メインコンテンツへスキップ
見出し画像

中飛車無頼帖(なかびしゃぶらいちょう)──江戸を喰らう異端の棋士


    序章:目覚め

    目を開けると、土の匂いがした。

    背中に当たるのはアスファルトではない。湿った地面だ。空を見上げれば電線がない。看板がない。飛行機雲もない。代わりに、木造の長屋が並び、遠くで物売りの声が聞こえる。

    「……嘘やろ」

    男の名は、仮に「納豆屋」としておく。富士の麓に住んでいた、ごく普通の成人男性だ。ただし一つだけ、人と違うことがあった。

    将棋が、やたらと強い。

    それも、たった一つの戦法だけで。


    第一章:身一つ、無一文

    江戸時代中期。八代将軍吉宗の治世と思しき頃。

    納豆屋は途方に暮れていた。スマホはただの黒い板になり、財布の中の一万円札は誰にも通じない。着ている服は「南蛮渡来の奇妙な布」と奇異の目で見られる。

    三日、飯を食っていない。

    寺の門前でうずくまっていると、坊主が声をかけてきた。

    画像

    「おぬし、行き倒れか」

    「……記憶が、ないんです」

    嘘ではない。この時代の記憶は、本当にないのだから。

    寺に置いてもらえることになった。飯と引き換えに、薪割りと掃除をする日々。だが、腹は満たされても心は満たされない。

    ある日、寺の裏庭で小坊主たちが将棋を指しているのが目に入った。

    駒の形が少し違う。だが、盤面は同じだ。

    納豆屋の指が、無意識に震えた。


    第二章:中飛車、始動

    「一局、指させてもらえませんか」

    小坊主を相手に、納豆屋は飛車を5筋に振った。

    中飛車。

    現代のプロ棋戦ではほとんどお目にかかれない。居飛車全盛の時代、「本筋から外れた力戦型」と見なされる戦法だ。

    だが、それがいい。

    江戸時代の将棋は、現代とは定跡の体系がまるで違う。矢倉も角換わりも、まだ洗練されていない。そんな時代に、現代のアマチュア六段が中飛車で暴れたらどうなるか。

    答えは単純だった。

    無双。

    小坊主を五局で全滅させ、噂を聞きつけた檀家の旦那衆が挑んできた。商人、浪人、隠居した武士。誰が来ても、中飛車で叩き潰した。

    「あの寺に、化け物がおる」

    噂は瞬く間に広がった。


    第三章:賭け将棋の闇

    江戸の町には「将棋会所」と呼ばれる場所が点在していた。表向きは風雅な遊び場だが、裏では賭け将棋が横行している。

    納豆屋は、ある雨の夜、神田の将棋会所に足を踏み入れた。

    「一局、銀二枚」

    銀二枚。現代の価値にして、およそ三千円。寺でもらった小遣いの全額だ。

    相手は、会所の常連。自称「神田の鬼」。居飛車穴熊を得意とする中年の商人だ。

    納豆屋は、黙って飛車を5筋に置いた。

    「中飛車か。珍しいのう」

    鬼は鼻で笑った。

    だが、笑っていられたのは序盤だけだった。

    中飛車からの急戦。5筋の歩を突き捨て、飛車と角の利きを一点に集中させる。現代なら「ゴキゲン中飛車」と呼ばれる形の原型だ。この時代の棋士は、この攻め筋を知らない。

    三十手で、鬼は投了した。

    「……もう一局」

    「銀五枚で」

    その夜、納豆屋は銀三十枚を持って会所を出た。


    第四章:吉原への道

    金ができた。

    納豆屋は、まず身なりを整えた。古着屋で小ざっぱりした着物を買い、髪を結い直す。そして、ある夜——。

    日本堤の土手を越え、大門をくぐる。

    吉原。

    江戸最大の遊郭にして、当時最高峰の文化サロン。

    納豆屋は、正直に言えば、ただの下心で来た。だが、一歩足を踏み入れて、度肝を抜かれた。

    ここは、ただの歓楽街ではなかった。

    引手茶屋では俳句の会が開かれ、座敷では三味線と唄が響く。遊女たちは客と和歌を交わし、書の腕を競う。花魁ともなれば、その教養は大名の姫にも劣らない。

    画像

    「おや、お初のお客さまかえ?」

    声をかけてきたのは、中堅どころの遊女だった。

    「あなた、お侍さまにしては目つきが違うねぇ。博打打ちかい?」

    「……将棋指しです」

    「将棋? あら、珍しい。うちの楼主も将棋好きよ。今度指してあげたら?」

    こうして納豆屋は、将棋を通じて吉原の内側にも食い込んでいくことになる。


    第五章:名人の影

    噂が大きくなりすぎた。

    「町人の身で、武家の者を賭け将棋で負かしまくっている男がいる」

    この話が、将棋家元・大橋家の耳に入った。

    江戸時代の将棋界は、大橋本家・大橋分家・伊藤家の三家が支配している。「名人」の称号はこの家元から出るものであり、町の賭け将棋師など、彼らにとっては虫けら同然だ。

    画像

    しかし、その虫けらが、家元の門弟を次々に破っているという報告が上がってきた。

    ある日、納豆屋のもとに使いが来た。

    「大橋家が、お手合わせを所望されておる」

    納豆屋の背筋が凍った。

    家元に目をつけられる——それは、江戸時代の将棋指しにとって、栄光にも破滅にもなり得る。

    だが、逃げるわけにはいかない。

    中飛車しか、指せないのだから。


    第六章:御前試合

    大橋家の屋敷。畳の上に置かれた、漆塗りの将棋盤。

    対面に座るのは、大橋家の若き俊英。名は伏せるが、のちに七段を許されるほどの実力者だ。

    「お手柔らかに」

    納豆屋は、深く息を吸った。

    初手、▲5六歩。

    中飛車の宣言。

    対面の若者が、わずかに目を見開いた。こんな序盤を見たことがないのだろう。当然だ。この時代、飛車を中央に振る戦法は「奇手」に分類される。

    だが、奇手には奇手の強みがある。

    相手の研究にない。定跡にない。どう対応していいか分からない。

    中飛車の本質は、相手を「自分の知らない将棋」に引きずり込むことにある。

    中盤、納豆屋は現代仕込みの手筋を繰り出した。5筋からの歩の連打、飛車の転換、角のラインを使った間接的な攻め。江戸時代の棋士が見たこともない組み立てだ。

    しかし——。

    若者は、強かった。

    未知の攻めを受けながら、的確に急所を見抜いてくる。経験にない局面でも、純粋な読みの力で最善手を探り当てる。

    これが、家元の力か。

    終盤、納豆屋は薄氷を踏む思いで一手一手を指した。

    そして——。

    「……参りました」

    頭を下げたのは、若者の方だった。


    終章:異端の棋道

    大橋家との対局後、納豆屋は「御城将棋」(将軍の前で指す公式戦)への推薦を打診された。

    断った。

    「私は、町の将棋指しでいい」

    家元の庇護に入れば、安定した暮らしが手に入る。だが、それは同時に、家元の流儀に従うことを意味する。居飛車の定跡を学び、格式に則った将棋を指すことを求められる。

    それは、できない。

    自分には、中飛車しかないのだ。

    正統ではない。本筋でもない。トッププロは誰も指さない。

    だが、それでいい。

    最善手を指すことが、最善の人生とは限らない。

    自分の土俵で戦い続けることこそが、この時代を——いや、どんな時代を——生き抜く、ただ一つの戦法だ。

    納豆屋は今日も、神田の会所で飛車を5筋に振る。

    稼いだ銀で、たまに吉原の土手を越える。

    花魁に将棋を教え、小坊主に中飛車を伝え、誰にも属さず、誰にも媚びず。

    江戸の空の下、異端の一手は、今日も盤上に響いている。

    画像

    ——了——

    【著者注】

    この物語はフィクションです。

    登場する将棋の戦法や江戸時代の文化・制度は、史実を参考にしつつ、物語として再構成しています。

    なお、中飛車は現代のプロ棋戦ではほとんど見られませんが、アマチュア将棋では今なお多くの愛好者に親しまれている、れっきとした正統戦法です。

    ——機械との共著・草稿——



     
     
    AIとの共著で毎日なにか作っています。 タロットデッキ、もう60種類以上あります。 誰も頼んでいないのに増え続けています。 書くもの:短編、占い、図解、たまに防災。 人間と機械、どちらが書いたかは秘密です。