間を売ったら、三百六十円になった。
病院の待合室で見つけた広告だった。診察まで十八分。アプリに表示された金額を見て、僕は「売る」を押した。
「次の方、どうぞ」
顔を上げると、看護師が僕を呼んでいた。さっきまで膝に載せていた雑誌は、知らないページで開かれている。
時計は、きっちり十八分進んでいた。
売った時間の記憶は残らない。順番が来るまで、体が勝手に待っていてくれるらしい。
買った人は、その分だけ自分の時間を延ばせる。試験前の学生や、締切前の作家に人気だという。
長い待ち時間は品薄らしく、高価買取の案内が出ていた。
僕の十八分で、誰かの原稿が進む。
悪くない商売だと思った。
レジの列。電車の遅れ。弁当が温まるまで。
ひと月もすると、僕は待つたびに小銭をもらうのが当たり前になった。
「待機を検出したら自動で売却」
設定を変えると、ボタンを押す手間さえなくなった。たまに残高を見て、ずいぶん待っていたんだな、と驚いた。
ある土曜の朝、一件の通知が届いた。
〈購入者より返品の申請がありました〉
商品は、先週売った「バス待ち・十二分」だった。
理由欄には、短くこうあった。
〈使う予定がなくなったため〉
勝手な話だ。
とはいえ、二百四十円で揉めるのも面倒だった。返金のボタンを探したが、画面には電話番号しかない。
〈返品のお手続きは、お電話で承ります〉
電話をかけると、明るい声が流れた。
「ただいま大変混み合っております。順番におつなぎしますので、そのままお待ちください」
いつもの音楽。
いつもなら、ここでため息をつくところだ。
僕はスマホを充電器につなぎ、ソファに横になった。

次に聞こえたのは、男の声だった。
「大変お待たせいたしました」
返事をしようとして、咳が出た。
喉がひどく乾いている。起き上がると頭がふらつき、膝の上からスマホが落ちた。
窓の外は暗かった。
「……今、何時ですか」
「日曜の、午後十時十四分でございます」
土曜の午前十時にかけたはずだった。
拾った画面には、不在着信とメッセージが並んでいる。その上に、買取完了の通知があった。
三十六時間十四分。四万三千四百八十円。
「二百四十円のご返金で、返品のお手続きは完了となります」
「ちょっと待ってくれ。こっちは丸一日以上――」
「そちらのお時間につきましては、すでに売買が成立しております」
男は、僕が言い終わる前に答えた。
「買った人は、そんなに時間が必要だったんですか」
「ええ。大変お喜びでした」
通話が切れた。
僕は台所で水を飲み、アプリの自動買取を切った。
そのすぐ下に、購入者からの評価が届いていた。
〈また時間が足りなくなったら、返品します〉
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