
海とラジオ
海とラジオ
亡き義父は、寡黙な人だった。
あれこれと話す人ではなく、家族の前でも多くを語ることはなかった。
けれど、釣りが好きで、天気のいい日には釣り道具を持って海へ出かけていった。
そのとき、いつも一緒に持って行っていたものが、古いラジオだった。
コロナ禍、義父と義母が相次いで亡くなった。
しばらく経ち、二人がいなくなった家で、遺品を整理していたとき、そのラジオが出てきた。
長い間使われていなかったせいか、少し色あせていて、ところどころ傷もある。
手に取ると、義父が釣りに出かけるときに、このラジオを胸ポケットに入れていた姿がふと浮かんだ。
何を聴いていたのだろう。
夏のある日、電池を新しいものに入れ替え、スイッチを入れてみた。
ザーッ、ザーッと雑音がする。
もう壊れているのかと思ったそのとき、雑音の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
高校野球の実況だった。
音は決してきれいではない。
少しくぐもっていて、雑音も混じっている。
けれど、その音が妙に懐かしかった。
そういえば義父は、夏になると高校野球のラジオ中継をよく聴いていた。
テレビを見るのではなく、古いラジオから流れてくる選手の名前や実況の声を、黙って聴いていた。
きっと海で釣りをしながら、波の音を聞き、時々ラジオに耳を傾けていたのだろう。
釣れない時間もあっただろう。
それでも海を眺めながら、ラジオから聞こえてくる高校野球に耳を澄ませていた。
寡黙だった義父にとって、ラジオは話し相手のようなものだったのかもしれない。
今年も夏になり、高校野球の季節がやってきた。
古いラジオのスイッチを入れる。
ザーッという雑音の向こうから、今年の高校野球の声が聞こえてくる。
その音を聴いていると、元気だった頃の義父が、釣り道具を抱えて海へ向かっていく後ろ姿を思い出す。
多くを語らなかった人だからこそ、残されたものが語りかけてくるような気がする。
古いラジオも、釣り道具も、今ではただの物なのかもしれない。
けれど私にとっては、義父が生きていた時間そのものだ。
海とラジオ。
今年も高校野球の声を聴きながら、あの夏の義父を思い出している。
元気に釣りへ出かけていた、あの頃の姿を。
もう会うことはできないけれど、ラジオから流れる声と海の記憶の中には、今も義父がいる。