
【連載】はじめての夜会で、全員をびしょびしょにしてしまいましたわ|罪状その一
断罪されても、この美貌までは没収できませんでしたわ。
悪役お姉さま、ヴェロニカ・ヒールズよ。
これは、わたくしが断罪され、noteへ左遷されるまでのお話ですわ。
十六の春。
わたくし、ヴェロニカ・ヒールズは、はじめての夜会を迎えましたの。
馬車の窓のむこうで、王宮の灯りが近づいてまいります。
丘の上に、燭台をひっくり返したような光のかたまり。
車輪が石畳をたたくたびに、膝の上の扇が小さく跳ねましたわ。
手袋の中の指は、氷のよう。
社交界に出る、最初の夜ですもの。
ここでつまずいた令嬢は、一生「あの夜会の」と呼ばれますのよ。
三十年前に階段で転んだ伯爵夫人は、いまでも「階段の」ですわ。お孫さんまでいらっしゃるのに。
だから、わたくしは決めておりましたの。
誰よりも感じよく、誰よりも控えめに。
壁ぎわで微笑んでいるだけの、無害な令嬢でいよう、と。
微笑みは、鏡の前で百回練習いたしました。
九十七回目あたりで、ようやく「感じのよい方」に見えるようになりましたのよ。
「お嬢様」
向かいの席で、執事のクジョワール・ド・ローゼンハイムが、白い手袋の指をそろえましたの。
柳の枝のように細い男ですわ。馬車が揺れるたびに、いっしょにしなりますの。
「はじめての夜でございますから。忘れられないものにいたします」
そう申して、背中のうしろに、筒に丸めた紙をそっと隠しましたわ。
あの時、窓から捨てておくべきでしたの。
王宮の大広間は、光の海でしたわ。
天井には、千本のろうそくを抱いたシャンデリア。
磨きあげた大理石の床に、それがもうひとつ、逆さまに映っておりますの。
蜜蝋の甘い匂い。弦をあわせる楽団の音。絹と絹がすれあう、さざ波のような気配。
扉の前で、わたくしは息をひとつ、のみこみました。
うしろには、護衛のターナー・カー・モンデル。
扉とおなじ幅の肩をした、王国いちの剣士ですわ。鎧がかちゃりと鳴るたびに、給仕の方が一歩ずつ遠ざかっていきますの。
式部官の杖が、床を三度、打ちました。
「ヒールズ家ご令嬢、ヴェロニカ・ヒールズ様」
何百もの目が、いっせいにこちらを向きましたわ。
百回練習した微笑みを、顔にのせて。
一歩、踏みだした、その時ですの。
頬に、ひやりと冷たいものがふれましたわ。
霧でしたの。
天井の天使の彫刻のあたりから、きらきら光る細かい霧が、ゆっくり降りてまいります。
ろうそくの灯りが、ひとつ残らず、やわらかい輪をまといましたわ。
そして、わたくしの頭の上に。
うすい、七色の橋が、かかりましたの。
「まあ……」
どこかのご婦人が、ため息をつきました。
わたくしも、つきましたわ。きれいでしたもの。
三つ数えるあいだだけは。
四つ目で、ろうそくが一本、じゅ、と鳴いて消えました。
五つ目で、十本。
霧は雨になり、雨は、滝になりましたわ。
「止めるであります!」
ターナーが、床を蹴りました。
大理石にひびが入るほどの踏みこみで、天使の彫刻めがけて、銀の線が一本。
さすがは王国いちの剣士ですわ。
彫刻のうしろに隠してあった水の管は、見事にまっぷたつ。
斬れた口から、今度は横向きに噴きだしましたけれど。
公爵夫人の髪飾りが、真珠ごと流れていきました。
伯爵令嬢のドレスは水を吸って、三倍の重さになりましたわ。おひとりでは立てなくなって、お父さまとお兄さまが両側から支えていらっしゃいました。
楽団のバイオリンは、小舟のように浮かんで、譜面のあいだをゆっくり旅しておりましたの。
シャンデリアの灯りが、半分、消えて。
大広間じゅう、びしょびしょ。

やがて、水の音がやみましたわ。
聞こえるのは、ぽたり、ぽたりと、あちこちで落ちるしずくの音。
それから、わたくしの頭の上で、絹をたたく、ぱらぱらという音。
傘でしたの。
クジョワールが、いつのまにかうしろに立って、黒い傘をそっとさしかけておりましたわ。
あの細い腕で、まっすぐに。一滴もこぼさずに。
ですから、わたくしだけが。
髪の一本、裾のひとすじも、濡れておりませんでしたの。
うす暗い大広間のまんなか。
濡れていない令嬢が、ひとり。
濡れた全員を、見わたすように、立っている。
お詫びを申しあげなくては。
そう思って口をひらいたのに、声より先に出てきたのは、百回練習した、あの微笑みでしたわ。
体が、覚えてしまっておりましたの。
「まあ。笑っていらっしゃるわ」
「ご自分だけ、傘を」
「なんて、悪い方」
ささやきが、濡れた床を這うように広がっていきます。
ちがいますの。
これは、困っている顔ですの。
長い、長い沈黙のあと。
公爵が、かつらを両手でしぼりながら、おっしゃいましたわ。
「……まあ、せっかくだ。踊ろうじゃないか」
楽団が、流れついたバイオリンを拾いあげて、水を切りました。
少し湿った音で、ワルツがはじまりましたの。
その夜の舞踏会は、全員ずぶ濡れのまま。
靴が鳴り、裾が床をぬぐい、紳士淑女がつぎつぎにすべっていきます。
床がよくすべるものですから、みなさま、例年よりずっと上手に回っていらしたわ。
わたくしは、壁ぎわで微笑んでおりました。
予定どおりですわね。そこだけは。
帰りの馬車で、クジョワールが申しましたの。
「忘れられない夜に、なりましたでしょうか」
ええ。
王国じゅうがね。
罪状、その一。
はじめての夜会で、王国の社交界をまるごと水びたしにした令嬢。
……わたくしは、何もしておりませんのよ?
断罪の日まで、まだ少しありますわ。
つづきは、また今度。

◆ 登場人物 ◆
・ヴェロニカ・ヒールズ
ヒールズ家の長女。何もしていないのに、悪役と呼ばれる。
・クジョワール・ド・ローゼンハイム
執事。発明が趣味。完成したためしがない。
・ターナー・カー・モンデル
護衛。王国いちの剣士。止めようとすると、だいたい悪化する。
◆ 今回の発明 ◆
虹かけ霧吹き(設計図 一枚目)
お嬢様の入場にあわせて、頭の上に虹をかける仕掛け。
結果:三つ数えるあいだは成功。そのあとは滝。

わたくし、子羊たちのお悩みを100件片づけたら、王国に帰れますの。
悩める子羊ちゃんは、質問箱へいくのよ💋
最近はお悩みではなくて、質問が多いわ。週刊ヴェロニカで一気に出すわよ
ついでにこちらも見ていってくださいな。
記念すべき一日目に、私が綴ったものよ。