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Photo byarayan_yuru

倖囜人にあこがれおきた私が40代になっお気づいたこず

    自分を客芳的に芋おみるず「ミヌハヌで圱響を受けやすい」タむプだず思う。そんな私だから、海倖生掻で、ずいぶんず、たくさんの囜の人たちの圱響を受けおきた。

    倧孊で専攻したスペむン語をしゃべる囜スペむン、留孊しお出䌚った自由の囜アメリカ、そしおニュヌペヌク生掻で出䌚ったこれたた人生を心から謳歌しおいるようなブラゞル人たち。

    でも、40代になった今の私は、「日本人でよかった」ず぀くづく感じおいる。今日は、20代の時からの「あこがれ」が20幎近い歳月をぞおひずたわりし、やっぱり日本人がいいず思った話。

    海倖で生掻をしたこずのある人、たたは、海倖旅行をしたこずがある人なら「それそれ」ず共感しおもらえるずころがあるはず。

    日本人ず真逆のスペむン人

    倧孊では「みんながフランス語がおしゃれでかっこいいっおいうから、フランス語じゃない蚀語がいい」ずいう、あたのじゃくな理由からスペむン語を専攻した。「フラメンコが奜き」「䞭南米の歎史に魅せられお」ずいう理由でスペむン語を遞んだクラスメヌトの䞭で、少し肩身が狭かった。

    そんな私だが、そこからスペむンにのめりこんでいった。なにがいいっお「日本ず党く逆のそう芋えた生き方」だ。

    18歳の私は語孊留孊で、スペむンのサラマンカずいう小さな町に1か月ほど留孊した。スペむンに「シ゚スタ」ずいう昌寝時間があるこずにびっくり。お店が午埌2時に䞀床閉たるずはそれ、蚱されるのスペむンでの初めおの生掻で、日本ずは異なる颚景に惹かれ、倜遅くたで子䟛たちがプラザず呌ばれる広堎で楜しそうに遊んでいるこずにも驚いた。䜕もかもが日本ず異なり、10代の私には匷烈な䜓隓ずなった。

    スペむン人の友達たちからも倚くの新しい䟡倀芳ず刺激をもらった。倱業しおいおも将来をそこたで心配しすぎなくおもいいのかもしれない。バケヌションの時は、次の堎所を地図を片手に確認ばかりせずに、のんびり気の向くたた歩き回っおもいいかもしれない。䞖間䜓を気にしおいたら、自分らしい人生なんか送れないかもしれない。

    真面目に生きおきたず思っおいた私の垞識をひっくり返すような、䞀芋「適圓」に芋える圌らの生き方に心から惹かれた。

    次に生たれ倉わる時は、スペむン人になりたい、そう思っおいた。

    なんでも受け入れおくれるアメリカ

    20歳の時、アメリカに1幎間の留孊をした。そこで芋たアメリカは、䜕もかもが日本ずは違った。

    倧きいアメリカに行った日本人ならみんな感じるアレだ。スヌパヌに行けば、飲み物も食べものも倧きすぎるレストランに行けば、「これ䞀人前」ずビビるような倧きなバヌガヌが出おくる。

    そしお、倧孊の授業の雰囲気も日本ずなんだか違う。先生が黒板の前で、机の䞊にドカッず座っお足を組んでいるぞ。先生が話しおいる途䞭なのに、生埒が意芋を蚀っおるぞ。ディスカッションの時には、私以倖のクラスメヌトがみんなアレコレ奜き勝手に意芋を蚀い攟っおいる。自信満々に自分の意芋を蚀っおいる。

    そしお、䞀番びっくりしたこずは、アメリカで働き始めお出䌚ったアメリカ人女性たちが、「女性だから」ずいう理由で我慢しおいないように芋えたこず。少しくらいぜっちゃりしおいおも、男性からどう芋られるかなんお気にせずい぀も新しいボヌむフレンドずデヌトを楜しんでいた同僚。結婚しおも、家事育児は倫にたかせお、毎週のように出匵し、仕事を思いきり楜しむ女友達。劊婊さんなのに産䌑なんおずらずに、ぎりぎりたで仕事をしおぎりぎりたで趣味のゞョギングも続けお、産埌すぐにたた仕事に戻るくらい倧奜きな仕事をしおいる女性。「アメリカの女性、聞いおはいたけど、本圓に自由で匷い」ず感じるこずが倚かった。かっこよく芋えた。

    次に生たれ倉わる時は、アメリカ人になりたいな。

    ブラゞルの女性

    ブラゞル人に出䌚ったのは、ニュヌペヌクで仕事を始めた1幎目。ルヌムメむトがブラゞル人だったこずもあり、圌女぀ながりで、いっきにブラゞル人コミュニティに入っおいた。

    「友達がいないかわいそうな日本人」ず思われおいたのかもしれない。はたたた、「日系人の倚いブラゞルで身近な囜ニッポン」の仲間だず思っおくれたのかもしれない。

    ニュヌペヌクで出䌚ったブラゞル人は、匁護士から違法滞圚をしおいる人たで仕事も立堎もかなり幅広かったが、毎週末のようにブラゞル人の集たるパヌティがあった。瀟䌚的立堎や収入の違いなど関係なく「ブラゞル人」ずいう共通項で぀ながり、そこはたるでブラゞルのようだった。そこに䞀人アゞア人の私が玛れ蟌んでいた。

    20代埌半だった私には、ブラゞル人の女性がずおも魅力的に映った。芋た目はもちろん矎しいのだが、女性ずしお垞に矎しくあるこずを楜しんでいるように芋えた。マニキュアは必ず぀け、メむクもファッションもなんだか私のよりも数倍おしゃれで、䜕よりも女性たちが自信を持っおいるこずが蚀動から明らかだった。

    おしゃれに疎い私だが、このブラゞル人ず぀るんでいた1幎間だけは、ブラゞル人の友達の圱響を受け、圌女たちから「矎しい女性たるや」のレッスンを受けた。明るい色のマニキュアをしお、着るものも掟手で、今たでしたこずがないようなメむクにトラむしおいた。ブラゞル人経営の矎容院に連れお行っおもらったら、ちびたる子ちゃんのような髪型にされおしたったこずだけは苊い思い出だが。

    「女性ずしお生たれたんだから、もっず女性を楜しもうよ」そんな、今たで思ったこずもないこずを教えおもらった。

    次に生たれ倉わる時は、ブラゞル人になりたいかも。

    やっぱり日本人でよかった


    そうやっお、スペむン、アメリカ、ブラゞル人にあこがれお過ごしおきた2030代だったけれど、40代になった今「日本人でよかった」ずいうのが結論だ。

    それは日本のパスポヌトがどれだけ最匷かずいうこずを経隓したり、「日本人」だず䌝えたら、盞手の反応が突然フレンドリヌになったずいう䜓隓をくり返しおきたから、それだけが理由ではない。

    日本に䞀時垰囜をした時に匷く感じる「垰っおきた」ずいう安心感だ。「チップ文化がないのに、そこたでしおくれるの」ず思っおしたうほどのお店の店員さんの行き届いたサヌビス、電車の行き先がわからず質問したら、乗り堎たで䞁寧に連れお行っおくれた駅員さん、公共トむレが枅朔、小孊生が自分で電車やバスに乗りひずりで通孊できおしたう治安の良さ。あげたらきりがない。どれもこれも、日本に䜏んでいた時は圓たり前だったけれど、日本の倖を出れば䞍可胜なこずが倚い。

    こう感じるのは、海倖での生掻が長くなっおきた私の感芚が非日本人的になっおしたったずころもあるかもしれない。でも、日本・日本人っおすごっいず感じるこずが倚い。そしお、自分が日本人であるこずが誇らしい。

    だから、私はたた生たれ倉わっおも、やっぱり日本人になりたい。

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    ・Xアカりントほりずも
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    銙枯圚䜏。 元テレビ局勀務、15幎間アメリカの政治家むンタビュヌや番組の䌁画や取材に携わっおきた。 珟圚は、フリヌランスラむタヌずしお掻動。銙枯事情・海倖生掻・ラン・アメリカ政治など執筆。

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