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整体師とお坊さんとカカシ 第5話

     夜中の病院に居ると一日の幕が下りてゆく感じが好き。
     18時頃に夕食を配膳すれば患者さんたちはしばし集中し、そこから22時の消灯までそれぞれの時間を過ごす。テレビを見ながら画面に話しかけたり、洗面台で歯を磨いたり、早くも熟睡したり。

     看護学生の夜間実習は3年生が予定を組んで数名ずつ行う。
    私は2回目だが小野さんはこれが初めてらしい。
    「二人とも聞いてるよね。夜勤あるある」
     当番看護師の田畑さんがいわくありげな笑みを浮かべて切り出した。
    「もしかして怖いやつですか……」
     そう私が返すと小野さんの目が泳いだ。
    「あの、いきなりそういうの困ります。私苦手なので」
    「そっかぁ、じゃあやめとくわ」
    「ありがとうございます」
     小野さんがホッとしたのも束の間、それまでPCを睨んでいた看護師の安元さんが厳しい口調で釘を刺す。
    「日勤と違って数がいないんだから。とにかくめんどうを起こさないでちょうだい」
    「はい、よろしくお願いします!」
     私が気合いを入れて返事をすると、小野さんのか細い声を掻き消してしまった。
     でも田畑さんと安元さんの苦笑気味な表情から察するに、何とか彼女の返事を聞きとれたらしい。
     
     二人並んで看護師の動きに注視していると、小野さんがひそひそと話しかけてきた。
    「ねえ、夜勤あるあるってどんなの?」
    「え、怖いの苦手だって言ったじゃん」
    「だって、やっぱり気になるし」
     私は長々と説明しておしゃべりするなと怒られるのを避けるため手短に答えた。
    「誰もいないはずの部屋からナースコールがあるとかでしょ」
    「コワッ!」
     彼女が声を上げてしまい、安元さんの冷たい視線を感じたそのとき。

    ♪チャーララララ ランランラン チャーララララ ランランラン

     馴染みのあるメロディーが流れた。
    「309のNSさん、トイレ介助かも。二人は私の後ろで静かに見てること」
     田畑さんに言われて一緒に向かおうとしたが。

    ♪チャーララララ ランランラン チャーララララ……

    「307のTMさんだわ。じゃあ真山さんは私と来てちょうだい」
    「はい」
     安元さんに名指しされるまま返事をする。
    立て続けにナースコールが鳴り、深夜のスタッフステーションが慌ただしくなった。

    ♪チャーララララ ランランラン……。

    「出た!無限メヌエット。303のHGさんか」
     安元さんのつぶやきから咄嗟に閃いた。
    「私、HGさんの対応したことあるので、行きます」
    「そう、じゃお願い。判断できないことがあったらPHSで呼んでちょうだい」

     ナースコールは日勤でも頻繁に鳴るが、夜勤の場合は看護師の人数が少ないためたたみかけるように鳴ると対応しきれない。どうしても順番になってしまう。

    「無限メヌエットも夜勤あるあるだよね」
     田畑さんがこぼしながら小野さんと出て行く。
     安元さんは307,私は303へと向かった。

     消灯時間からは廊下の照明もやや薄暗い感じになる。
    「303、HG」
     私は病室の入り口にあるネームプレートを見つけて、囁くように指差し呼称した。
     HGというからには、先日、辻田深園の胸を触ったセクハラ「ハゲじじい」に違いない。
     4人部屋なので他の患者さんもいる。ここは冷静になって足音を立てないようにせねば。
     病室はさらに照明が落ちてほとんど暗がり状態だ。
     ベッドサイドで中腰になり小声で話しかける。
    「HGさん、どうされましたかぁ」
    「腰が痛い」
    「いつ頃からですか」
    「今さっき」
    「そうですか、ちょっと脈をとりますね」
     左腕の手首親指側に人差し指と中指を当てて15秒間測定する。
     案の定、右腕を伸ばして私の胸を触ろうとした。
     自力でこれだけ上体を動かせれば心配はなさそうだが。
    「脈は正常だし発熱もないようですね」
     私は平然と答えたが相手はしつこい。
    「腰が痛くてかなわん。揉んでくれんか」
    「痛み止めのお薬を出しましょうか」
    「いや、薬はすかん。さすってくれれば治るかもしれん」
     しつこい。しつこいしつこいしつこい。嫌な感じ。
    だがこれも看護師の仕事だ。そう自分に言い聞かせる。
    「じゃあ、右を下にして横向きになれますか。痛かったら無理しないでください」
    「おう、こうか」
    「そうですそうです。少し膝を曲げてもらえますか。クッション挟んどきますね」
     体位が安定したところで、仙骨あたりを中心に手のひらで円を描くようにマッサージした。
    「そこは違うな。股関節が痛むみたいだ。もっと下の方をたのむ」
     正体を見せたなセクハラじじい。私はブチ切れそうな感情をなんとか抑え込もうともがいた。すると頭の中に青い光が現われ、やがて小さな空豆のような形をなしてゆく。それとともに私の意識が薄れ自分ではないような感覚に襲われた。

     ナンタイサンカツサレ!

    「ん、何か言ったか?」

     そげん股関節ば揉んで欲しかったい。
     ならこうしちゃろう、ほれ、グリグリグリ。

    「ヒイッ!潰れる!ウウウ……」

     何らかの意思によって私はHGのお尻側から股間に腕をツッコんで力一杯締め上げた。
     さすがのセクハラじじいも急所を潰れるほど圧迫されて白目を剥いている。
     今にも泡を吹いて失神しそうなとき、背後から声がした。

    「HGさん、どうされましたかぁ」
     トイレ介助を終えた田畑さんが心配して様子を見に来たらしい。
     私はその声を聞くと頭の中の空豆が消えて我に戻っていくのを感じた。

    「もういい、もう治ったから」
    「そうですかぁ、また何かあったら呼んでくださいね」
     田畑さんはHGさんに告げると私に手を添えて外に出るよう促した。
     ヤバイ、怒られる。どころか退学処分ものかも。
     音を立てずに競歩の速さで歩く田畑さんの後から必死についていきながらそんなことを考えた。

     トントン
     田畑さんは休憩室のドアをノックした。
    「誰もいないわね。ここで話しを聞きましょう」
     やはりただでは済まないらしい。

     休憩室は6人掛け程度のテーブルとチェアーがあるシンプルな設備だ。
    「まあ座んなさいよ」
     田畑さんは私が腰を下ろすとその斜め前に座った。
     真正面から尋問みたいに追及するつもりはないのかも。
     勝手に場の空気を読んでいたらいきなり直球を投げられた。
    「何をやったの?HGさんに」
     彼女が駆けつけて声を掛けたとき、まだ私は股間に腕をツッコんでいたはずだ。
     タイミング的に僅か1~2秒としても、異様な空気を感じとるには十分だったらしい。
     私は青い光りと別の人格が現われたことだけは絶対に話すべきではないと思った。
     精神状態を疑われるかもしれないし、田畑さんだってどう対応してよいか戸惑うだろう。
     だから、それ以外のことを正直に話すことにした。

    「脈をとっていたら、HGさんが私の胸を触ろうとしたんです」
    「そっかぁ、嫌だったよね」
    「それはまだ何とか我慢できました。懲りずに腰が痛いから揉んでくれと言われました」
    「リラクゼーションを目的としたマッサージはできるけど、本当は指導看護師の許可が要るのよねぇ」
    「すみません。HGさんからしつこく頼まれて咄嗟に仙骨をさすりました」
    「ふーん、仙骨ねぇ。私が背中越しに見た限りでは、股間に腕が入ってたような気がしたんだけどぉ」
    「それが、よく覚えてないんです。そのあたりからムカついてきて、意識が薄れたっていうか……」
    「マジで?本当に何も思い出せないの」
    「いえ、それが薄らと感覚が残っているっていうか……」
    「ふんふん、どんな感覚?」
    「たぶんだけど、睾丸を握りつぶしたような感じです」
    「あちゃー、タマタマを!だからHGさんも黙秘したってわけだ」
    「たぶんそうだと思います。ごめんなさいっ」
    「本当はHGさんにお詫びを言うべきだろうけど、彼も黙秘してるんだからそこんとこは察してあげましょう。つまりあなたも誰にも話しちゃダメってこと。わかった!」
    「え、はい、でも私の処分とかは」
    「もう、あんたってピュアなのね。いいよく聞きなさい。私は事を荒立てたくないの。HGさんの体調に異変はないし、そもそもHGさんがセクハラだと騒がれたくないんだから。私だって実習生の夢をこんなことで失わせたくないわけ」
    「はあ、つまりどういうことに……」
    「だからぁ、無かったことにするのよ。ケア記録には『HGさん。腰痛を訴えさすってほしいと希望。仙骨周辺をさする。楽になったとのこと』とでも書いときなさい」
     田畑さんは話し終えるとスタッフステーションに戻るため競歩のような速さで歩き、私も必死について行った。

     夜間実習はまだ続いたが、私は心ここにあらずという状況だった。小野さんから呼びかけられても気づかず「ちょっと、何か変だよ。大丈夫?」と心配される始末だ。

     田畑さんと秘密を抱えたことはもう吹っ切れた。すると今度は青い空豆と呪文のようなあの言葉が気になってしょうがない。

     じいちゃんが書いた「ナンタイサンカツサレ」が私を操ってるのではないか。



    第6話へ続く⇒


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