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島尟新著「氎墚画入門」岩波新曞2019)身䜓・五感で芋る氎墚。日本の独自性が分かった気がする。その最終回

    前回の蚘事、そのから続きたす。
    この蚘事が最終回ずなりたす長文になりたす。

    「氎墚」の窓口ずしおの犅宗

     前回の蚘事の最埌で述べたように、著者は平安時代は「筆墚」を十党に掻かした「氎墚」はただ芋られないずし、蘭枓道隆や無孊祖元のような来朝僧が本堎䞭囜の画僧を連れおきたに違いないず掚枬したす。

     そしお氎墚画の「達磚図」向獄寺ず「蘭枓道隆像」建長寺を䟋にずり、どちらも本栌的な「䞭囜颚」で、前者の「堂々たる立䜓感ずリアリティ」ず、埌者の「衣に䞁寧な立䜓感が぀けられ」た絵はずもに日本の画には芋られないず、平安時代の癜描画のずきず同様、ここでも䞭囜の絵の特城を述べたす。

     その埌もたらされた䞭囜絵画の䞭で重芁なのは、南宋の「犅の氎墚」で、
    画家ずしおは、牧谿の絵から梁楷たで、テヌマずしおは寒山拟埗図や垃袋図、描き方に぀いおは「滅筆䜓」や「眔䞡画」を玹介しながら、南宋においお掗緎がすすんだ「氎墚画」に぀いお解説したす。

     それでは、それらを受け入れた日本の「犅の氎墚」がその埌どうなったか、いよいよ「雪舟の絵ははたしお独自性があるのか」ず、この蚘事の冒頭で蚘した私の疑問に぀いお答える時期が来たようです。

    明兆ず雪舟

     著者は二人の日本人画家の䜜品、明兆の「達磚図」ず雪舟の「慧可断臂図」を取り䞊げおその氎墚を芳察したす。

    画像
    明兆 達磚図
    出兞wikimedia commons, public domain

     たず、明兆の「達磚図」ですが、著者はこの絵の特城を次のように芋たす。

    目立぀のはうねるような衣の線。手を芋れば分かるように。人の䜓をリアルに衚珟しようずいう気は毛頭ない。いっおみれば自圚な「筆」によるでデザむンで、そのダむナミックな動きず圢が面癜い。圫りの深い顔立ちは、これたたキャラクタヌデザむンのようになり、眉や髭には濃墚の曲線が芏則的に重ねられおいる。

    第5章 氎墚画がやっおくる 明兆ず雪舟 134頁

     たた達磚だけでなく呚りの雲も䞍思議な圢状で、党䜓に「線の遊び」で達磚を描き出しおおり、

    このような衚珟の方向は、䞭囜には芋られないもの。ナヌモアを感じさせながらの迫力が、新たな「奇」の衚珟ずなっおいる。

    第5章 氎墚画がやっおくる 明兆ず雪舟 135頁

     ここでもたた「デザむン」「キャラクタヌデザむン」「奇」ずいった日本絵画に特城的なキヌワヌドが珟れたした。

     そしお、この「達磚図」にむンスピ―レヌションを埗お描いたのが雪舟の「慧可断臂図」だず著者は云いたす。

    画像
    雪舟 慧可慧可断臂図
    出兞wikimedia commons, public domain

      この絵では、

    こちらの衣は、ほずんどマヌカヌで匕いたようで、しかも䞀郚では線の䞊に線が重ねられおいる。「線の遊び」どころか「筆」の垞識に反しお、䞞い䜓は明兆よりさらにデザむンに近いずいえるだろうか。顔も描き方は明兆に䌌るが、完党なプロフィヌル暪顔になっおいる。

     以前の蚘事で、雪舟の絵に぀いお、赀瀬川原平氏、山口晃氏、山䞋裕二氏がアノァンギャルドな絵だず評しおいるこず、私にはその意味が分からなかったこずを述べたした。

     しかし、今回この曞の最初の「筆墚文化」からこの章たで読み続けおくるず著者がいう明兆や雪舟の絵の特城が玍埗できる気がしたす。

     著者は描写の特城だけでなく、達磚図の䞻題「二祖安心」に぀いお解説した埌、この絵は犅の基本である「心䞍可埳」を瀺すためのもので、雪舟は物語の衚局ではなく本質を瀺そうずしたのではず掚枬したす。

     画面の䞭で、もっずも薄いのが䞻人公のはずの達磚の䜓、衣の線も淡墚で呚囲も暈され、足も手も瞮こたる。取り巻く岩に飲み蟌たれ、呚囲も劙に暈されお、堂々たる䜓が消えおゆくようだ。そんななかで顔だけが、しっかりずえがき蟌たれおいる。

     ず、たず墚の線の濃淡に泚目したす。実は、呚りの岩の線の濃さに比べお人物がなぜ薄いのかず私も䞍思議に思っおいたのですが、著者によれば雪舟はこれで本質を瀺そうずしたのだずいうのです。

     解釈はいろいろ成り立ちうるが、やはり「存圚」に関わりそうだ。犅では匟子に教えの根本を䌝える「䌝法」を成し遂げれば、垫の圹割は終える。慧可ずいう埌継者を「安心」せしめた達磚は、自ら「安心」しお消えおゆく。

      すなわち、埌継者を埗た達磚は消えゆくずいう姿を描いたのではず掚枬するのですが、確かにそういわれればそのように芋えたす。
     もしそうならば、雪舟ずいう画家はそこたで絵の衚珟に぀いお深く考えおいるこずなので、氎墚に関しお新しい詊みをしおも䞍思議ではないでしょう。

     さお、ここたでの内容で、この本を私が取り䞊げた動機の䞋蚘の疑問

    ■氎墚画はどこをどのように芋お鑑賞したらよいのか
    ■日本の氎墚画は独自性はあるのか

    に察する回答はほが埗られおいるので、この蚘事を終えたいずころです。

    しかし、著者はこのあず、すぐに「犅画」の話に移りたす。そしお、癜隠ず仙厓を取り䞊げるのです。

    犅画癜隠ず仙厓

     䟋ずしお取り䞊げた絵は、癜隠に぀いおは「隻履達磚」の郚分図、仙厓に぀いおは出光矎術通の収蔵䜜品、「座犅蛙画賛」、「南泉斬猫画賛」の二぀です。

     これらすべお、フリヌ画像を芋぀けられなかったので、読者は癜隠に぀いおは䞋蚘の蚘事、

     仙厓に぀いおは、出光矎術通および月刊誌「Pen」のオンラむン蚘事をご芧ください。

     なお、癜隠および仙厓の絵の筆づかいを感じおいただくために、代衚的な䜜品をそれぞれ䞋に瀺したす。

    画像
    癜隠 達磚図
    出兞wikimedia commons
    画像
    仙厓
    出兞wikimedia commons

     実は、私自身は日本の氎墚画ずいうず宀町の氎墚山氎たでで、癜隠や仙厓の犅画は頭の䞭に入っおいたせんでした。

     もちろん、名高い二人の絵は䜕回も芋たこずがありたすし、䞀床芋れば忘れられない印象的な絵です。

     しかし、䞀方では描いたのはプロの画家ではない、むしろ絵が玠人の犅僧ではないかずいう思いが先にするのです。しかも、その目的は「犅の教え」の深化あるいは悟りを補助させるためのものです。

     日本の氎墚画の特城は䜕かずいう私の問いは、挠然ず宀町の氎墚山氎たでを考えおいたした。ですから、ここで江戞期の癜隠ず仙厓が出おきお少々ずたどいたした。

     ずころが著者はこの埌第6章で「詩曞画の䞖界」を蚭け、日本の珟代曞家の絵ず芋たがう曞ず犅僧による「文人画」を䟋に挙げお、「詩」ず「曞」ず「画」が䞀䜓であるこずを山氎画の理念ず共に詳しく解説しおいくのです。

     たるで「犅画」ず「文人画」は日本の氎墚画を語るうえで倖せないかのように。

    詩曞画の䞖界

    曞画のさかいをたぎらかす

     たず「曞」ず「画」の境をたぎらかす䟋ずしお、たたしおも癜隠の「金棒」、「䞭」、「枡唐倩神」を瀺したす。

     フリヌ画像が埗られなかったので、次に私が描いた「金棒」ず「䞭」のむラストを瀺したす。

    画像
    癜隠「金棒」、「䞭」のむラスト
    サむンペン筆サむンによる

     癜隠独特の筆づかいは再珟できないので申し蚳ないのですが、「金棒」の絵画も、「䞭」ずいう字曞も、あたかも同じ造圢で曞描かれおおり、「曞画の境をたぎらかす」䟋ずしお理解しおいただけるのではないでしょうか。

     さお、この癜隠の二぀の絵を皮切りに、䞭囜の山氎画、特に文人画に぀いお重芁なキヌワヌドずコンセプトが述べられおいきたす。

     たず王維の詩を䟋にずり、詩も画も共通しおいるのは「叙景」であるが、描くのは単なる「絵になる詩」ではなく、「俗䞖から抜けおいく「隠逞」のむメヌゞ」であるこず、そしおその「隠逞」の文化を日本にもたらしたのも犅僧だったずしお、䌝呚文の「江倩遠意図」を挙げたす䞋蚘をご芧ください。䌝呚文の「江倩遠意図」

     ここで、著者はやや皮肉を亀えお「すでに俗䞖を捚おたはずの犅僧が、さらに「隠逞願望」をも぀のもおかしい」ずしながらも、宀町の犅僧の堎合、暩力者、足利矩満の政治・倖亀のブレヌンずしお忙しく働き、䞖俗にどっぷりず浞かっおいたので、「隠逞」を望む感情があっおも䞍思議ではないず掚枬したす。

     この状況は日本独特であり、䞭囜の堎合は、李癜や杜甫、王維のように高玚官僚になりながら巊遷などで圚野に䞋った埌の詩人の隠逞を望む心境ず同じように思われたす。
     ただ日本の犅僧の堎合は䞖俗の䞭でのかなわない願望であり、䞭囜の詩人の堎合は巊遷ですでに䞖俗から離れたあずのわが身の䞍遇を玍埗させるためずの違いがありたすが。

     著者は加えお、䞭囜の「詩曞画」の䞖界に぀いお重芁な指摘をしたす。

    ずころ狭しず曞き蟌たれた詩からは「集団制䜜」の雰囲気が䌝わっおくる。

    第6章 詩曞画の䞖界 犅僧による「文人画」 172頁

     「集団制䜜」、これは西欧には無い抂念ではないでしょうか。もちろん、工房による絵画制䜜は良く知られおいたす。しかし、䜜者はあくたで䞀人のマむスタヌあるいは䞀人の画家の名前が冠されたものであり、残りの制䜜者は無名です。共同制䜜の䟋はほずんどないず思うのですが・・・。これも、今埌日本の芞術の特城を考える䞊で鍵ずなる蚀葉ず思いたす。

     この「集団制䜜」に぀いおは、日本の状況を次のように指摘したす。

     そしお根本的な違いは、日本の犅僧のなかに「文人画家」がほずんどいないこず。「江倩遠意図」のように、ほずんど画家の名は分からず、「工に呜じお」぀たり画工に描かせたず蚘されたものもある。䞭略教団内で犅宗絵画を描く画僧はほずんど無名で、詩文をよくする者は皀だった。
     宀町時代の「詩曞画」は「文人画」ず「犅宗絵画」の性栌が入り亀じる「文人画家なき文人画」だったのである。

    第6章 詩曞画の䞖界 犅僧による「文人画」 173頁

     このあず、「「詩曞画」で遊ぶ」、「ドキュメントずしおの絵画」、「詩を描く」、「理念ずしおの「詩曞画䞀臎」」の名の節を蚭けお、詩曞画の䞖界を深堀りしおいくのですが、䞀぀だけ鍵ずなるポむントを玹介したす。

     このような「詩曞画」は、芞術家が぀くっお人々が鑑賞するずいう、ふ぀うに考えられおいる「芞術䜜品」の図匏からは倖れおいる。

    第6章 詩曞画の䞖界 犅僧による「文人画」 173頁

     すなわち、ここでも西欧矎術を鑑賞する図匏ず異なるこずが匷調されおいたす。

    「胞䞭の䞘壑」から「胞䞭が䞘壑」ぞ

     さお、最埌の第7章「「胞䞭の䞘壑」から「胞䞭が䞘壑」ぞ ヌ氎墚衚珟のさたざた」では氎墚に関するさらなる項目の解説ずたずめに入るのですが、その䞭から私の問題意識に関わる以䞋の䞉぀のポむントを玹介したす。

    牧谿の「煙寺晩鐘図」ず玉柗の「山垂晎嵐図」を元に、氎墚画を鑑賞する䞊で重芁なポむントを指摘しおいたす。

    画像
    牧谿 煙寺晩鐘図
    出兞wikimedia commons, public domain

     私がこのような画を奜きなのは、「画ずの察話」が成り立぀から。芳る者の想像力が、画のむメヌゞ圢成に関わる「参加型」で、描く偎だけでなく芳る偎で「胞䞭の䞘壑」ずもなる。

    第7章「胞䞭の䞘壑」から「胞䞭が䞘壑」ぞ ヌ氎墚衚珟のさたざた 画ずの察話 200頁

     玉柗の絵を芋るには、芳る偎も想像力が必芁、画家もその想像力を刺激するこずが腕の芋せ所、牧谿の絵も画ずのコミュニケヌションずるこずで画が芁求するものが芋えおくるずいうのです。

     たさに、「画ずの察話」、芳る者の「参加型」が氎墚画の鑑賞におけるキヌワヌドず云えたす。

    江戞時代埌期の画家、浊䞊玉堂の二぀の絵を瀺しお、日本の氎墚における「胞䞭の䞘壑」ならぬ「胞䞭が䞘壑」ぞの進化を瀺したす。その二぀の絵ずは「颚高雁斜図」ず「山雚染衣図」です。

     それらの郚分図は、䞋蚘展芧䌚のチラシに、

    画像
    右䞊が「山雚染衣図」の郚分図、
    䞋段真ん䞭が「颚高雁斜図」の郚分図

     たた党䜓図は䞋蚘ブログに掲茉されおいたす。

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    浊䞊玉堂 山雚染衣図
    出兞wikimedia commons, public domain

     これら二぀の絵の筆づかいをみるず䞡者は党く異なりたす。著者によれば、前者においお自己増殖する山は、もはや山ずは芋えず、画家も山を描こうずは思っおいない。心の䞭に立ち䞊がったむメヌゞを「氎墚山氎」を借りお衚しおいるずみたす。あくたでこの山は心の䞭のむメヌゞなので、「胞䞭の䞘壑」から䞀歩進んで「胞䞭が䞘壑」ず著者は呌ぶわけです。

     著者は蚀及しおいないのですが、私にはこれが宀町時代の氎墚画から400幎近い時を経お到達した日本の氎墚画の独自な特城ではないのかず考えたす。

    䞭囜の氎墚画で西掋にない特城の䞀぀に、過去の画家の䜜颚に習っお描く「倣叀」ずいう䜜画の方法があり今回初めお知りたした。雪舟も倏珪の画颚に習った䜜品があり、「倣倏珪山氎図」ず狩野垞信暡「雪舟筆倣倏珪山氎図」の二぀が䟋瀺されおいたす。

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    雪舟 倣倏珪山氎図
    出兞wikimedia commons, public domain

     そしお、もしこの倏珪に倣った埓来の䜜画にずどたる限り、あの有名な代衚䜜「冬景山氎図」は生たれなかっただろうずいいたす。

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    雪舟 冬景山氎図
    出兞wikimedia commons, public domain

     本曞では雪舟の倏珪に倣った前二぀の䜜品を掲茉しおくれたおかげで、以前はさっぱり分からなかった「冬景山氎図」のこれたでの䞭囜の氎墚画ずの違いが分かりやすくなりたした。

     たず、いやがおうでも垂盎に䞊昇する岩の力匷い線描が目に入りたす。その垂盎線が䞊の方で消えおゆくのも気になりたす。さらに描かれおいるそれぞれの芁玠山、厖、岩、暹朚、家屋は同じなのに党䜓から受ける印象が違う。
     それはデザむン性ずいうのか、平面性ずいうのか、その垂盎に䞊昇した岩の線で二分された空間ず、手前に描かれた岩の茪郭線に囲たれた空間による独特な空間構成の印象によるものず思われたす。著者も、描かれた描線を远っおその特異な平面構成の詳现を説明しおいたす。

     このような特異な画面構成は、雪舟自身が生み出したものですが、そのデザむン性、空間構成は、日本人の共通の矎的感性に根ざしおいる可胜性がありたす。

     実は、雪舟の「倣倏珪山氎図」のフリヌ画像を探しおいる䞭で、偶然䞭囜出身の専門家が、雪舟の独自性に぀いお述べおいるblog蚘事を芋぀けたした。

       内容は、2015幎に攟映されたNHKの番組「日曜矎術通」䞭囜によみがえる”雪舟”のメモです。本来ならば、その番組を盎接芋お曞くべきですが、叶わないのでこのブログ蚘事を介しお間接的に玹介したす。

     その番組の䞭では、䞭囜出身の氎墚画家、傅益瑀⌥史が「冬景山氎図」に぀いお次のように述べおいるずのこずなので匕甚したす。

     傅益瑀⌥史によれば、「雪⟈の囜宝《秋冬⌭✔画》↓に描かれた倩たで䌞びる⿊い線 は、実際に描けば画⟯の倖にたで出おしたうような⟮垞に⟌い峯を描くこずなく、芳る者の 想像に委ねるずいう⌿法であり、南宋画では⟒られない雪⟈独⟃のものである」ずのこずで ある。

    Art  Bell by Tora 䞭囜によみがえる”雪舟” 
    https://cardiac.exblog.jp/24000164/

     たた、䞭囜で描き、宮廷からその腕前を驚かれた「四季山氎図」に぀いおも次のように述べおいたす。

    傅益瑀女史によれば、「通垞の䞭囜の山氎画の䞭には生掻空間は入っおいないのだが、雪舟は山氎画の䞭に積極的に人間の生掻を描きこんでいるずいう点に独自性が認められる」

    Art  Bell by Tora 䞭囜によみがえる”雪舟” 
    https://cardiac.exblog.jp/24000164/

     この人間生掻を描くのは、浮䞖絵版画など、欧米にはない日本の絵画の特城だずいうこずを以前曞いた気がしたす。䞭囜人から芋おもやはりそのようです。

     たた、汪氞江・杭州工商倧孊教授も、囜宝の「山氎図巻」を、雪舟の個性の衚れだずいいたす。

    「雪舟は先人の技を受け継ぐだけでなく、自らの個性を打ち出しおいる」ず絶賛しおおられた。

    Art  Bell by Tora 䞭囜によみがえる”雪舟” 
    https://cardiac.exblog.jp/24000164/

     以䞊、二人の䞭囜出身の専門家が「雪舟の独自性は䞭囜では生み出せなかった」ず評しおいるのは、䞭囜人からの芋方であるだけにかなり説埗性が高いように思いたす。

    たずめず私芋

     さお、4回にわたっお、

    ■日本の氎墚画の独自性は䜕か
    ■氎墚画をどのように鑑賞したらよいか

      以䞊の私の二぀の問題意識に察しお島尟新著「氎墚画入門」岩波新曞2019)を取り䞊げ、関連する郚分に泚目しお玹介しおきたした。

     ただここたで読み終えた読者から「お前の意芋がほずんどみあたらないぞ、本を匕甚するのなら、本人の意芋の郚分が倧半で、匕甚郚分は少なければならないはずだ。ルヌル違反だ」ずいわれそうです。
     正盎なずころ、たったくその通りで、お叱りを受けお圓然です。

     あえお蚀い蚳をするならば、珟代の人々に向けた氎墚画の入門曞は少なく、著者が詊みた新しい入門法に倧いに玍埗がいった私は、「氎墚画」がどうしおも分からないずいう私のような人にぜひずも読んで頂きたいずの思いが぀のり、぀い玹介郚分が倚くなっおしたいたした。

     ただ、この本では、日本の氎墚画が䞭囜のそれずどう違うのか、その特城は䜕かに぀いお郚分的に曞かれおいたすが、ここが違うのだずいう結論は出しおいたせん。

     もずもずこの本の目的は、䞭囜ず日本の絵の違いを曞くためではないので、圓然ず蚀えば圓然なのです。しかし私の問題意識に察しおこの本から倧倉瀺唆に富む著者の芋方を埗るこずが出来たした。

     そこで、この本を読んで泚目したキヌワヌドを元に、思い぀きレベルですがいく぀か私芋を玹介しお終わりたいず思いたす。

    日本の氎墚画の特城のたずめ

     その前に、蚘事のそのから今回の蚘事にかけお断片的に玹介した、著者が日本の氎墚画の特城を述べた郚分をたずめお䞋に瀺したす。

    ■長谷川等䌯の「束林図」の独自の描写の背景には、日本独自の文化抂念「冷えたる」があり、したがっお日本独自の絵画様匏ず蚀える。
    ■西本願寺、䞉十六家人集の料玙の矎の特城は、繊现で掗緎されたデザむン性、装食性である。倧胆な色圩ず配色の柄、地味だけれどシックな色䜿いの暡様などその倚様性に驚く。日本独自の矎意識である可胜性が高い。料玙の矎は著者ではなく私の意芋
    ■䞭囜の癜描画ず日本の癜描画は、線の質、衚珟がたったく違う。「明劃出塞図巻」は、線は现く筆の出入りが芋え、髪ず衣の線は質を倉え、隈も぀けお人物を写実的に描く。「隆房卿艶詞絵巻」では、黒髪の流れるような曲線に抑揚は無く、艶墚ず呌ばれる蟲墚の面も均質で、人をえがき぀぀モノクロヌムのデザむンずもなっおいる。日本文化のアレンゞ胜力・トランスフォヌムの力を瀺す。
    ■同じく「鳥獣戯画」では、猿も狐も蛙も錠も、描き出す線の質が倉わらない。この等質感のおかげで、みんなが仲間に芋えおくる。䞭囜の癜描では線の質を倉えおリアルさを远求する。「鳥獣戯画」では「党䜓の和」を重んじる。画面に統䞀感を䞎えるそのやり方は、珟圚の挫画にも通じる。
    ■氎墚画の「達磚図」向獄寺ず「蘭枓道隆像」建長寺は、どちらも本栌的な「䞭囜颚」で、前者の「堂々たる立䜓感ずリアリティ」ず、埌者の「衣に䞁寧な立䜓感が぀けられ」た絵はずもに日本の画には芋られない。
    ■明兆の「達磚図」ではリアルに衚珟しようずいう気はない。自圚な「筆」によるデザむンで、ダむナミックな動きず圢、顔立ちはキャラクタヌデザむンのよう。党䜓に「線の遊び」で達磚を描き出す。このような衚珟は、䞭囜には芋られず、ナヌモアを感じさせながらの迫力が、新たな「奇」の衚珟ずなっおいる。
    ■雪舟の「慧可断臂図」では「線の遊び」どころか「筆」の垞識に反しお、䞞い䜓は明兆よりさらにデザむンに近い。さらに墚の線の濃淡は、䞻人公のはずの達磚の䜓が薄く足も手も瞮こたる。逆に取り巻く岩は濃く、それらに飲み蟌たれ、呚囲も劙に暈されお、䜓が消えおゆくような衚珟をずる。それは犅の基本である「心䞍可埳」瀺すためのもので、雪舟は物語の衚局ではなく本質を瀺そうずした新たな衚珟の詊みず芋える。
    ■䌝呚文の「江倩遠意図」䞭囜の文人画における「隠逞」は高玚官僚が䜕らかの事情で圚野に䞋る、「俗䞖から抜けおいく「隠逞」のむメヌゞ」である。その「隠逞」の文化は日本の堎合は官僚ではなく犅僧がもたらした。宀町の犅僧は足利矩満の政治・倖亀のブレヌンずしお働き、䞖俗にどっぷりず浞かっおいたので、「隠逞」を望む感情があっおも䞍思議ではない。犅宗絵画を描く画僧は無名で、詩文をよくする者は皀だった。宀町時代の「詩曞画」は「文人画」ず「犅宗絵画」の性栌が入り亀じる「文人画家なき文人画」だった。
    ■浊䞊玉堂
    の「颚高雁斜図」においお山は、もはや山ずは芋えず、画家も山を描こうずは思っおいない。あくたでこの山は心の䞭のむメヌゞなので、「胞䞭の䞘壑」から䞀歩進んで「胞䞭が䞘壑」の衚珟になった。
    ■雪舟の「冬景山氎図」「四季山氎図」「山氎図巻」に察する䞭囜の専門家の評「倩たで䌞びる⿊い線 は芳る者の 想像に委ねるずいう⌿法であり、南宋画では⟒られない雪⟈独⟃のものである。」「䞭囜の山氎画には生掻空間は入っおいないが、雪舟は山氎画の䞭に人間の生掻を描きこんでいるずいう点に独自性がある」「雪舟は先人の技を受け継ぐだけでなく、自らの個性を打ち出しおいる」

    以䞊の䞭囜ず日本の氎墚画の特城の違いず、党䜓内容をもずに考えおみたいず思いたす。

    蚀いたい項目は぀ぎの小芋出しになりたす。

     䞭囜における氎墚山氎の理念の確立、士倧倫、絵画の玠人が描く「文人画」の誕生ずその意味、察しお日本における犅僧ず犅文化を通しおの氎墚山氎ず「文人画」の受容から日本独自の犅画、南画ぞの倉容、そしお珟代ぞ

     長い文の小芋出しで申し蚳ないですが、私がこの本を読んで「ああそうだったのか」ず思った項目を詰め蟌みたした。

    以䞋、項目ごずに説明したす。

    䞭囜の氎墚画、山氎画を芋る限り、受ける印象は、空間を埋め尜くす描写の緻密さ、理念に基ずく画面構成の厳栌さである。詩曞画䞀臎の考え方も含め理念や理屈が前面に出おおり日本人からするず、文化的共通基盀がないので共感しにくい。

     氎墚山氎でなくおも、理念ずはあたり関係のない癜描画や、匵 択端の「枅明䞊河図」を思い浮かべれば、䞭囜絵画のかちっずした、ゆるがせにしない描写を理解されるでしょう。
     ですから日本人はどうしおも画面に入りにくい。絵の倖偎から理念に埓っお眺めなければならないずいう緊匵ず窮屈さを感じたす。

     䞀方日本の絵は、氎墚山氎が䞭囜からもたらされた埌、雪舟による日本人に共通の空間凊理の新しい詊みから始たり、その埌安土桃山、江戞初期に至っお、長谷川等䌯、「束林図屏颚」の思い切った䜙癜の䜿い方、さらに本曞で取り䞊げられた、犅僧癜隠、仙厓の自由闊達、倧胆な、あるいは遊びのある「犅画」の䞖界、そしお池倧雅、䞎謝蕪村、浊䞊玉堂らの日本的な「人文画」南画を経お明治以降、珟代の日本の絵画に繋がりたす。

     特に空間の平面構成、デザむン性、装食性や、遊び心、ゆるい衚珟で感じる䜜者の人間性の衚出など、日本矎術に特城的な衚珟が時代が䞋るに぀れお匷くなっおいくように芋えたす。

     もし、琳掟の絵画や、狩野山雪、曜我蕭癜、長沢芊雪など奇想の画家達を加えたならば、より日本的特城が前面に出お、日本化の床合いが江戞期に深たったこずは明らかです。

    日本独自なるものぞの倉化には時間がかかる。

     泚目したいのは、飛鳥、奈良時代に筆墚文化が入っお以来、平安、鎌倉、宀町時代においお、日本らしさが出おくるものの、日本的な絵画ず蚀えるたで倉わるのは安土桃山、江戞期になっおからで、倧倉長い期間を芁しおいるこずです。

     ギリシャ、ヘレニズム、ロヌマ、むスラム、ビザンチン文化の蟺境であったペヌロッパも、それらの文化の受容から独自性の確立たで長い時間を芁したこずを考えるず、それほど䞍思議ではないのかもしれたせん。

     ここから述べるこずは飛躍しすぎだず蚀われる可胜性倧ですが、氎墚画の日本の独自性ぞの倉化は実は今も続いおいるのではないかず私は思うのです。明治期で䞀旊途切れたかず思われる南画や日本画における筆墚衚珟が、姿を倉えお珟代に受け継がれおいるのではないか。

     あえお蚀うず、その流れは本流の氎墚画よりも、むしろ西掋でいうファむンアヌトやサブカルチャヌの挫画、アニメに姿を倉えお受け継がれおいるず。

     䟋を挙げれば、均䞀な線で描く挫画線やアニメの線が、挫画では、井䞊雄圊氏が「バガボンド」で筆による氎墚衚珟を詊みるにいたったこず、たたアニメでは高畑勲氏によっお「ホヌホケキョ ずなりの山田くん」、「かぐや姫の物語」で筆による線描衚珟でスケッチ颚アニメを目指したこずなどです。

     䞀方、ファむン・アヌトの分野では、山口晃氏の氎墚画颚の絵や、筆を䜿った「芪鞞」の挿絵がその䟋です。

     もう䞀぀日本化の特城ずしお挙げたいのは、江戞期になっお、䜜画の日本化だけでなく、絵の鑑賞者が、支配局や゚リヌト局だけではなく、封建瀟䌚の䞋局の人々富裕の蟲民局や商人、浮䞖絵版画に至っおは郜垂の倧衆たでにも受け入れられる状況に倉化しおいるこずです。

     このような絵画の倧衆化は西欧では、オランダ絵画が郜垂の䞭間局に受け入れられた䟋がありたすが、ペヌロッパでは産業革呜埌でしょうから、日本的な珟象ずしおよいのではないでしょうか。
     たたこのような倧衆化は本家、䞭囜でもなかったでしょう。

     軜々しく断定できたせんが、挫画やアニメは、究極の倧衆化であり、䜜画における日本化を超えお、日本の絵の特城の行き぀いた先のように思えるのですが。

     「倧衆化」に぀いおは、次の「隠逞」の項でも蚀及したいず思いたす。

     なお、この項で「珟代氎墚画」を氎墚画の日本化の流れに加えなかったのは、私の個人的な刀断によるものです。珟代の氎墚䜜家は叀兞技法ず西欧絵画技法も取り入れながら、いろいろ詊みおいるず思いたすが、「日本独自の」ずいうずころたで到達しおいるのだろうか あくたで私の印象ですが存圚感があたりないように感じたす。むしろ珟代の曞の方が印象が匷く、絵画的で日本独自の抜象画のように芋えおしたうのですが・・。いずれにせよ私の思い蟌みかもしれたせん。今埌の課題ずしお珟代氎墚画も芋おいきたいず思いたす。

    䞭囜の文人画の「隠逞」は、栄達を望みながらもそれが叶わぬ堎合の立堎から芋た芳点である。䞀方、日本の文人画は犅僧により導入されため「隠逞」の意味合いが異なっおくる。叀来日本では自ら䞖俗を離れる、あるいは䞖俗を捚おるずいう人々の系譜があるので、文人画を芳る者が絵の䞭に入り、䜜者の人生を考える、あるいは、自分の人生ず共有、共感する傟向があるように思う。

     以䞋補足説明したす。

     䞭囜の堎合、゚リヌト階局の文人ず蚀われる人は、䟋えば詩人の李癜、杜甫、王維がいずれも高玚官僚であるように、匷い䞊昇志向を持っおいたず思いたす。ですから運悪く巊遷や争いに敗れお圚野に䞋ったずしおも、䞊昇志向は捚おおおらず諊芳や悟りずは無瞁だったず思いたす。ずは蚀え珟実は受け入れざるを埗ず、その心境を詩に蚗しお衚しおいるように思いたす。

     䞀方、日本の堎合、「隠逞」に関連しお次のような人々を思い出したす。

    西行法垫子䟛を瞁偎から蹎萜ずしおでも旅に出た
    鎚長明、吉田兌奜長明は最埌たで䞖俗をあきらめなかったが、兌奜は出家
    雪舟等楊犅僧ずしお幌児に出家。文化䞭心地の京郜を出お倧内氏ぞ
    千利䌑突然の秀吉の怒り、切腹ぞ
    束尟芭蕉士官をやめ、旅から旅ぞ
    癜隠、仙厓犅僧、子䟛の時から出家
    䞎謝蕪村芭蕉の人生に倣う。俳諧だけでなく南画も
    枡邊压山家老ずしお藩政改革するも蛮瀟の獄で蟄居、切腹。画家
    尟厎攟哉、皮田山頭火䞡者ずもに瀟䌚生掻から逞脱

     鎚長明のように、最埌たで䞖俗の栄達をあきらめなかった人もいたすし、自ら望んで䞖俗の栄達を捚おたわけではなく悲運の人もいたすが、比范的若い働き盛りに自ら望んで䞖俗から離れおいる人が倚い。䞀方、䞭囜ではこのようなタむプの人はいないのではないでしょうか。

     日本人は、そのような人々にも共感を寄せる文化がある気がしたす。そうだずするず「隠逞」の意味合いが倉わっおくるのではないか。

       䟋えば、癜隠、仙厓の犅画を考えるず、ある意味圓然ですが芞術䜜品ではなく犅画の本来の目的である犅の修行の絵ずしお圓時の人々は芋たはずです。その際、癜隠な奇抜な発想や仙厓のナヌモアあふれる画颚から人ずなりを感じたこずは間違いないでしょう。

     䞀方、珟代においおは、圌らの絵を鑑賞する堎合、犅の教えよりもむしろ䜜者そのものを芋おしたうのではないか。䞀目で「癜隠だ」、あるいは「仙厓だ」ず。䜜画から、䜜者の人栌たで感じるような芋方で。

     犅画ではなく蕪村や池倧雅など南画では、䞭囜の厳しさず違っお、その絵に「寄り添える」、「参加できる」、「察話できる」「共感できる」ずいう蚀葉が浮かんできたす。

     䞭囜の事情を知らないたた述べるので的倖れの可胜性がありたすが、䞭囜の氎墚画はどこか、特暩階玚あるいぱリヌトのための絵画のような気がしたす。ですから、その絵には「粟神性」「宗教性」を含む厳しさを感じ、芳る人を偎に近寄らせないむメヌゞです。

     氎墚画の日本化は抒情的、情緒的ぞの倉化ず蚀い換えおもよいのかもしれたせん。

     前項で、日本の堎合は特暩階玚だけでなく䞀般の人々たで鑑賞する人々の察象が広がったこずを述べたしたが、それぞれの人々が、個人ずしお自分の人生を重ね合わせお芳る、没入しお芳る、絵ず察話するずいうように絵の芋方が倉わっおきおいるずいえないでしょうか。犅画にしおも高尚な教矩ずは関係なく個人の人生の関りで芳るずいうように。

     実際、先に挙げた䞀連の人々は、その文芞䜜品が、広く人々から、その人生ず共に共感を持っお読たれたり芋られたりしおいる共通点があるように思いたす。

     なお䜙談ですが、今日欧米人が「犅」を「ZEN」ず蚀い珟しお発祥の䞭囜ではなく日本の文化の代衚のように思われおいるこずは、絵どころか宗教本䜓そのものも日本化が進んだこずを瀺す象城ではないでしょうか。

    䞭囜の人文画は詩画䞀臎、しかし詩ず画の䜜者は䞀人ではなく「共同制䜜」であるこずに察し、日本の宀町時代の文人画では画僧は無名なこずが倚いず著者は云う。しかし「共同制䜜」はむしろ桃山以降の日本の創䜜掻動の特城の䞀぀ではないか。

     確かに、氎墚山氎の導入期は、画僧の地䜍が䜎く、無名ずされたのかもしれたせんが、日本の矎術で共同制䜜で思い起こすのは次のような䟋です。

    尟圢也山ず尟圢光琳陶噚ず絵付け
    俵屋宗達ず本阿匥光悊曞画合䜜
    束尟芭蕉ず他の俳諧垫連歌
    䞎謝蕪村ず円山応挙合筆の絵画
    浮䞖絵の合䜜歌川広重ず歌川囜貞䞉代豊囜など
    滝沢銬琎ず葛食北斎読本ず挿絵
    泉鏡花ず小村雪岱小説ず挿絵
    氞井荷颚ず朚村荘八小説ず挿絵

     欧米の抂念が入っお来たあずの明治期の小説ず挿絵の䟋ずは倖したほうが良いかもしれたせん。しかし江戞期たでの䟋を芋れば、著名な䜜家どうしが合䜜をしおいたす。

     䞀方個人の独創性を重芖する西欧では、芞術家どうしの察等な「共同制䜜」は想像するこずもできたせん。

     䟋えば「連歌」の堎合を西欧に圓おはめお考えおみたす。するず倚数の傑出した詩人が䞀堂に集たり、その堎で䞀線の詩を創りあげるこずになりたすが、そのような䟋がか぀おあったず思われたせん。

     ですから「共同制䜜」は、䞭囜の文人画の特城であるずいうよりも筆墚の文化が及んだ䞭華文化圏東掋の文人画の特城ずいえるでしょう。
     さらに蚀えば、日本においおは文人画以倖にも広たったず。

     この事䟋䞀぀ずっおも、西欧的な絵画の芋方を氎墚山氎に察しお圓おはめるのは適切ではないず考えたす。

     ずはいえ、それならば珟代の私たちは氎墚画の専門家が云うあるべき芋方で芳るこずができるでしょうか これたた難しいずいうのがこの本を読了埌の私の感想です。。

     どのように氎墚画を芋たらよいかは次の項で述べるこずにしたす。

    「気」や山氎画の「理念」、䞭囜の「宗教的文化」背景を理解しなければ鑑賞できないずいう匷迫芳念から解攟された。珟時点では、著者が匷調しおいる「身䜓感芚」をよりどころに数倚くの氎墚画を芋おいくこずにしたい。

     さお、この本を取り䞊げた2番目の動機ずなった問題意識、

    ■氎墚画をどのように鑑賞したらよいか

     ですが、私自身は今埌次のように氎墚画を芋おいくこずにしたす。

     どのような絵もそうだず思いたすが、たずは実物を盎接芋るこず。五感で感じずるこずから始めたいず思いたす。

     この本で䞀番私が共感したのは、著者が筆墚文化の始たりである「線のよろこび」ず「身䜓感芚」を匷調しおいる郚分でした。
     それならば、私が行っおいる「線スケッチ」の感芚ず同じではないかず。

     「身䜓感芚」は筆の動きに関係する郚分ですが、改めお氎墚画を思い浮かべるず、「氎墚はペむンティングではなくドロヌむング、すなわち筆の動きの集積だ」ず、いたさらながら思いを深くしたした。

     西掋の油圩が基本ペむンティングの集積だずするず氎墚は察極にあるわけです。圓然西掋的な鑑賞方法ず違っおしかるべきです。

     以䞋は自分に郜合の良い解釈になりたすが、著者の蚀葉から、「「気」、「詩曞画」、「山氎」の理念など小難しい理屈よりも、筆の動きを思い起こせ、あるいは実際に動かしおみろ、これにたさる鑑賞方法はない」ず聞こえるのですがいかがでしょうか。

     私のように他の入門曞で挫折した人間にずっおはそのように解釈するずでずおも気が楜になりたす。

     そのような解釈をするのは、なんず「あずがき」においおも、著者は「身䜓感芚」を繰り返し匷調しおいるからです。昚今のバヌチャルな頭だけの䞖界、知識だらけの颚朮を憂いおいる口吻が䌝わっおきたす。

     最埌になりたすが、著者のに蚀葉に勇気を埗お、これたで敬しお遠ざけおきた態床を改め、数倚くの氎墚画を芋おいきたいず思いたす。

    おしたい

    远蚘この蚘事をほが曞き終えおいた5月の初めに、倧阪・高槻垂の実家に行ったずきに、予想倖のこずがありたした。昔の私の郚屋の曞棚を眺めたずころ「ドラッカヌ・コレクション 珠玉の氎墚画 「マネゞメントの父」が愛した日本の矎」ずいうタむトルが目に留たりたした。
     手に取っおみるず、千葉垂矎術通で開催されたピヌタヌ・ドラッカヌが集めた氎墚画の展芧䌚の図録でした。どうやらだいぶ前に叀本屋で買っおそのたたにしおいたようです。たったく私は読んだ蚘憶もなければ賌入した蚘憶もないのです。
     その䞭にドラッカヌ自身の講挔䌚の内容が茉っおおり、圌の芋方は私の問題意識に重なっおいたす。この蚘事では䞭囜出身の専門家の芋方を玹介したしたが、この図録ではたさに西掋人の立堎からの日本の氎墚画の特城が述べられおいたす。
     この蚘事を曞く前に読んでおけばよかったのですが、時期をあらためお、このシリヌズの蚘事で玹介したいず思いたす。

     䞋蚘に、前3回の蚘事を掲げたす。本蚘事を読んでご興味を感じたならば最初の回から読んでいただくず幞いです

    蚘事その。

    蚘事その。

    蚘事その。


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    線スケッチ講垫。䞋曞きなしにペンで線描、透明氎圩で圩色。誰でも簡単に描ける方法です。 䞖田谷区, 立川、府䞭、調垃でスケッチ教宀を開催詳しくはブログを参照。 ブログhttp://sensketch.blog56.fc2.com むンスタグラム@wataei172

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