メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【神社と寺】神と仏から読む日本

    八幡と水

    新幹線で滋賀を通り過ぎるとき、近江八幡のことを思い出した。安土城から程近い、八幡堀の舟運で栄えた町だ。八幡といえば、と連想が広がっていく。

    郡上八幡は、用水路に洗い場「カワド」がめぐる「水の町」。鶴岡八幡宮のある鎌倉は、由比ヶ浜のそば。筥崎宮のある福岡は、博多湾に面している。

    八幡とつく町は、水のイメージがある。

    これは偶然だろうか。それとも、理由があるのだろうか。

    八幡宮は、全国に約四万社あるとされる、日本で最も数の多い神社のひとつだ。もし、八幡宮が水際に多い理由が分かるなら——そして、ほかの神社にも、それぞれ立地の条件があるのなら。神社を手がかりに、日本を読むことができるのではないか。

    そして、八幡宮が水際に多い理由をたどっていくと、その先に、もう一つのことが見えてくる。八幡宮が立つ町が、どんな町なのかだ。先に答えを言ってしまえば、八幡宮のある町は、おおよそ、こう言える。鎌倉武士が治め、鎌倉時代以降に発達した町だ、と。

    なぜそう言えるのか。それを説明するのが、この連載のすべてだと言ってもいい。

    神社や寺は、ただ古いだけの建物ではない。神社や寺は、その土地の履歴書だ。どんな神社があり、何を祀り、どこに立っているか。それを読み解くと、その町に誰が来て、何で栄え、何に悩み、どうやって町になっていったのかが、立ち上がってくる。

    この連載では、神社と寺を手がかりに、日本の町を読んでいく。一度この読み方が身につくと、見慣れた風景が、違って見えてくるはずだ。

    このnoteは、場所を起点に、食、産業、歴史、物理や化学などの世の中の情報を整理しようと試みている。

    神社とは?

    話を進める前に、神社とは何かを、自分なりに整理しておきたい。

    神社とは、神や、神とされた存在を祀る場所だ。そして、神を祀るのは、いつも人である。
    故に
    神社とは、その土地に住んだ人々が、何を畏れ、何を願い、誰を崇めたかが、形として残されたものだ。

    豊作を願った人々がいた。疫病を恐れた人々がいた。土地を切り拓いた一族がいた。災いをもたらした者の祟りに怯えた人々がいた。彼らの祈りや畏れが、社殿となり、祭神となって、土地に刻まれた。それが神社だ。

    だから、神社には必ず「誰が、何を、いつ、なぜ、どこで」が刻まれている。たとえば、学問の神として知られる天満宮。祀られているのは、平安時代の貴族・菅原道真だ。道真は政争に敗れて大宰府に流され、その地で没した。その後、都で落雷や疫病が相次ぎ、人々はそれを道真の祟りと恐れた。死の翌年には、配流の途中に船を寄せた本州最後の地・防府に、日本で最初の天満宮が建つ。やがて、終焉の地・大宰府に、そして災いの相次いだ都の北野に、道真は神として祀られていった。

    画像
    北野天満宮の本殿

    整理すると、こうなる。
    誰が——祟りに怯えた人々と朝廷。
    何を——道真の御霊。
    いつ——死後の十世紀。
    なぜ——祟りを鎮めるため。
    どこで——最後の寄港地・防府、終焉の地・大宰府、災いの起きた都。
    五つが、きれいに刻まれている。

    神社の、この五つ——誰が、何を、いつ、なぜ、どこで——を読み解けば、その場所の歴史が見えてくる。そして、神社は同じ名前のものが各地にあることがほとんどだ。同じ神社名のある街は、何かしらの共通項を持っている。ひとつひとつの神社を読み、それを繋げていけば、やがて日本の歴史そのものを、街から読み解くことができるかもしれない。

    寺とは?

    ここまで神社の話をしてきたが、町を作ってきたのは、神社だけではない。寺もまた、町と深く関わってきた。

    ただし、神社と寺は、その出自が大きく違う。神社が、その土地に住んだ人々の営みから生まれた「土地の記憶」だとすれば、寺は、海の向こうから運ばれてきたものだ。

    寺は、仏教、中国やインドで生まれた思想体系を運ぶ施設として、日本に広がった。だが、寺が運んだのは、経典だけではない。建築、仏像、瓦屋根、そして茶、庭園、医薬、書、料理——大陸の最新の文化が、寺を窓口として、丸ごと日本へ入ってきた。最初にそれを運んだのは、飛鳥の遣隋使に始まり、奈良・平安の遣唐使へと続く、国家の船だった。その宝物庫が、ペルシャのガラスなどを今に伝える、奈良の正倉院だ。遣唐使が絶えた後は、僧たちが自ら海を渡って、その窓口を引き継いだ。こうして寺は、千年以上にわたって、大陸とのつながりを保ち続けた。

    ここで、少し立ち止まって考えたい。日本の文化として、私たちが「これぞ日本」と思っているものの多くは、もとをたどると、寺を通って入ってきた大陸の文化だったりする。神社の社殿に反りのある屋根や朱塗りが現れたのも、仏教建築が伝わってからだ。平城京や平安京の碁盤の目は、唐の都を手本にしている。茶の湯も、枯山水の庭も、精進から生まれた日本料理も、侘び寂びという美意識さえ、その源には寺がある。

    つまり、こうも言える。日本の文化の基礎の多くは、寺を介して海を渡ってきた。そして、それを日本という土地で、長い時間をかけて順応したものが、いま「日本の伝統」と呼ばれている。だから、寺を追いかけることは、外から来た文化が、どうこの国に根を下ろし、町や暮らしを形づくっていったのかを追いかけることになる。

    一行で言えば、こうなる。神社は土地の記憶であり、寺は、この国が外から取り込んだものの記憶である。

    そして、神社も寺も、ときに町を呼ぶ。大きな社寺が建つと、その参詣者を目当てに、人や商いが門前に集まってくる。そうして発展した町を、門前町という。伊勢神宮のおはらい町、善光寺の門前——参拝の地が、そのまま一つの町になった例は、各地にある。神社が「すでにある町」の記憶を映すことが多いのに対し、外から人を呼び込む磁力は、とりわけ大きな寺に強くあらわれる。

    神社は土地の記憶を映し、寺は外から文化を運び、そして社寺はときに町そのものを生む。両者を読み解くと、町の千五百年が、立体的に見えてくる。

    最後のページ

    ここで、一つ、重要なことを言っておきたい。

    神社や寺の建立は、二十世紀の半ばで、ほぼ止まっている。

    それは科学が、かつて神社や寺が引き受けていた役割を、肩代わりするようになったからだ。

    火災は、消防と建築技術が防ぐ。水害は、ダムと堤防が抑える。疫病は、医学が治す。怨霊を恐れる人は、もういない。かつて人々が神社に祈り、寺に救いを求めた不安の多くを、いまは科学が解決している。

    だから、神社と寺は、過去の記憶が閉じ込められた、ほぼ完成したアーカイブだと言える。もう新しいページは、ほとんど書き加えられない。そこにあるのは、人々が何を畏れ、何を願ってきたかの、千五百年分の記録だ。

    そして、私たちは、そのもう書き加えられないアーカイブを、まだ失われないうちに読み解いていく世代なのだと思う。

    神と仏と町

    この連載は、これから四つの章で進んでいく。

    第二章は、神社の「いつ」と「どこで」。社殿の形と立地から、神社の年代と土地の条件が読める。ただ、創建を古い順に並べると、妙なことが起きる。ある時代から先は、創建が「神話」になるのだ。境目に、何があったのか。

    第三章は、「誰が」「何を」「なぜ」。祭神を六つの型に分けると、その町がどんな町かが見えてくる。天皇制度がなぜ千年以上続くのか——その答えも、ここにある。

    第四章は、寺。寺は、千年つづいた大陸文化の商社だった。では、賑わう寺と静かな寺は、何が違うのか。

    第五章は、実践。地元埼玉の四つの町——大宮、岩槻、川越、春日部を、神社と寺で読む。鍵を握るのは、二本の川だ。

    神にも仏にも、理由がある。その理由を、一緒に読んでいこう。

     
     
    場所を起点に、世の中の情報を整理するnoteです。 食、産業、歴史、気候、物理や化学まで、バラバラに見える知識を「場所」でつないで書いています。 この視点が手に入ると、ニュースも旅先も通勤路さえ、解像度が一段上がります。 講座・寄稿・取材のご相談は、お問い合わせからどうぞ。

    あなたへのおすすめ