
その対応、比べられているかも
行政でも、窓口の接遇は、住民との信頼関係を築く上で欠かせません。
そんなことは、きっと誰もが分かっていると思います。
でも、その「分かっている」が、実は一番難しいのかもしれません。
大谷翔平選手が先発登板した試合で、
見事に0点に抑えてマウンドを降りたとします。
ところが、その後に登板したリリーフ投手が打たれてしまうことがあります。
なぜか。
打者の目が、すでに大谷選手の
時速160キロを超えるストレートや、キレのある変化球に慣れているからです。
それ以上のスピードやキレがなければ、
「打てそう」に見えてしまう。
これ、行政の窓口にも少し似ているなと思うのです。
例えば、住民の方が飲食店やお店で、
気持ちのいいサービスや接客を受けた後に、
そのまま行政の窓口に来られたとします。
その時、どう感じるでしょうか。
比べようとしていなくても、
「差」は自然と伝わってしまいます。
自分では「これが普通」と思っていることが、
相手にとっては「違和感」になることもあります。
しかも、その違和感は、
言葉にされないまま積み重なっていく。
窓口であれ、電話であれ、
住民にとっては、その対応をした「その人」が、
そのまま組織の印象になります。
たった一人の対応が、
「この組織は信頼できる」
にもなれば、
「なんとなく冷たい」
にもなってしまう。
実際に、電話対応ひとつをとっても、
自治体によって大きな差があります。
聞き取りやすい笑声で、はっきりとした発音で対応されるところもあれば、
話の途中で転送が始まったり、
受話器から遠く感じるほど声が小さい場合もある。
どちらも、本人に悪気はないのだと思います。
でも、受け取る側の印象は、大きく変わります。
だからこそ、「基準を揃える」ということには意味があります。
それが、接遇やマナーを学ぶ機会なのだと思います。
笑顔と、笑声。
たったそれだけのことのようで、
実は、その積み重ねが「安心」をつくっています。
そして、その安心は、
制度や仕組みではなく、
「人」からしか生まれないものだと思うのです。
私自身、接遇やマナーについて話すときは、
スキルを伝えるというよりも、
「安心を届ける側である」という責任を、
一緒に考える時間にしたいと思っています。
今日も、どこかで、
誰かの笑顔や声が、
小さな安心をつくっている。
そう思うと、少しだけ、
この仕事の見え方も変わる気がします。