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中島敦「山月記」考察1 李徴は虎になれて喜んでる?

    中島敦の小説「山月記」、昭和17年(1942年)発表。

    この小説は高校教科書に採用されており私もそれで知った。多くの人は大まかな展開はご存じだろう。
    下記の台詞も有名だ。

    「その声は、我が友、李徴子ではないか?」

    (※ 著作権切れにより引用自由です。)

    この「山月記」に、突っ込みをいれていきたい。

    ・「思わず変身した結果が、目覚めたら毒虫とか玉手箱あけたらおじいちゃんとかではなく、虎。悲劇というよりはかなりマシでは?」
    ・「李徴って、昔の友人に『俺は虎だぞ!』と積極的にアピールしてないか?」と。


    1、虎になりたい


    虎といえばアニメの「タイガーマスク」(原作:梶原一騎)には、主人公の伊達直人が孤児院にいた頃に「俺は虎のように強くなりたい」とつぶやいたり、「虎になれ、お前は虎になるのだ」等の台詞が出てくる(これらも「山月記」を元ネタにしてる?)。

    むろんこれは人間でなくなる意味は含んでいないが、虎が強さの象徴であることを示している。

    もし「なにか動物や生き物に変身しなきゃいけない」との前提に勝手に立って想像してみれば、虎はかなりマシな部類だろう。

    実際「山月記」でも、「ウサギ」が虎の対象かのように一瞬だけ出てくる。

    しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。

    李徴がなっていたのが虎ではなくウサギであったなら、こうして猛獣に一瞬で喰われ、「山月記」は以下の第一段落の末尾で、終わっていたかもしれない。

    或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。附近の山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなったかを知る者は、誰もなかった。


    2、もったいぶる李徴

    行方不明後の李徴(?)が初登場する場面。

    残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢(くさむら)の中から躍り出た。虎は、あわや袁サンに躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜えして、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁サンは聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、叫んだ。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」

    2(1)つぶやきを繰り返し聞かせる李徴

    高校時代には気付かなかった。
    ここで李徴は「あぶないところだった」と、わざわざ声に出して、しかもわざわざ「繰り返し」つぶやいているのだ。

    もっと言えば、その場から離れることもでず、つぶやきが聞こえる程度の距離を維持したうえで、つぶやき続けているのだ。

    まるで聞えよがしでは。


    2(2)もったいをつけて名乗る李徴


    またここで李徴は人の声で話せるのだから普通に「袁サンおれだよ!李徴だよ!」と自分から呼び掛けてもいいだろう。

    しかし李徴は、つぶやきを繰り返し聞かせるくせいして自身からは名乗ろうせず、相手から「我が友、李徴子ではないか?」と聞かれるのを待ってから、こう話し出す。

     叢の中からは、暫く返辞が無かった。しのび泣きかと思われる微かな声が時々洩れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は隴西の李徴である」と。

    李徴はさらに、しばらく無言
    → かすかな声が聞こえる距離のままその声を何度か聞かせる
    → さらに間を取ったうえで、「如何にも自分は~」

    まるでドラマやマンガの悪役・大物が満を持して登場! リングに乱入した謎の覆面レスラーがマスクを取ったらあの大物だった! な演出気取りではないか。

    2(3)袁サンを暗に脅す李徴


    これも高校時代には気付かなかったが、李徴は友人を脅迫している。

    しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人(とも)と認めることなく、君を裂き喰ろうて何の悔も感じないだろう。(略)
    ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了う前に、一つ頼んで置きたいことがある。(略)
    自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業未だ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇、固より、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚記誦せるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。

    「俺は虎だから君を喰ってしまうかもな。ああ、俺がそうしたいのではなくてこれ仕方ないんだ」
    こう李徴は言っている。
    まるでチンピラが「別に俺はいいけど兄貴に伝えたら怒っちゃうなあ」と責任逃れしつつ脅迫するさまに見えてきた。

    その上で、李徴は「数十」もの詩をわざわざ書きとらせることを要求している。
    昔の話だからタブレットでもボールペンでもなく、筆に墨をつけての書き取りである。かなりの手間暇だ。
    脅迫の上でこの要求をしている。現代の日本であれば脅迫罪・強要罪が成立しそうだ。

    やはり李徴は、俺は虎だぞ!と積極的にアピールしている。



    意外と長くなりそうになってきたので、ここでとりあえず区切ってまた読み直します。

    李徴は、虎になることができてよかったのかも。
    あるいはもしかして今現在も李徴は実は虎でなく、「俺は虎のようになりたい」願っているのかもしれない。孤児院にいた頃の伊達直人のように。


     
     
    夏目漱石や太宰治についての考察や評論を書いていきます。 法律や教育にも携わっています。 各記事はツイッターにもリンク張っています。 https://x.com/asukakazeitazu

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