
日本人全員、もう個人情報が流出しているんじゃないのか。
ここ最近、日本企業の個人情報漏洩が異常なペースで相次いでいる。
さっきも航空券予約サイト「スカイチケット」では約1,464万件もの会員情報が流出したという。
これだけ毎日のように報道されていると、もはや日本人全員の個人情報が、どこかから流出しているんじゃないかとさえ思えてくる。
私自身、これまで情報漏洩のお詫びメールが届いたことはまだ一度もない。試しに過去の流出履歴を検索できるサービスで調べてみたが、結果はゼロ。
しかし、これですべて安全だという保証はない。
そもそも情報漏洩といっても、何が漏れたかによって危険性はまったく異なる。
氏名とメールアドレスだけなら比較的軽微。住所や電話番号、生年月日が加われば詐欺などへの悪用リスクが高まる。
クレジットカード情報なら利用停止や再発行を検討する必要があるし、顔写真付き身分証まで流出すれば、不正契約なども警戒しなければならない。
パスワードや認証情報の流出も深刻だ。
さらに、別々の企業から流出した情報が結びつけば、より詳細な個人情報が完成してしまう。
つまり、重要なのは流出件数だけではなく、何が漏れ、それによって何ができてしまうのかということだ。
さて、ここで少し違う視点から考えたい。
私は情報漏洩を起こした企業を擁護するつもりはない。
しかし、企業に完全な情報管理を要求すること自体、構造的に無理があるのではないだろうか。
会社には必ず人間が出入りする。
社員、派遣社員、業務委託、取引先、保守業者。入社する人間もいれば退職する人間もいる。
企業規模が大きくなるほど関係者は増え、情報管理は複雑になる。
そして、人間は必ずミスをする。
どれだけ教育しようが、どれだけ厳重なシステムを構築しようが、事故の可能性をゼロにはできない。
企業に絶対に情報を漏らすなと要求するのは、運転手に絶対に交通事故を起こすなと要求するようなものではないか。
だから交通社会には、信号機や道路整備、安全装置、警察、保険制度が存在する。
サイバーセキュリティも同じように、社会全体で防御する仕組みが必要なのではないだろうか。
そこで考えるのが、国家による防御網の構築だ。
例えば、日本と海外を結ぶ通信に国家が関与する防御層を設け、不審なアクセスや攻撃の兆候を横断的に監視する。
企業が個別に攻撃を受けるのではなく、その外側で国家が防御するという考え方である。
もちろん、これには監視社会への懸念がある。
しかし私個人としては、一定の通信監視を受け入れることに、それほど抵抗がない。
犯罪に関わる通信をしているわけでもなく、誰かと秘密のやり取りをしているわけでもない。
街中の防犯カメラと同じで、普及すればそのうち気にならなくなるのではないかと思っている。
ただし、気になる人は当然いるだろう。
合法的な通信にも守られるべき秘密はあるし、国家による権限の濫用も防がなければならない。
だからこそ、監視の範囲や目的を法律で厳格に制限し、国家の権限を監督する仕組みが必要になる。
そもそも国際通信を監視したところで、内部犯行や国内経由の攻撃まで防げるわけではない。
それでも、個々の企業任せにするより、国家が防御の一翼を担うことには意味があると思う。
企業は必ず事故を起こし得る。その前提で社会の安全を設計するべきなのだ。
情報漏洩のたびに企業を非難し、謝罪と再発防止策を求める。
それも必要だが、同じことを何度繰り返せばよいのだろう。
企業の責任を追及するだけでは、次の攻撃は防げない。
国民の自由をどこまで守り、安全のためにどこまで国家へ権限を認めるのか。
これは決して簡単な問題ではない。
しかし、デジタル化が進み、個人情報の提供なしには社会生活が成り立たなくなった今、避けて通れない議論だと思う。
「なぜ企業は情報を漏らしたのか」だけではなく、「情報が漏れることを前提に、国家は国民をどう守るのか」。
そろそろ議論の中心を、そこへ移す時期に来ているのではないだろうか。