
本とわたしと積読の森➀
本が好きだ。読書が数ある趣味のなかの一つ。でも、べつにそんな大層な読書家なわけではない。高尚な文学作品とかはあんまり読んだことないし、その時々で話題になっている本だったり、人気作家の本を読んだり……その程度。だから「わたしは読書家」と胸を張って言うのはちょっと気が引ける。そんなことを言ったら本物の読書家には怒られるかもしれない。
でも、本は好き。
いつからそんなに本が好きだったのか・・・。
私の記憶では、昔からすごく好きだったわけではないように思う。
カセットテープとラジカセ
まだ自分では字が読めないくらい幼かった頃は、「これ読んで。これ読んで。次はこっち!」と、母親に本の読み聞かせをねだる程度には好きだった……らしい。
やっと読み終わった!と思っても「次はこれ!」と、いつまでも終わらないエンドレス読み聞かせ。
寝る前に読み聞かせをすると、眠くなるどころか、目がランランと輝きだしてむしろ逆効果。
そんな無限読み聞かせ地獄に疲弊しきった母は、ある日、三種の神器を手に入れた。絵本、朗読テープ(カセットテープ)、ラジカセ。
絵本とカセットテープとラジカセ。
カセットテープとラジカセ。・・・ノスタルジー。
「まよいちゃん、ママ、とってもいいものを買ってきたの」と、いろんな童話が詰まった本とラジカセを手渡された。
「これね、はい、このテープをラジカセにセットします。そして、絵本のページを開いて…ここ、このボタンを押すと、お話しが聞こえてくるの。ね?ほら、(絵本の)ここを読んでくれてるよ。……(♬ チリーン)
あ!ベルがなったね!ベルがなったら、ページをめくってね」
果たして、母は無限地獄から解放された。
でも、その記憶は私にはない。
ことあるごとに、あの時は大変だった、あの商品は神だったと言われるけれども、実物を目にした記憶ないし。だって、物心がついた時にはもうなかったから。きっとテープが擦り切れるかして処分されたのだろう。
「まよいちゃんは小さい頃から、本当に本が好きだったよね」と言われるけれども、その程度の「好き」であって、病的に好きだったわけではないと思っている。
まよいは、心の中で読むことを覚えた
小学校にあがると、そこは楽園だった。
はじめて足を踏み入れたその学校は、ド田舎の小さな小学校だったけど、小さいながらも図書室は充実していた。
こんなに部屋中に本が詰め込まれている場所が世の中にあるなんて。
しかも、本屋さんと違って、何が書いてあるのかさっぱりわからない大人向けの難しい本はほとんどなくて、小学生が読めるレベルの本で埋め尽くされている。
天にも昇る気持ちとはまさにこのこと。感激したピカピカの1年生は、図書室で本を借りては家に持ち帰り、居間(当時住んでた家の居間は、断じてリビングなどという洒落た空間ではなかった。どこからどうみても”居間”という表現がしっくりくる部屋だった)で大きな声で読みまくった。
とにかく手当たり次第に、気に入った本を持ち帰ってくるわけで、そのラインナップはとにかく多彩であったようだ。
ある日、母に言われた。
「まよいちゃん、本を読む時は心の中で読もうね」
母自身も本を読むのが好きで、よく読んでいたし、多趣味な人間であったから、本を読んでいないときは、編み物をしたり友人に手紙を書いたり…そんな時に聞こえてくる娘の声は、きっとうるさく感じることも多かったのだと思う。それでも、それが物語であるうちはよかった。多少耳障りではあっても、幼いわが子が楽しそうに読み上げるその甘い声は、愛おしいものであったはず。だがしかし。娘が手当たり次第に借りてくる本は、童話であったり、絵本であったり…こども向けの性教育の本であったり、童話であったり、性教育の本であったり……。
性教育の本。
オーマイガッ。
そして、それを意味もわからず大きな声で読み上げるわが娘。
「精子がお母さんのお腹の中で卵子と出会って……」
辛い。これは辛い。意味もわからず読み上げているのが、さらに恥ずかしさを掻き立てる。
これはいくら愛しいわが子といえども、さすがに聞くに堪えない。
こうして私は、本は心の中で読む、という術を身につけた。
ちなみに、これも全く記憶にございません。
この段階でも、まだそこまで本が好きだったわけではないと思う。少なくとも、今ほどではなかった。
だけど、ピカピカの1年生が、だいぶピカピカではなくなってきた頃。
まよいは、真性の本好き娘と見事に変身を遂げたのである。
……不本意ながら。はい、本当に不本意ながら。
だって、あの事故さえなければ。
「ちょっと本が好きな普通の女の子」程度で済んでいたに違いないもの。
(つづく)