
夏の残像の中に、秋はもう始まっていた | 白露の畑だより
昨日から、二十四節気の「白露」です。
白露。名前からして、なんだか美しい。
朝晩の気温が少しずつ下がり、草花に露が宿りはじめる頃なのだそうです。
とはいえ、今日の広島は朝でも23度。日中は29度。
それでも何か、白露らしいもの、見つかるかな。
そんな気持ちで畑へ行ってみました。
朝露は無理でも、もう小さな秋を結構見つけられるかなと思っていたのですが、目につくのは秋よりも、むしろ厳しかった夏の残像でした。
先日ちらりと書いていたコモンセージは、ついに枯れてしまいました。
同じく夏非常に苦しんでいた、グリークオレガノ。
こちらも中心部分が茶色く枯れてしまいました。でも、そのまわりを見ると、明るい緑色の新しい芽がいくつも出て、頑張ってる様子です。

レモングラスでさえ、この猛暑は想定外だったのでしょう。暑さや水切れで、例年よりもたくさん傷んだ葉が残っている状態です。

今日はその葉を切って整えました。
9月末に予定している収穫の頃には、もう少し盛り返せているといいなと思います。
枯れていったもの。
ようやく復活してきたもの。
まだ夏の傷みを抱えているもの。
傷んだところを整えながら、ふと思いました。
当たり前だけど、カレンダーみたいに、ぱちんと切り替わるわけじゃないんだな。
立秋、処暑、白露。
立秋から数えて、もう三つ目の節気です。
でも畑には、まだ夏がこんなに残っている。
夏を残したまま。
そこに、秋が少しずつ重なっていく。
行ったり来たり、揺れながら季節は進んでいて、気づいたときには深まっている。
そう考えると、秋になってから、あえて「処暑」という節気が置かれていることが不思議に思えたけど、納得もします。
まだ暑い。
少し涼しくなった。
と思ったら、また暑い。
ゆらゆら揺れながら、秋になっていく。まだ夏ともう秋の重なり具合が変わっていく様子を楽しむ時期なのだろうなと思いました。
そんな中、ほとんどがまだ夏の残像が目につく畑で、ひとつだけ
「秋、ちゃんと進んでいるよ」
と、教えてくれるものを見つけました。
紫蘇です。

よく見ると、穂が出はじめています。
紫蘇は、日が短くなることを感じて花芽をつける短日植物です。だから日の長い夏の間は穂をつけることはありません。
白露の次は、秋分。
昼と夜の長さが近づいていく季節です。
暑さだけを見ていると、まだ夏と思えるような気候で季節が止まっているようにも感じます。
でも、紫蘇はちゃんと季節を自分で感じ取っているのですね。
考えてみれば、植物によって季節を感じるためのアンテナは違います。
温度を大切な情報として受け取るものもいれば、日の長さを受け取るものもいる。
同じ畑にいても、感じてるところが違うんだなと感じました。
だったら私たちも、もっと自由に季節を感じていいのかもしれません。
朝の空気でもいい。
夕方の光でもいい。
虫の声でも、風の匂いでも、食べたいものでもいい。
「今、どう感じる?」
二十四節気は、季節の正解を教えてくれるものではなく、「自分のアンテナで、季節のグラデーション感じてみる」きっかけなのかもしれません。
2026年の白露は、まだ夏が濃く残る秋でした。
さて、次は秋分。
そのころ、この畑には、どんな季節が重なっているのでしょう。
はしさんの企画されている、#私の二十四節気 にゆるっと参加させていただいています。ありがとうございます!
この記事は、「植物の生き方に出会うエッセイ」マガジンに入れています。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あなたの今日にも、小さな発見がありますように。
