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早すぎた国際マンガ編集者・鳥飼拓志くんのことーー『プルンギルー青の道ー』ドラマ化に寄せて

    Netflixで11月からドラマ『プルンギル ー青の道ー』がはじまります。https://x.com/NetflixJP/status/2105893040208384100

    Netflixシリーズ
    『プルンギル -青の道-』
    11月20日独占配信スタート

    ねじれた死体。

    謎のメッセージ。

    国境を越えた
    連続猟奇殺人事件を
    2人の刑事が追う。#プルンギル青の道 pic.twitter.com/YHb1mHuTos

    — Netflix Japan | ネットフリックス (@NetflixJP) October 2, 2026

    「ソン・ソック×永山瑛太がタッグを組んだ日韓合同クライムサスペンス
    Netflixにて11月20日(金)より世界独占一挙配信。
    猟奇的連続殺人事件を追う日韓の警察組織の格闘を描くハン・ジュニ監督×ソン・ソックの最強再会タッグ!規格外のスケールで送る超大作!」
    配信前から話題を呼んでいる作品です。

    早すぎた国際マンガ編集者

    そのドラマの原作がマンガ『プルンギル ー青の道ー』であることを知ってらっしゃる方はどれくらいいらっしゃるでしょう?

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    マンガ『プルンギル ーー青の道ーー』コミックス第1巻


    このマンガ、実は、2002年に週刊コミックバンチで連載、担当編集者として一人の男性が存在してます。

    その彼、自分と不思議なご縁があった男「鳥飼拓志」くんについて語らせてください。

    【写真誌でのファーストコンタクト】

    そもそも自分が新潮社の写真雑誌「FOCUS」で記者として仕事をしてたとき、新入社員としてやってきたのが鳥飼くんでした。
    入社4年目の自分としては、当初、なんかおどおどして無愛想な男だなぁ、という印象しかなく。あるとき、新人の彼を率いて名古屋へ事件取材出張に行くことになりましたが、道中も取材中も、あまり融通も効かず、使えないヤツという印象しかありませんでした。だからこそ、その彼が入社3ヶ月でいきなり退社する!となったので、驚きました。結局、FOCUS編集部に馴染まなかったようで、送別会は出張に唯一同行した自分とほか数人しか集まらず、みんなで寂しくすき焼きを食べてサヨナラでした。

    【奇妙な縁での再会】


    そこから15年以上を経て、新潮社は、元週刊ジャンプの元編集長堀江信彦氏が立ち上げた「コアミックス」へ出資するかたちでマンガ事業に本格的に乗り出すことになります。
    元々マンガが好きでもあった自分は、30なかばの出遅れなものの「コアミックス」への出向に手を上げました。
    なにもわからない新人マンガ編集者として、おどおど吉祥寺の編集部に引っ越した直後、「よう!」と現れた人こそ、満面の笑顔で金髪になった鳥飼くんだったのでした。

    【マンガ編集部での鳥飼くん】

    彼は元々、幼少期に、商社マンだったお父上の転勤の関係で、世界各国を転勤。筑波大学に進学したあとは、体育会合気道部に籍を置き、韓国語、北京語、スペイン語、ドイツ語の5か国語を話し、国際的な作品を作ってみたい、と思うようになりました。社会人として希望を持って入社した新潮社では、FOCUSに配属され馴染まず悩んだ彼は、思い切って退職を決意。大好きなマンガ編集に特化した編集プロダクション「銀杏社」に所属して小学館のマンガ雑誌を渡り歩くことになります。
    なかでも、「ヤングサンデー」誌では、柏木ハルコ先生や村上もとか先生などを担当。特に村上もとか先生に可愛がられて、作品作りをする一方で家族ぐるみのお付き合いもするようになりました。先輩だった長崎尚志さんともウマが合い、仕事に、プライベートに交流を深めていきました。
    ヤングサンデーが廃刊されたあとは、元々の希望だった国際的なマンガ作品を目指すため、当時、創刊準備をしていた台湾版『コロコロコミック』に参加。奥さん子供さんを含めた家族で台北に移住して作品作りをしようとしてました。ところが売り上げも芳しくなく、台湾コロコロは数年で廃刊してしまいます。(この間、長崎尚志さんがわざわざ台北にやってきて訪ねてくれ嬉しかった、と後に語ってくれてます)
    その台湾コロコロの廃刊と前後して創刊したのが『週刊コミックバンチ』でした。
    当時のバンチは、巻末に韓国のマンガ「熱血江湖」を連載するなど、国際マンガの礎も目指していて、まさに鳥飼くんの望んでいた作品作りができそうな媒体。彼は国際経験を踏まえた編集者として、大きな希望をもってコアミックスへ入社し、なんの因果か、ずいぶん昔に先輩面をしていた僕と再会することになるわけです。

    【『プルンギル』を立ち上げる】

    入社した彼は、いくつかの作品の立ち上げを担当。そして、元々の希望だった、本格的な国際マンガの制作に乗り出します。
    それが『プルンギル ー青の道ー』でした。
    原作の江戸川啓視(=長崎尚志)さんとのつながりは強固であり、韓国語も堪能な彼は、現地の鶴山文化社の協力も得ながら、韓国在住のクオン・カヤ先生に漫画をお願いすることになります。

    そこからが彼の八面六臂の活躍がはじまりました。
    コアミックスの国際部の人間としての仕事もしつつ、週刊コミックバンチの通常の編集作業もする。『プルンギル』の制作で、原作の長崎さんの厳しい指導と、漫画家さんへの連絡、調整で、文字通り、韓国と日本を往復。その上、なんなら、遅れてきた30半ば過ぎの出来損ない新人マンガ編集者の自分の面倒まで見てくれる始末。FOCUSの新人だった頃の無愛想な彼はもうそこにはいませんでした。
    いつもニコニコと笑い、誰にでも分け隔てなく話をし、「いや〜。参ったなぁ、困ったなぁ」と言いながら頭をかいて、実に楽しそうに打ち合わせをして、編集作業をしている彼の姿がありました。新人の自分には、「物語は「モノ」を語るものだからさ〜」と言いながら、マンガの制作のコツや進め方を惜しげもなく教えてくれました。

    当時の彼は、人が好きで、マンガが好きで、酒が好きで、議論が好きで。誰かが言ってたけど、まるで「書生」のような青臭いことを言い続けて、面倒くさいけど、でも、あの少年のような笑顔にやられてしまう。国際情勢や、当時誕生したばかりの電子マンガにも詳しく、とても素晴らしい同僚で、勝手に僕は「親友」と思っていました。

    『プルンギル』では、原作者長崎さんの厳しいダメ出しに、月によっては、週に2回も往復して、仁川空港のベンチで寝ながら韓国側や漫画家さんと打ち合わせを重ねる、ということもよくありました。そうやって苦労して作り上げた『プルンギル』は長崎原作らしい、壮大でケレンミもあり、その上で、歴史や民族まで絡んだ上質なサスペンスマンガとして、素晴らしい作品になりました。

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    『プルンギル』全巻

    【連載終了後、新潮社へ。そして…】

    同作が完結する前後、鳥飼くんは、これまた縁があって、コアミックスから新潮社へ、電子マンガの担当者として転属することになります。
    そこで、ついに、彼の希望だった新潮社初の電子専門マンガ雑誌「コムコム」の初代編集長となりました。新しい媒体、新しい試みを持ち前の明るさとバイタリティで乗り越えていたある日、健康診断で、初期の膀胱ガンがみつかったのです。

    膀胱ガンはガンの中でも程度のいい、末永く付き合っていける類いのガンであり、本人も周囲も、健康に気を付けながらも、煙たくも尊敬すべき編集者としてずっと側にいるもんだと思っていました。ところが、どんな運命のいたずらか。若年性の進行ガンとして、骨転移が起こり、徐々に彼はガンにむしばまれ、入院を余儀なくされます。
    せっかくの「コムコム」の仕事も志半ばで引き継ぐことになりますが、最後まで彼は明るさを失っておらず、最後に会ったときには「いや〜、まだまだ!やりたいこといっぱいあるしねぇ」なんて笑っていたのですが…。

    2008年1月5日 彼は空へと旅経ちました。

    葬儀にはたくさんのマンガ関係者たちが参加。棺は村上もとか先生や長崎尚志さんも担いでくれました。
    電子のマンガだって、韓国、中国、スペインなどの海外とのコラボ作品だって、まだまだやりたいことはあったはず。

    その彼の無念さを思うとやりきれません。生きていればどれだけ活躍できたか…

    そんな彼だからこそ、『プルンギル 青の道』のドラマ化は待ちに待ったものであったはずで。
    今頃空の上で喜んでいるに違いありません。
    あの笑顔と「いや〜、まいったね」なんていいながら。
    彼がいなければ、この作品は生まれていなかったことは間違いないのですから。

    だからこそ。
    長々とお読みいただき、恐縮ですが、
    どうか、鳥飼拓志という男がいたことを、少しでも覚えておいていただければ幸いです。

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    ありし日の鳥飼拓志くん。家族想いの熱い漢でした。

    ドラマを見るとき、頭のにでもチラリと、この物語の礎になった、早すぎた国際マンガ編集者がいたことを思っていただければ、と願っております。


     
     
    出版社に勤める映画と能楽と落語と筋トレが好き。いつの間にか初老になりました。

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