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【神瀟④】なぜ、倩照倧神は䌊勢にいるのか。

    なぜ、倩照倧神は、䌊勢にいるのか。

    日本で最も有名な神瀟の䞀぀が、なぜあの堎所にあるのか。考えたこずがある人は、少ないかもしれない。だが、他の神瀟ず芋比べおいくず、䌊勢だけが、少し奇劙な䜍眮にいる。

    氏族の神瀟には、法則がある。本拠地に氏神をた぀るこずだ。
    奈良の郜の東、春日の杜に、藀原氏は氏神を祀った。物郚氏の流れをくむ石䞊氏の石䞊神宮は、本拠地の垃留にある。のちに郜ずなる山城でも、賀茂川べりを本拠ずした賀茂県䞻かものあがたぬし氏が、賀茂の瀟を氏神ずしお祀っおいる。䞀族が栄えた土地に、䞀族の神がいる。神は䞀族の暮らしを守るものだから、圓然の立地だ。

    この法則に、倩皇家を圓おはめおみる。本拠地は、倧和である。飛鳥も、藀原京も、平城京も、みな奈良盆地の䞭にあった。なら、祖先神も盆地のどこかに——ず思っお地図を芋るず、違う。倩照倧神の䌊勢神宮は、盆地の倖にある。山をいく぀も越えた先。倧和川ではなく䌊勢湟ぞ泚ぐ、氎系さえ別の土地。本拠地ず神瀟のあいだを、山脈が隔おおいる。

    氏族の法則から、この䞀瀟だけが、倖れおいる。列島で最も力を握った䞀族が、最も尊い祖先神だけを、なぜお膝元に眮かなかったのか。

    䌊勢の謎である。

    前線で远ったのは、この䞀族が、列島の力を握るたでだった。埌線で远うのは、その先である。握った力を、どう盀石にし、どう列島の隅々ぞ浞透させおいったのか。その道具が、蚘玀神話だった。誰が曞かせたのか。なぜ曞かせたのか。䜕が曞かれたのか。そしお、頂点の神は、なぜ䌊勢にいるのか——順に蟿れば、謎に答えが出るはずだ。

    この領域は、掚枬が入り混じる範囲ずなるため、掚枬である郚分は掚枬ず分かる曞き方で進めたい。

    誰が、䜜らせたのか

    たず、蚘玀の線纂を、誰が呜じたのかを確かめおいきたい。

    日本曞玀は、線纂の始たりを、自分自身の䞭に曞き残しおいる。倩歊10幎681幎3月、倩歊倩皇は川島皇子ら12人に、垝玀おいきず䞊叀の諞事ずを蚘し定めよ、ず呜じた。叀事蚘の序文もたた、線纂の始たりを倩歊だず語る。二぀の曞物は、同じ䞀人の倩歊倩皇から始たっおいる。

    その倩歊倩皇ずは、672幎、壬申の乱——教科曞で誰もが習う、叀代最倧の内乱——で兄の子・倧友皇子を歊力で退けお皇䜍に就いた、倧海人皇子である。壬申の乱の火皮は、皇䜍継承にあった。兄匟ぞ枡るずいう慣䟋ず、倩智倩皇によるわが子ぞの指名が、食い違ったのである。どちらにも蚀い分があった。だから、争いずなった。

    線纂は、代を越えお続く。持統5幎691幎には、18の氏族に祖先の蚘録——墓蚘がき——を提出させおいる曞玀。叀事蚘が献䞊されたのは712幎。日本曞玀が奏䞊されたのは720幎で、筆頭の線者は倩歊の子・舎人芪王である。完成たで、40幎かかった。

    日本曞玀は党30巻。そのうち、たるたる䞀巻——巻28——が、壬申の乱だけに割かれおいる。神代に二巻、初代からの歎代倩皇に残りの巻々。その䞭で、䞀぀の戊争だけが、䞀巻を独占した。この曞物にずっお、乱が䜕であったか。分量が、雄匁に語っおいる。

    なぜ、䜜らせたのか

    では、なぜ倩歊は、歎史を曞かせたのか。

    たず、広く支持されおいる説から挙げたい。倧陞に、倣った——である。䞭囜では、王朝が正史を線むのは圓然の䜜法だった。663幎、癜村江の戊いに敗れた倭囜は、唐・新矅ずいう倧垝囜ず向き合う囜家ずしお、䜓裁を敎える必芁に迫られおいた。埋什を持ち、郜城を持ち、そしお正史を持぀。日本曞玀が挢文・線幎䜓で曞かれおいるのは、倖に芋せるこずを意識した圢匏である。

    ただ、この説明だけでは、腑に萜ちない点が残る。囜家の䜓裁のためなら、壬申の乱に、たるたる䞀巻を割く必芁はない。兄の家ず匟の家が殺し合った内乱は、むしろ、倖ぞ誇れる話ではないはずだ。䜓裁の曞物の、いちばん厚い章が、身内の戊である。ここには、倖向きではない動機が芋えおいる気がする。

    本人の心の䞭は、史料からは分からない。分からないが、代わりに読めるものがある。即䜍埌に䜜ったいく぀かの制床である。倩歊倩皇が䜕に懲りたかは、語らなくおも、䜕を二床ず起こさせたいずしたかが珟れおいるず考える。

    倩歊が経隓した乱ずは、正しさが食い違った結果だった。その目線で、即䜍埌の事業を䞊べおみる。するず、その制床党郚が、正しさを䞀぀にする仕組みに芋えおくる。

    • 乱立する諞家の系譜を、䞀぀の正史に束ねる——蚘玀の線纂。

    • 倩皇を、この䞖に珟れた神——珟埡神あき぀みかみ——ず呌ばせる。

    • 氏族の栌を、倩皇からの距離で枬り盎す——八色の姓684幎。

    • 祖先神の祀りを、倩皇家が独占する——䌊勢の制床化。

    系譜も、神も、家栌も、由緒も、正統性の源泉ずいうものを、片端から䞀元化しおいった。二床ず、正しさが二぀に割れないように。

    改めお断っおおきたい。これは、結果から動機を遡る読み方である。結果を知った䞊で曞いおいる以䞊、結果論に過ぎないこずは、重々、承知の䞊だ。それでも、制床の圢は雄匁だず思う。

    集めお、線む

    では、その正史は、どうたずめられたのか。
    物語の筋曞きではなく、たずめ方の特城を芋おいきたい。

    叀事蚘の序文は、線纂の動機を、こう説明しおいる。諞家が持ち䌝える垝玀ず本蟞——系譜ず物語——は、すでに正しい実から違い、停りが加わっおいる。今のうちに正さなければ、本旚は滅びるだろう、ず。

    この序文からは、線纂が始たる前の郜の様子が、透けお芋える。8䞖玀の郜には、氏族の数だけ、別々の系譜ず物語があった。それぞれの家に、それぞれの祖先の神がいお、それぞれの歎史がある。朝廷は墓蚘を提出させおそれを聞き取り、倩皇を䞭心ずする䞀぀の䜓系ぞ、たずめ盎しおいった。攟っおおけば、い぀か「うちの神こそ最も尊い」ず蚀い出す家が珟れたかもしれない。

    序文が掲げるのは、乱れを正す、ずいう倧矩である。その蚀い分の圓吊は、確かめようがない。ただ、䞀぀、動かない事実だけを䞊べおおきたい。正された系譜の頂点には、正させた䞀族の祖先神——倩照倧神が、配眮された。家系図の頂点を決めるのは、神の叀さではなく、線む者であった。

    たずめ方の特城ずしお、倩皇家は、各地の神々を消さずに、配眮するこずずした。出雲の倧囜䞻も、歊蔵の須䜐之男も、諏蚪の建埡名方も、抹消するのではなく、䞀぀の系譜に線み蟌んだ。倩照を頂点に眮き、その䞋に、各地の神々の垭を甚意する。囜譲りで迫る偎にも、譲る偎にも、抵抗する偎にも、それぞれの出番がある。どの土地の神にも、物語の䞭に居堎所が䜜られた。

    ここで、䞀぀の謎が解ける。各地の䞀族が、別々に祀っおきた祖先の神々。それが、なぜそろっお蚘玀神話の登堎人物なのか。偶然ではない。蚘玀が、各地の神々を収集しお、配圹したからだ。

    配圹は、蚘玀の䞊だけでは終わらない。祀る人間たで、朝廷が差配しおいる。出雲では、倩照の子の子孫を名乗る出雲囜造家が倧囜䞻の祭祀を担い、䞉茪山の倧物䞻に぀いおは、倧物䞻の子孫を名乗る者を探し出しお祀らせた、ずいう由緒を、曞玀自身が茉せおいる。どの神を、誰が、どう祀るか。その差配の暩限たで、系譜の頂点が握ったのだ。

    ずころで、頂点の怅子には、なぜ倩照を座らせたのか。最も叀い神だから、ではない。系譜の䞊では、倩照より前に、囜土ず䞇の神々を生んだ創䞖の神々——䌊耶那岐いざなぎず䌊耶那矎いざなみ——がいる。だが、䞇物の芪は、特定の䞀族のものにできない。誰の祖先でもある神は、䞀぀の家だけの正統性の源泉にならないのだ。
    もう䞀぀、倪陜であるこずが効いた。日は、列島のどの土地でも、すでに拝たれおいる。祖先神を倪陜ず重ねれば、各地の日の神ぞの信仰ごず、䞀぀の頂点に束ねられる。独占できお、誰もが拝んでいる。頂点の怅子の条件は、この二぀だった——そう読める。

    では、頂点に眮かれた倩照は、なぜ郜から遠い䌊勢にいるのか。この謎を考えおいきたい。

    䌊勢は、い぀からあるのか

    曞玀は、倩照が䌊勢に鎮たるたでを、こう蚘しおいる。もずもず倩照は、倩皇の埡殿の䞭——倩皇ず同じ屋根の䞋——に祀られおいた。厇神の時代、その神嚁を畏れた倩皇は、倩照を宮の倖ぞ出し、たず倧和の笠瞫邑かさぬいのむら——䞉茪山の麓、いたの檜原神瀟のあたりず䌝わる——に祀らせた。垂仁の時代、皇女・倭姫呜が神の鎮たる地を求めお諞囜を巡り、䌊勢に至っお、ここに定めた——。

    ただし、これは8䞖玀の曞物が語る昔話であり、そのたた歎史ずは受け取れない。確かめられる事実の偎から、絞り蟌んでいこう。
    壬申の乱の時点で、䌊勢はすでに「皇祖神を祀る囜の頂点の瀟」だったのか。

    ゚ビデンスが少ないため、日本曞玀を疑いながら、日本曞玀を手がかりにする。矛盟しおいるようだが、読む堎所が違うため、ご了承願いたい。厇神や垂仁のくだりは、線纂の時点から数癟幎も前の昔話である。䞀方、壬申の乱は、線者の芪の代の出来事で、日付を远える蚘録が残っおいる。しかも、これから芋るのは、曞物が誇る筋曞きではなく、筋曞きの郜合からすれば曞く必芁のない现郚ず、制床の日付である。由緒は盛れおも、日付ず现郚は盛りにくいず考えられるためである。

    結論から蚀えば、䌊勢がすでに頂点の瀟だったずする読みは、曞玀が残す蚘録ず、䞉぀の点で噛み合わない。

    䞀぀。蚘録が、乏しすぎる。乱より前の曞玀に、䌊勢の蚘事が皆無なわけではない。皇女を日の神に仕えさせた、ず䌝える蚘事などが、いく぀かある。だが、囜の頂点の瀟ならあるはずの蚘録——歎代の倩皇が囜家の倧事にここぞ祈り、䟛え物を捧げた、ずいう圢の蚘事は、芋圓たらない。この沈黙は、乱の最䞭も続く。盞手方——倧友皇子の近江の朝廷も、正統な政暩の偎でありながら、䌊勢に祈った圢跡がない。倩照に祈るのは、反乱者の偎だけである。

    二぀。その倧海人も、瀟ぞは行っおいない。曞玀によれば、挙兵しお䌊勢に入った倧海人皇子は、䌊勢囜北郚の朝明あさけ郡——今の四日垂の北のあたり——を流れる迹倪川ずおがわのほずりで、倩照倧神を望み拝んだ。䌊勢の方角を拝んだものず読たれおいる。軍を率いお䌊勢囜内を通りながら、川のほずりから遠くを拝んだにずどたる。

    䞉぀。制床が、党郚、埌から来る。即䜍の翌幎673幎、倩皇は嚘を䌊勢ぞ送り、斎王さいおうずしお仕えさせた。以埌、代ごずに皇女を送る制床が続く。20幎ごずに瀟殿を建お替える匏幎遷宮が始たったのは690幎。倩皇家以倖が䟛え物をするこずを犁じる私幣犁断も、この䜓制の䞭で固たっおいく。戊の前に拝み、勝ち、そのあずで制床を䜜った。頂点の瀟が先にあったなら、この順序にはならない。

    もっずも、この望拝の堎面を曞き残したのは、ほかならぬ倩歊の子の代の曞物である。勝぀前から倩照に守られおいた、ずいう筋曞き自䜓が、勝者偎の線集なのかもしれない。

    では、乱のずき、䌊勢に䜕があったのか。
    実は、分かっおいない。ただ、孊説には、それぞれの根拠がある。

    䞀぀の系統は、圚地の神の䞊曞きず考えおいる。䌊勢の地には倩照より前から、土地の氏族が日の神を祀っおいた——王暩はその祭堎を接収し、倩照を重ねた、ずする説である。傍蚌も残っおいる。䌊勢囜颚土蚘の逞文には、この土地を明け枡しお去っおいく、土着の神の話が䌝わる。王暩が東囜ぞの足がかりずしお、早くから日の神を祀っおいた堎所だずする読みも、この系統に近い。

    もう䞀぀の系統は、さらに螏み蟌む。倩照ずいう神栌自䜓が、この時代の構築だずする説である。根拠は、蚘玀の内郚にある。倩孫降臚の堎面で指什を䞋す神は、䌝によっお、倩照だったり、別の神だったりず揺れおいる。この揺れを、皇祖神の座そのものが、この時期に線み盎された痕跡ず読むのである。女神から孫ぞずいう倩照の物語の圢が、孫に譲䜍した持統の姿ず重なるこずを、傍蚌に挙げる論者もいる。

    孊説は割れおいる盎朚孝次郎・筑玫申真・岡田粟叞・田村圓柄ほか、論争䞭。ただ、どの説にも、䞀臎する点が䞀぀ある。囜の頂点の瀟ずしおの䌊勢を䜜り䞊げたのは、倩歊ず持統の時代だ、ずいうこずだ。

    最も倧切な神を、なぜ遠ざけたのか

    残る問いは、堎所である。なぜ䌊勢だったのか。

    他の氏族ず同じようにお膝元の奈良盆地に建おられなかったのだろうか

    䞀぀仮説ずしお郜の䜏人の目で、考えおみるずよい。昚日たで䜕もなかった堎所に、突然、「最も尊い」瀟が建぀。だが隣で暮らす者は、その瀟がい぀建ったかを、知っおいる。そのため新しいず知られおいる神は、最高の神を名乗れない。しかも奈良盆地は、䞉茪、石䞊、葛城——氏族たちの由緒ある神々が、すでにひしめく土地である。そこに埌から䞊べば、倩照は「新参の氏神」で終わっおしたう。

    逆に、遠くに眮けば、この問題は消える。山脈の向こうで瀟がい぀建ったかは、郜たでは䌝わっおこない。さらには、毎日目にするものは、ありがたみが薄れおいくが、めったに行けない堎所は、想像の䞭で膚らんでいく。䞀生に䞀床のお䌊勢参り、が良い䟋だ。行きにくさは、そのたた、ありがたさになる。

    もう䞀぀、郜には眮けない事情があった。倩皇自身の暩嚁が、祖先神に喰われおしたうのである。この時代、倩皇は、珟埡神——この䞖に珟れた神——ず称されるようになっおいく。壬申の乱のあず、宮廷の歌人は倩皇を「倧君は神にしたせば」ず歌い、697幎の即䜍の宣呜には「珟埡神ず倧八嶋囜知らしめす倩皇」の蚀葉が珟れる。もしお膝元に最高神の瀟を建おれば、郜で日々仰がれるのは、目の前の倩皇ではなく、瀟の神になっおしたう。

    遠ざければ、逆のこずが起きる。祖先神の嚁光は、郜には盎接届かない。その神の子孫——倩皇——を通しおだけ、降りおくる。遠くに眮けば、祖先神は競争盞手ではなく、暩嚁の源泉になる。そういったこずも考えられた蚭蚈に芋える。

    䌊勢は、その条件に合う土地だった。山脈を隔おた別氎系の、遠い土地。そしお、ただ遠いだけではない。郜から芋お䌊勢は、日の昇る東にある。日の神の瀟の方角ずしお、これ以䞊のものはない。なぜ他ならぬ䌊勢なのかを確かめる史料は、ない。ただ、方角は合っおいる。遠くぞ隔お、䞀般の接近を絶ち、窓口を倩皇家だけが握る。神聖は、距離ず独占によっお、濃瞮された。

    隔絶は、倩皇自身にも及んでいた。倩皇は、長く䌊勢を蚪れおいない。692幎に持統倩皇が䌊勢ぞ行幞した蚘録はあるが、神宮に参拝したずは蚘されおいない。参拝がはっきり確かめられるのは、1869幎——明治倩皇からである。祀られおいる神の子孫を名乗る圓人が、最も尊い祖先神のもずを、千幎以䞊、蚪れおいない。それほどの、距離の蚭蚈だった。
    ——あるいは、こうも読める。䜜った偎にずっお、䌊勢は参るための聖地である以䞊に、暩嚁を生むための装眮だった。装眮は、動いおさえいればいい。持ち䞻が、足を運ぶ必芁はないずも。

    では、冒頭で芋た厇神ず垂仁の物語——宮䞭から出され、諞囜を巡っお䌊勢に至る、あの由緒——は、䜕だったのか。䜜り話ず切り捚おる必芁は、ないず思う。䌊勢ぞの遷座の蚘憶が、䜕らかの圢で䞋敷きにあった可胜性も、吊定はできない。ただ、順序ずしおは、仕組みが先に出来䞊がり、それにふさわしい来歎が、埌から敎えられおいった——そう自分は読んでいる。

    冒頭の謎に、これで答えが出せる。他の氏族は、神をお膝元に眮いた。倩皇家だけが、最も倧切な神を遠ざけた。粗末にしたからではない。遠ざけるこずが、自分の暩嚁ず祖先神の暩嚁の、䞡方を䜜るのに必芁だったからだ。

    新しい瀟に、最叀の衣装を

    神瀟、ず聞いお思い浮かぶ姿があるだろう。鳥居をくぐり、参道を歩き、拝殿で手を合わせる——あの芋慣れた景色である。だが、あの姿は千幎以䞊かけお出来䞊がった到達点であっお、出発点ではない。ここから話すのは、その出発点——「神の家」ずいうものが、列島に初めお珟れた瞬間の話である。

    ここたで圓たり前のように「瀟を建おる」ず曞いおきた。だが実は、これ自䜓が、圓たり前ではなかった。

    この時代たで、神の䜏む家は、どこにもなかったのである。祭りに䜿う建物なら、匥生や叀墳の䞖にもあった。だが神は、祭りのたびに、山や朚や岩に招かれ、もおなされ、送り返されるものだった。
    玄界灘の沖ノ島では、4䞖玀から囜家玚の祭りが続いたが、祭堎は岩の䞊から岩陰、露倩ぞず移るだけで、瀟殿は最埌たで建おられなかった。䞉茪山も、山そのものを拝む。神が垞に䜏たう家——本殿——が珟れるのは、7䞖玀の埌半以降ず考えられおいる。

    流れを倉えたのは、仏教である。588幎に蘇我氏によっお着工された飛鳥寺を皮切りに、氏族たちは競っお寺を建おた。瀎石の䞊に柱を立お、瓊を葺き、柱を朱に塗る。そしお金堂には、仏が垞に䜏んでいる。岩や倧朚は、それ自䜓が神の座だった。だが、堂々たる䌜藍ず芋比べられれば、話が倉わっおくる。祭りのたびに神を招く仮の堎は、仏が垞に䜏たう金色の堂の隣で、芋劣りし始めた。神々ではなく、祀りの噚が、芋劣りしたのである。

    䌊勢は、その応答の、最初期にしお最倧のものだった——ず読める。ただし、遞ばれた様匏が面癜い。寺の華やかさの、正反察なのだ。神明造——高い床、萱の屋根、棟朚を盎接支える柱。匥生の米倉に連なるずされる、列島で最も叀い建物の圢である。同じ朝廷は、694幎の藀原宮で、列島で初めお瓊を葺いた瀎石建ちの宮殿を建おおいる。郜には、倧陞の最新を。神には、掘立柱ず萱葺きの最叀を。新しい瀟に、最叀の衣装を着せたのである。そしお20幎ごずの建お替えが、この叀さを、氞遠に新品のたた保ち続ける。

    氏族たちは、埌に続いた。賀茂の瀟の造営の䌝えは、倩歊朝——䌊勢ず同じ時代である。春日の瀟が建぀のは768幎——䌊勢の最初の遷宮から、80幎近く埌である。石䞊に至っおは、本殿が建぀のは倧正2幎1913幎。それたで神䜓は、本殿を持たない犁足地に、埋められたたただった。冒頭で芋た「䞀族が栄えた土地に、䞀族の神がいる」——あの法則の神瀟たちは、祀りの堎ずしおは叀い。だが建物ずしおは、どこも䌊勢より早くないのだ。

    ぀たり、こうなる。䌊勢は、氏族の法則の䟋倖ではなかった。神に家を䞎えるずいう法則そのものが、䌊勢から始たった。土地ず神の結び぀きは叀い。だが「神瀟」ずいう建物の圢匏は、倩歊・持統の時代の、新しい発明だった。䟋倖に芋えたものが、実は、起源だった。

    神々の地図

    聖地の遠ざけ方は、䌊勢䞀瀟の特別な事情では、なかったらしい。配圹の結果を、地図の䞊に眮き盎しおみる。するず、同じ蚭蚈が、列島の広い範囲に芋えおくる。

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    叀事蚘に登堎する神話の舞台
    出兞https://www.u-canshop.jp/shop/g/uYBD/

    囜生みの最初の島・オノコロ島の䌝承地は、淡路の近蟺にある。倩孫降臚の地・高千穂は、はるか九州の日向。倩照の匟・須䜐之男が高倩原を远われお降り立぀のも、遠い出雲だ。倧囜䞻は出雲に、そしお倩照は䌊勢に。物語の重芁な舞台が、こずごずく、郜から遠い。

    ただし、党郚が遠いのではない。神歊即䜍の橿原は、盆地の䞭。倧物䞻の䞉茪山は、郜の目の前。葛城には高倩原の䌝承地さえある。偏りの線は、䞖代で匕かれおいる。遠くに眮かれたのは、系譜の叀い䞖代——創䞖の神々、降臚の神々、身を隠した神々。足元にあるのは、今ぞ続く䞖代——即䜍ず、宮ず、日々の祀りである。

    䞀族が栄えた土地に、䞀族の神がいる——冒頭で芋た氏族の法則は、蚘玀の䞭では、今ぞ続く䞖代にだけ圓おはたる。叀い䞖代だけが、遠くに蚘録されおいる。なぜか。理由は、二぀考えられる。

    ひず぀は、物語の郜合である。遠くないず、日本の物語にならないのだ。蚘玀の山堎は、九州の日向から倧和たで攻め䞊る、神歊東埁である。始たりの地が遠いからこそ、列島を瞊断する長い旅が描ける。そしおこの旅こそが、「倩皇家は列島党䜓の支配者だ」ずいう䞻匵の、物語の圢だった。隣の村からの匕っ越しでは、囜の支配は語れない。

    もうひず぀は、䌊勢ず同じ郜合だろう。創䞖の神々や降臚の神々——系譜の重い神々の聖地をお膝元に眮けば、郜で仰がれるのは、目の前の倩皇ではなく、それらの神々や聖地になっおしたう。遠ざけおおけば、叀い神々の嚁光は、系譜を通しおだけ——぀たり倩皇を通しおだけ、郜に降りおくる。䌊勢で䜿われた距離の蚭蚈が、神々の系譜の党䜓に、匕き延ばされおいる——そう読めおくる。

    距離は、食りではなく、機胜だった。

    物語の力

    埌線を、たずめたい。

    道は、䞀本だった。乱に勝った倩皇が、正しさが二぀に割れない囜を䜜ろうずした。系譜を䞀぀の正史に線み、各地の神々を収集しお、配圹した。頂点には、系譜を線んだ䞀族の祖先神——倩照が座った。その倩照の瀟は、お膝元では新参の氏神で終わっおしたうから、山脈の向こうの䌊勢に眮かれ、距離ず独占が神聖を補造した。そもそも、神に家を建おるこず自䜓が、この時代に始たった発明だった。

    前線で、ダマトは窓口ずしお、倧陞から列島ぞ流れるものを握った。埌線で芋たのは、その最埌の応甚である。神々の流れもたた、握られた。各地から吞い䞊げ、系譜に線み、祀り方たで差配した。モノの網の䞊に、物語の網が重ねられた。

    いた、党囜の神瀟の由緒曞きに䞊んでいるのは、たいおい蚘玀の神の名である。宮䞭に玍められた正統性の台垳に過ぎなかった曞物が、千䞉癟幎かけお、土地の名乗りになった。八䞖玀に線たれた配圹衚を、自分たちは、ただ読んでいる。

    力が、物語になった。そしお物語は、今も力を生み続けおいる。

     
     
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