
こんな時代だから汚い字が逆に役に立つ
気づいたら、社会から「字を書く」という行為がかなり消えた。
仕事はPC、連絡はスマホ、住所も名前も入力。
漢字なんて今や「書くもの」じゃなくて「変換候補から選ぶもの」である。
だから読める。意味も分かる。
でも、いざ紙とペンを渡されると、
「あれ?ここ一本出るんだっけ?」
「右上に点あったっけ?」
「この漢字、なんとなくこんな感じだったよな?」
脳内に“漢字の雰囲気”しか残ってない。
そこで俺の汚い字が役に立つ。
分からない部分だけ少し崩す。
点があるか分からない?
点にも線にも見えるようにする。
一本出るか分からない?
出てるとも出てないとも取れる絶妙なところで止める。
これで完成。
俺にも分からない。
読む側にも分からない。
つまり間違ってるかどうか判定できない。
綺麗な字を書く人は大変だ。
間違えたら証拠が鮮明に残る。
俺の字は違う。
証拠能力が低い。
達筆な人も崩しすぎて読めないことがある。
俺も汚すぎて読めないことがある。
到達地点は同じだ。
向こうは書道を何十年も修行した。
俺はただ雑に生きてきた。
圧倒的コスパである。
汚い字にも使い道はある。
読めればいい。
そして間違っていたとしても、
読めなければもっといい。