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『傷だらけの栄光』と『レイジング・ブル』の主人公二人は、なぜ戦わなかったのか?

    ポール・ニューマン主演の映画『傷だらけの栄光』の主人公、ロッキー・グラジアノ(写真左)。
    ロバート・デ・ニーロ主演の映画『レイジング・ブル』の主人公、ジェイク・ラモッタ(写真右)。

    二人は年齢も近く、ニューヨークの荒っぽい街で育った不良少年でした。
    (ともにニューヨークの下町生まれであり、ラモッタはブロンクスで育ちました)。
    両者とも非行に走った結果、同じ感化院に送られ、そこで知り合いました。
    ※もっともそれ以前から知り合いだった、との説もあります。
    一説では、ラモッタが感化院からの脱走を企て、グラジアノが止めるも最終的には手伝い、結局は失敗に終わった、等のエピソードも伝わっています。
    少し漫画「あしたのジョー」の矢吹丈と力石徹を彷彿させる関係ですが、この二人はライバルとして敵意を燃やすのではなく、仲の良い友人となった点が異なります。

    成長するとともに、二人ともプロボクサーとしてデビュー。
    揃ってミドル級を舞台に、リングでは観客を熱狂させる激闘型のボクサーとして人気を博しました。

    これだけ共通点があれば、当然、一度くらい戦っていそうです。ところが、二人の対戦記録はありません。
    私は長いあいだ、それを不思議に思っていました。人気も実力もあり、しかも幼なじみ同士。興行を組む側からすれば、いかにも魅力的な顔合わせに見えるからです。

    調べてみると、

    「仲が良かったので戦いたがらなかった」
    「人気者のグラジアノが負けて商品価値を落とすことを、興行側が嫌った」

    といった説明に出会うことがありました。たしかに、ありそうな話です。
    けれども今回、私が見落としていた決定的な事実を知りました。
    二人は戦う予定だったのです。

    1950年5月、当時の世界ミドル級王者ラモッタと元世界ミドル級王者グラジアノは、6月28日にニューヨークのポロ・グラウンズで15回戦を行う契約を結びました。
    「戦えば面白いのに」という後世の想像ではありません。日付も会場も決まった、現実のタイトルマッチでした。
    しかし試合前、グラジアノが練習中に左手を負傷し、対戦は中止になります。

    つまり、少なくとも興行側がこの顔合わせを一貫して避けていた、という説明は成り立ちません。むしろ、実際に組もうとしていたのです。

    では、二人の友情は関係なかったのでしょうか。それも違うようです。
    グラジアノの死後、ラモッタは、かつて自分は対戦を望んだが、グラジアノは友達同士でどうして戦えるのかと話していた、という趣旨の回想を残しています。幼なじみと拳を交えることへのためらいは、あったのかもしれません。
    ただし、それは後年の思い出話です。契約が成立したあとの負傷まで、試合を避けるためだったと決めつける材料にはなりません。

    その時代のボクシングには、リングの外にも複雑な事情がありました。ラモッタは後に、王座挑戦の機会を得るため、1947年のビリー・フォックス戦で故意に負けたと米上院の公聴会で認めています。
    こうした話を知ると、実現しなかった試合にも裏の事情を想像したくなります。しかし、確認できる事実と、もっともらしい推測は分けておきたいところです。

    幻の対戦が中止になったあと、ラモッタは1951年2月、シュガー・レイ・ロビンソンに王座を奪われました。グラジアノも翌1952年4月、同じロビンソンに挑んで敗れます。二人はとうとう戦わないまま、別々に同じ偉大な相手の前に敗れ去ったのです。

    映画になった二人の人生は、リングの上で交わりませんでした。けれども一度だけ、交わる寸前まで来ていました。もしグラジアノの手が無事だったなら・・・。
    勝敗を想像する前にまず、「対戦はなかった」ではなく「対戦するはずだった」と知るだけで、この二人の物語は少し違って見えてきます。

    ちなみにグラジアノもラモッタも引退後はショー・ビジネスの世界で活躍し、共演もするなど、終生、友情は続いたようです。

    しかし激闘型の親友同士の対戦、実現したらさぞ面白い試合になっていたでしょう。ただ、それが実現しなかったのが良かったのかどうかは、神のみぞ知る、というところかもしれません。


     
    歴史、ボクシング、音楽、野球、落語、オカルト、恐竜その他諸々が好きな一会社員です。 気ままに書きたいことを書き連ねています。 バラバラのテーマを扱っていますが「人間の面白さ」が基本的なテーマです。

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