
愛と平和のテンダネス 木之俣ククル / ワタナベマモル 三重TOIN BASE M
先日、たぶん三重県では初でしょうか。長野の伝説的ミュージシャン、木之俣ククル(a.k.a. The End)を観てきました(2026年9月26日)。
ライブハウスBASE Mのマスターが、店を始めた理由の一つとして山川のりを(ギターパンダ)を呼ぶことがあった。山川さんが歌う「引き潮」という曲に感動したところ、実は作曲者は長野のミュージシャンだった(山川さんは友人の曲を取り上げることが多い)。
そこで、機会があれば呼びたい。ククルさんと親交のあるワタナベマモルさん(グレイトリッチーズ/MAMORU&THE DAViES)が出演するときに一緒に来てもらおう!となった。
その日の1番手、マスターがドラムを叩くThe BEATLESのトリビュート・バンドThe SELTAEB(セルターブ: ビートルズを逆から読んだ)のステージが熱狂のうちに終わった後、しばらくお店は喧騒に包まれていました。
そのざわざわが、ククルさんの声の存在感で静まった。
あの声と、抜群のメロディーの説得力があるからこそ、ユーモアもためらわず歌えるし、その奥にある辛辣な皮肉や世界に対する批評も成り立ちます。Bob Dylanの名を出すまでもなく、フォーク・ロックとはどうあるべきかを知りたければ、実際に、生で、木之俣ククルを観ればいい。
彼が音源を出すことを避け、唯一ある音源がライブ音源で、むしろ付属の友部正人らによるトリビュート盤がメインであることも、彼の現場至上主義と、フォークは人から人に伝承されていくもので、自分は何者でもないという意思表明なのかもしれない。
一聴、何の変哲もない歌のようで、それがわたしたちの体を通り過ぎていくうちに、恐ろしいことに気づかされる。ある人はただ体を揺らして楽しんでいて、ある人はただ笑っているだけかもしれない。すぐに分かったら為政者に気づかれてしまうから、分かる人だけに届けばいい。
そういうこととは関係なく、「君の瞳に恋してる」のカバーも良かったです。なぜ人は分かり合えないんだろう。騙し合うんだろう。くだらないことにうつつを抜かしているんだろう、なぜ自分はもっと強く在れないんだろう。
そういった苦しみもどうでもよくなるくらい、個人のエゴがどうでもよくなるくらい、至上の美しさを歌っていた。ボーイズ・タウン・ギャングやローリン・ヒルのカバーよりも、もちろんZARDのカバーよりも、凄かった。赤子のように泣けたらいいのにな、と思いました。フランキー・ヴァリを聴き返しています。
トリのワタナベマモルさんも最高でした。最高にハッピーな演奏。
マモルさんは盟友ヒロトやマーシーと同じく、というか、あの世代のミュージシャンはみんな、古いソウルやブルースに深い敬意を持っていると思います。The SELTAEBの演奏も、おそらく会場の誰よりも誰よりも楽しそうに観ていて。
マモルさんはこの店、Toin Base Mを素晴らしいところだと仰っています。ミュージシャンのそういった発言って、この辺では、かつて名古屋・鶴舞のKDハポンを「東京に持ち帰りたい」と語ったトクマルシューゴくらいしか知らない。
マモルさんは「今日のセルターブの曲目がなぜ素晴らしかったって、ビートルズが人前で演奏しなくなった中期から後期の曲なんです。だから、それらの曲を初めてライブで聴けたんです」と、本当に嬉しそうに曲の合間に語っていて、この人は本当にロックを愛して、ロックに愛されているんだなと思いました。
そして、ビートルズ風のナンバーをやろうといって「あの娘が知ってる」。確かに私でもわかるマージー・ビート、リバプール・サウンドだけど、歌詞はもろにRCサクセションの「君が僕を知ってる」で本当にニヤニヤしてしまい、収録されている2015年のセルフカバー集も買ってしまった。
未発表曲を披露して、「未発表曲がほめられると嬉しいですね」と言い、続いて来年予定の新作からのナンバーを。「愛と平和のテンダネス、タイトルはオーティス・レディングから」と。
同じくレディングのMCを超訳したという忌野清志郎の名台詞「愛し合ってるかい?(We all love each other, don't we?)」を思い出しました。